テレホン法話2021年

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2021年12月21日〜31日

 

「ただ名をよぶばかり」

 

宇部北組萬福寺 厚見 崇

 

 あるテレビドラマのお話です。戦争が終わり、戦地から帰ってきた男の人がおりました。実は、その人が戦地にいる間に、父親も母親も亡くなっていました。帰ってきてから、その事を知らされた男の人は、生きる目標を見失うのです。お父さんやお母さんに、今まで迷惑をかけていたことを謝りたかった。でも、それはもう出来ない。何の気力もわかんのです。

 

そんな彼に優しく語りかける別の女の人がいました。彼女もまた、戦争で息子を亡くした人でした。彼女は彼を抱きしめて言うのです。「アホじゃねぇ。生きとるだけでええんじゃよ。お父さんもお母さんも、そねぇ思うとるんよ」彼は、母親に「よう生きとってくれたねぇ。それだけで、十分じゃ」と言われたように思いました。そして、涙をこぼしながら「母ちゃん、母ちゃん」と呼ぶばかりでした。

 

昔の方々は、阿弥陀仏のことを「おやさま」と呼ばれていました。私たちをすくいとる親のような心をもったお方とお慕い申し上げていました。そして、「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」といつでも、どこでも口に称えるのです。

 

日頃、お勤めする正信偈には、「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」とあります。ただよく常に、「南無阿弥陀仏」と如来の名号を称えるばかりです。それこそが阿弥陀仏が大いなる慈悲の心で、私たちを仏にしてみせると誓われた願いのご恩に報いることになるのです。阿弥陀仏は、私たちに対して、誰にも迷惑をかけずに、正しく生きなければすくわないとはおっしゃいません。間違いだらけの人生しか歩めない私だからこそ、この阿弥陀仏がはたらき、必ず仏にしてみせると誓われたのです。

 

そんな「おやごころ」に出遇わせていただいた私たちは、ただ「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」と名を口に称え、出来るだけのことをしながら、阿弥陀仏のお心とともに生きるばかりです。


2021年12月11日〜20日

 

「弁円済度」

 

厚狭西組善教寺 寺田弘信

 

 今年も残すところ、あとわずかになりました。お寺のほうでも、年明けの御正忌報恩講に向けて、親鸞聖人をお迎えする準備がおこなわれる時期でもあります。その準備のなかに「御絵伝」を出すというものがあります。

 

「御絵伝」とは、浄土真宗のみ教えを明らかにしてくださった宗祖親鸞聖人の生涯を、絵によって表したものです。親鸞聖人が関東で過ごされていたときのエピソードのひとつに、「弁円済度」というものがあります。

 

親鸞聖人の関東での生活は、常陸の国を中心として各地に赴き、念仏のみ教えを広めることが日課になっていました。当時この地方には、呪術や加持祈祷をする修験道が盛んで、たくさんの山伏がいました。板敷山の弁円もその一人です。親鸞聖人が広める念仏のみ教えと、弁円たちが信仰する修験道は相容れないものでした。

 

あるとき親鸞聖人のことを快く思わない弁円は、親鸞聖人に危害を加えようと、板敷山で待ち伏せをしました。しかし悉くすれ違いばかりで出会うことができず、ついには親鸞聖人の草庵まで乗り込んでいきました。しかし、親鸞聖人の怯えるどころか、優しさに満ちた態度に接した弁円は、先程まで持っていた親鸞聖人への敵意や害意が消え果て、そのまま親鸞聖人のもとで念仏のみ教えをよろこぶ御同朋・御同行となったという逸話です。

 

それから年月が過ぎたある日のこと、布教活動に出かけた親鸞聖人の帰りが遅いことを心配した弁円は、親鸞聖人を板敷山まで迎えにいきます。そのときの弁円の心境を歌にしたものが

 

山も山

道も昔に

変わらねど

変わりはてたる

我が心かな

 

かつてここ板敷山で、親鸞聖人に危害を加えようと待ち伏せをした自分が、今では逆に、親鸞聖人の安否を気遣うようになっているではないか!弁円の変わりようを一番驚いていたのは弁円自身でした。

 

弁円の姿はわたしの姿でもありました。かつては阿弥陀さまのお救いをはねのけ続けてきたわたし……そんなわたしであっても、かわらずはたらき通しであった阿弥陀さま……ついには私の疑いのこころを取り除き、わたしの救いのおやさまとなってくださったあみださまでございました。ここにいるぞ!と気付かせてくださいました、あみださまでございました。

 

南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……


2021年12月1日〜10日

 

「光寿無量」

 

防府組明照寺 重枝真紹

 

 はじめにお詫びいたします。少し喉を痛めまして、お医者様、お薬にお世話になって、あれこれとしてはいるのですが、期限もあり、現状がこれです。お聞き苦しい点があるかと思います。お詫び申しあげます。申し訳ございません。

 

自分の身体と言いますが、思い通りにはなりませんね。人生となればなおさらです。思いがけない事も起こり、思い通りにならない事も多々起こります。どれだけ願いましても。また、誰かに代わってほしいと思いましても誰も私のいのち、人生を代わることは出来ません。私自身が引き受けなければなりません。ですが、私ではどうにも出来ない事もありうるのです。

 

「生きるということは、人知れず流す涙があるということ」

 

そう教えられたことがあります。私たちは、それぞれ誰にも言えない思いを内に抱えています。私の心の奥の方には、誰にも見せたことのない悲しみや苦しみが詰まった「心の小部屋」があるのではないでしょうか。

 

その人知れず、流す涙の苦さを知り抜いてくださり、「あなたを独りで泣かせたままにはしない。」と、いつでもどこでも私を独りぼっちにしないためにいのち限りなくなってくださり、はかりしれない光でもって私の心の奥の方にある「心の小部屋」まで光照らし、今、私の人生を共に歩んでくださっている南無阿弥陀仏の如来様が阿弥陀様です。

 

阿弥陀様は、「そのまま、まかせよ。」とおっしゃってくださっています。そのままとはこのまま。病を抱えたなら病いを抱えたまま。老いたなら老いたまま。できるならできるまま。出来ないなら出来ないまま。阿弥陀様は私の生き方を問われません。そして、生き方を問われないという事は、死に方も問われません。

 

「どんな時も、あなたの人生、虚しくせんよ。」と、いつも阿弥陀様がご一緒です。この巡り合わせを共に大事にさせていただきましょう。南無阿弥陀仏。


2021年11月21日〜30日

 

「返しても返しきれぬもの」

 

豊浦西組大専寺 木村智教

 

今年も残すところあとわずか。おとりこし報恩講の季節です。恩徳讃という御和讃がございます。

 

「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし」

 

親鸞聖人が謳われました。

 

「身を粉にしても報ずべし」とは身を粉にして返すのがふさわしい、大悲のめぐみは一生かけて返しても返しきれないということです。返しても返しきれないほどの恵みに生かされていることを、日頃の暮らしの中で私達は忘れているのではないでしょうか。

 

「マサイ族の死体の葬り方(文化の違い)」という青年海外協力隊のレポートがあります。筆者は測量技師の塩見日出勝さん。昭和42年にケニアに派遣され、原住民マサイ族の葬儀に大きな衝撃を受けました。彼らはサバンナの地に死期が近づいた仲間を置き去りにする。塩見さん。はじめは野蛮だと嫌った。しかしある時、なぜこういう葬り方をするのか彼らに訪ねると、「塩見!我々マサイ族はこのサバンナに生活させていて頂いている、ライオンやハイエナに食べてもらいそのエネルギーがまた、明日の大地を潤わし駆け巡り続けるのだ。」と聞きました。これには自身もサバンナの大地に葬られたいと思うほど感動しました。一生をこの地に生かされていることを肌身で感じ、暮らしの中に理屈ぬきでそのことが息づいているのです。

 

如来様は南無阿弥陀仏の声となってこの一生を共にしてくださいます。その素晴らしさは返しても返しきれず、お礼を申しても申し尽くせません。だからこそ、そのことを生涯かけてお伝え下さった親鸞聖人の御命日を機縁としてお礼を申すご法要。それが報恩講です。今年も大切にお勤めさせていただきましょう。


2021年11月1日〜10日

 

熊毛組光照寺 松浦成秀

 

 「解脱の光輪 きはもなし 光触かぶるものはみな

 有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ」とあります。

 

現代語訳しますと、

 

束縛から解き放ってくださる如来の光明は、いつの時代にも、どんなところでもはたらいていてくださっている。

 

この光明にふれるものは、有れば有で苦しみ、無ければ無いといって悲しむことから解放されると、『讃阿弥陀仏偈』には述べられている。

 

私たちに平等をさとらせてくださる阿弥陀仏に帰命してたてまつれ。

 

とお示しです。阿弥陀様は私たちに平等の救いをもたらしてくださる仏さまです。

 

先日5歳の息子の保育園の運動会がありました。運動会の最後に頑張った子供たち全員にがんばったで賞の記念のメダルが贈呈されました。たくさんの子供たちがそれぞれ様々な表情を見せながら担任の先生にメダルをかけてもらっていました。一人ひとり担任の先生に褒めてもらいながら握手をされ優しい言葉をかけられて、笑顔を浮かべる子、緊張していた表情を緩ませる子、中には運動会を迎えるまでの緊張を思い出したのか、または緊張の糸が切れたのか、涙ぐむ子もいました。天気のいい日でしたから、もらったメダルをお日様にかざしてキラキラする様子をお友達と比べる子、オリンピックの影響かメダルをかじる子もいました。本当に一人一人の子が多種多様な反応を見せてくれる中で、誰もが大きな行事を達成した喜びに胸を張っているような、成長を感じさせてくれる誇らしげな表情を見せてくれていました。

 

もしもこのメダルがかけっこで一番になった人だけ、良い成績を修めた子供だけがもらえるとしたらどうでしょうか。もらえた子はうれしいでしょうが、もらえなかった子はうれし涙ではなく、悔しさや悲しさの涙を流す子もいるでしょう。優れた子だけ選ばれるということはそれから選び捨てられる、もれ落ちるものがいるということです。阿弥陀様の救いは十方衆生を平等に救い取ってくださいます。どのような命をも一つも漏らさず浄土におさめ取られるのです。


2021年10月21日〜31日

 

「阿弥陀さまの願い」

 

宇部小野田組淨円寺 日髙殊恵

 

 阿弥陀さまの願いとは「あなたを必ずお浄土に生まれさせるから、この阿弥陀にまかせよ」ということであります。

 

皆さんは、お浄土へ行くには何か善いことをしないといけないの?何か条件があるの?と思ったことはありませんか?

 

私はよく本を買うのですが、全部読まないうちに、また違う本を買ってしまうのです。この本は何かの参考になるかな?あの本はとりあえず買っておこう。そして読み終えることのない本が、積みあがってしまっています。

 

手に入れてしまうと次の物が欲しくなる。水を飲んでも、喉の渇きが満たされることがないような、どこまでも欲の尽きない私であります。

 

また、ある日には愚痴をこぼし、ある時には笑顔から一瞬で、鬼のような形相になる事も。

さまざまな欲望や感情に振り回されているこんな私の行動は、決して善い行いには思えません。

 

しかし阿弥陀さまは、善い行いをしないとお浄土へ往生はできませんよとは、おっしゃってはおられません。

もしお浄土への往生が、私の行いという条件付きであるならば、必ずもれてしまうのがこの私です。

どんな条件も付けられることのない阿弥陀さまのお救いは、まさに煩悩だらけの凡夫である、この私のためでありました。

 

阿弥陀さまは願われたのです。

 

「あなたが変わらんでもええんよ、そのままでええんよ、この阿弥陀があなたを救える仏となりましょう。だからどうかまかせておくれよ。あなたを見捨てるようなことがあるならば、私は阿弥陀と名告らない」とまでお誓いくださり、すでに「南無阿弥陀仏」と仕上げてくださいました。

 

いつでもどこでもどんなときであっても「南無阿弥陀仏」と、おはたらき続け、ご一緒くださいます阿弥陀さまのおこころを、お聞かせいただくことであります。


2021年10月11日〜20日

 

美祢西組正隆寺 波佐間正弘

 

 先日、「手紙が届いているよ」と言われました。開けてみるとそこには「中々会うことができませんが、元気にしておられますか?この度引っ越しをしました。また落ち着いた時には遊びに来てください。」と書かれてありました。

 

「ああ、引っ越しをされたのか」と思い、差出人の名前を見ましたが覚えがありません。住所を見て大学生の時の知り合いかな?それとも同級生だろうか?と考えましたがやはりわかりません。

 

困ったなと思い、ふと宛名を見てみますとそこには父の名前が書いてありました。

 

私と父は漢字が1文字違いです。「手紙が届いている」と言われ、しっかり見ずに封を開けたので私宛ではないこの手紙は、私には覚えのない意味のない手紙でした。

 

封をし直してなにもなかったように父に渡しました。

 

この時ふと以前聞かせていただいた稲城和上のご法話を思い出しました。

 

稲城和上はお取次ぎの中で「お経は手紙だ」とおっしゃっておられました。そしてこれは誰から誰に宛てられたものかというと「阿弥陀様から私への手紙である。浄土三部経は阿弥陀様から私への手紙をお釈迦様が代筆くださったのです。教行信証は親鸞聖人が御文章は蓮如上人が阿弥陀様から私への手紙を代筆くださったものです。」とお取次ぎくださいました。

 

どんなに優れた内容であっても、どんなに大切なことが書いてある手紙であっても宛名と差出人がわからない手紙はなんの意味もありません。私が開けてしまった手紙は父に宛てられた手紙だったので私にとっては意味のないものでした。しかし父にとっては親交のある大切な人からの大切な手紙でした。宛名と差出人があって初めて大切なお手紙となります。

 

お経の中に説かれてあることは、はるか昔にどこかの誰かに宛てられたものではなく、今ここ、この私に宛てられたものです。どこのだれのためでもない、この私のために阿弥陀様から宛てられたお手紙が御文章であり、教行信証であり、浄土三部経であります。

 

私に宛てられたお手紙といただいていかれた親鸞聖人や先人方のように私も縁に触れ阿弥陀様から私へのお手紙をお聞かせいただきたいと思うご縁でありました。南無阿弥陀仏


2021年10月1日〜10日

 

「私たちの愛と仏さまのお慈悲」

 

宇部小野田組西秀寺 黒瀬英世

 

 今年の24時間テレビの司会は、キング&プリンスというアイドルグループが務めておりまして、連れ合いがそのグループの大ファンなので私もそれに付き合わされて放送を見ておりました。24時間テレビのテーマは「愛は地球を救う」です。テレビの中では愛に関する様々な事柄をテーマに番組が進んでいきました。

 

しかし仏教においては、私たちの愛とは差別の心であり、「煩悩」であると説かれます。たしかに、愛という心を深く考えてみると、それは特別扱いのことです。「私はあなたを愛しています。」という言葉を言い換えると、「あなたは他の人間とは違う特別な存在です。」ということです。その心は「あなた以外」を否定し、「あなた」と「あなた以外」を差別する心であるわけです。それは仏教の「一切平等」という世界観から大きく離れた心であるので、仏教では「煩悩」と表現され、無くしていくべき心であると説かれます。

 

しかし、私たち人間は愛なしでは生きてはいけません。私は現在、お寺と一緒に保育園も預からせていただいており、お寺のお参り等がないときは毎日保育園に勤めています。そしてそこに通ってくれる園児の表情を見ていて思うのが、その子達は本能的なレベルで人から受ける愛情を求めているということです。その欲求がみたされて幼少期を過ごすか否かということは、その子の人格形成に大きな影響をもたらします。

 

「他の子なんてどうでもいい、自分だけを見てほしい。自分だけを愛してほしい。」そんな利己的とも思える心を満たしてあげることが、子どもたちにとっては何よりも大切なことだと思います。特に乳児と呼ばれる0歳から2歳くらいのお子さんは、そういった愛情が何よりも必要であり、それを受けることにより、動物から人間になっていくものです。つまり人間の心は煩悩によって育まれ、それによって育まれた心もまた煩悩であるのです。

 

そういった意味でも親鸞聖人は自らを煩悩から離れがたい身であると表現されたのではないでしょうか。そして、そんな煩悩そのものと言ってもいい私たちを必ず救うと立ち上がって下さったのが阿弥陀如来という仏さまです。阿弥陀如来は、仏教の真実である一切平等とは真反対の、愛を求め愛に迷う私たちこそ救いの目当てであり、必ず救うと願って下さった仏さまです。その願いこそが仏さまのお慈悲であり、そのお慈悲を聞かせていただくことが浄土真宗の仏道であります。これからもともどもに聞かせて頂きましょう。


2021年9月11日〜20日

 

「蓮華化生の音」

 

防府組万巧寺 石丸涼道

 

大賀ハスという花を御存知でしょうか。この花は大賀一郎という博士が2000年前の遺跡から発掘した蓮の種から育てた花です。山口県では、周南市の万葉の森、美祢市の大仏ミュージアム、そして山口大学などでも見る事ができるそうです。以前、私のお預かりしている御門徒の方に、山口大学の近くに住んでいる方がいらっしゃいました。その方は、早朝の散歩を日課にされているという事で、その大賀ハスの蓮池の側もよく通っておられたそうです。その方にこのように聞かれたことがあります。

 

「ご住職、蓮の花が開くときの音を聞いたことがありますか?」

「蓮の花が開くときに音が鳴るんですか?」

「大賀ハスは早朝に咲くんですけど、咲くときにポンっと音が鳴るんです。花も綺麗ですけど、この音が何とも言えない心地の良い音なんですよ」

 

そう教えて下さいました。

 

法照禅師という方の『五会念仏法事讃』というお聖教に、「この界に一人、仏の名を念ずれば、西方にすなはち一つの蓮ありて生ず」とございます。私が南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とこの世界でお念仏をすると、極楽に一つ、蓮の蕾ができるそうです。この蕾は極楽における私の指定席です。命終わって極楽に参るとその蓮の花が開いて、そこに仏様となった私が生まれてくるといいます。

 

皆様もいずれ、命終わって極楽に参る事と存じますが、その時に覚えていたら耳を澄ませてみて下さい。きっと、ポンっという心地の良い音が聞こえるはずです。

 

浄土真宗というご法義は、その極楽浄土に参る事を楽しみにしながら、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と感謝のお念仏の生活をしていく宗教です。今日も、何十、何百の蓮の蕾が極楽に生じている事を慶ぶ事でございます。


2021年9月1日〜10日

 

「お法に出遇えた慶び」

 

華松組安楽寺 金安ちづる

 

阿弥陀様は、大切な方が、いのち終えても、それで終わりでなく、必ずお浄土に生まれ、「南無阿弥陀仏」と お念仏の仏さまとなって私に入り満ちて下さいます。

 

私事ではございますが、前住職であった父が、今年の6月末に93歳で「往生」いたしました。その中で、通夜・葬儀を終えて、四十九日のご法事でご挨拶下さった総代長様のお言葉がとても心に残りました。

 

始めに「前御住職のお姿が見えなくなり、お念仏の声が聞こえず、寂しい思いで一杯であります。」とお話下さいました。長年共に歩んでくださったからこそ、そのようにお話して下さることを有難く感じました。

 

しかし、それだけに終わらずこんなことをお話くださいました。

 

「葬儀当日、出棺前に、若院様が『南無阿弥陀仏』とお名号が書かれた書を持っておられました。何をされるのだろうと思い、尋ねてみると、前御住職が『自分が、往生した時は、書いておいたお名号の書をお棺の中に一緒に入れておくれ』と申しておられたそうです。

 

そのお名号の書が、お棺の中の前御住職にかけられたその姿を拝見し、ふと御遺体に目が向きがちな私たち凡夫のために、如来さまがいつでもどこでもおいでになって下さっているのだなと気づかされ、前御住職もお浄土に還られ、お浄土から私たちに向け、如来さまの真実を知らせんがためにおはたらきくださっていることでしょう。仏様の願いを聞き、お念仏を依りどころに生き抜きたいと思います。」とご挨拶下さいました。

 

このご縁を通して、お法に出遇い、我が身にかけて聞かせて頂くことの大切さを改めて教えて頂きました。さらにこのお法に出遇うことができたからこそ大切な方とのお別れもただただ悲しいご縁だけに終わらず、悲しみの中にも

 

阿弥陀様のお慈悲の中であったと聞き開かれていくようにお育て下さっていることを有難く思うばかりでありました。


2021年8月21日〜31日

 

「それでいいありがたい」

 

宇部小野田組浄念寺 吉見勝道

 

ある日のお参りのこと。その日は私とそのお宅のおばあさんと二人でお勤めを致しました。

お勤めが終わるとお茶を頂きながら、そのおばあさんが言います。

 

「お寺さん、私はもう歳をとってつまらんくなってしまった。脚は悪いし、耳は聞こえんし、ものは忘れるし。はあもうホントに歳とってつまらんくなりました。」

 

おばあさんとひとしきりお話して「それでは。」と私が帰ろうとすると、おばあさんは思い出したように奥に行って、あるリーフレットを持って来られました。それは以前、ご本山より頂いたもので、このような内容でした。

 

「それでいい」ありがたい

さまざまにいろいろあって 喜怒哀楽の中 生きて老いて 死んでいく

「このまま死んで行きさえすりゃ 仏(おや)のところだけのう」(足利源左)

なごりおしく思えども この世の縁がつきる時 力なくして終わるとき 死んでいく

死んでいくそのままが救われていく私 安心できない死にたくない 愚痴無智のまま

「そのままでいい」と聞かせていただき安心する

その時がくればその時の姿のまま死ねばいい

格好などつけられるものでもないだろう

「それでいい」ありがたい

 

おばあさん「私はこの言葉に救われましたわいね。」目に涙を浮かべながら、それはどこか嬉しそうな安心したお顔に見えました。

 

そのまま救われていくとは、その裏に、そのままにしておかない阿弥陀さまのご苦労があります。南無阿弥陀仏、名の仏、私の上で声の仏と成っておいでくださっています。

 

「あなたが歳をとっていこうとも、病に倒れていこうとも、どんなあなたであっても私がいつも一緒だよ。大丈夫だよ。」変わっていく私に変わらぬ阿弥陀さまが今、ここにご一緒です。


2021年8月1日〜10日

 

「今を大切に、今日を丁寧に」

 

白滝組專修寺 高橋 了

 

 夏休みは例年ならば花火大会や、海水浴、旅行など楽しいことだらけです。夏休みの宿題は終わりましたか。昔の私は最後の日の夜まで宿題をしていました。初めの頃は張り切って描いていた絵日記も、気がつけば真っ白。一週間前の天気など覚えているはずがありません。工作はやっつけ仕事。お恥ずかしいことです。

 

こんな言葉に出会いました。

 

「夏休みがまだまだ続くと思っている人は今日を虚しく過ごす。夏休みが終わることを知っている人は今日を大切に過ごす。」

 

夏休みがまだまだ続くならば、一見楽しそうですが、大切なことを後回しにしてしまいがちです。夏休みが終わることは少し寂しい気もしますが、今すべきことを大切にすることができます。

 

そして「夏休み」を「人生」に置き換えてみるとどうでしょうか。

 

「人生がまだまだ続くと思っている人は今日を虚しく過ごす。人生が終わることを知っている人は今日を大切に過ごす。」

 

では、私たちの人生の宿題はなんでしょうか。今、大切にすべきことを改めて問われます。本願寺第8代蓮如上人は「仏法には、明日と申す事、あるまじく候う。仏法の事は、いそげ、いそげ」と仰せられました。

 

私たちの人生の限りは、今日とも明日とも分かりません。死から目を背けて、まだまだ人生があると思っていると、大切なことを忘れて今を虚しく過ごしてしまいます。この私に南無阿弥陀仏と至り届いてくださったおはたらきの中に「終わっていくのではなく、お浄土へと生まれ往くいのちである」と、私のいのちのよりどころを聞かせていただきます。

 

「今、急ぐべきは仏法聴聞である」と蓮如上人は教えてくださいました。

 

お念仏の中で、今を大切に、今日も1日丁寧に生活をさせていただきたいと思います。


2021年7月11日〜20日

 

「弥陀成仏のこのかたは」

 

邦西組照蓮寺 岡村遵賢

 

 百年前と、現在とを比べたら、誰の目にも、現在の方が遥かに便利な世の中に映るでしょう。交通手段にしろ、スマホにしろ、新しい物が次々とつくられ世の中は常に新しい方向へと向かっています。

 

古くなったモノは、やがて、使われなくなり、忘れられます。最も新しいものが、最も良いものならば、古ければ古いほど、質の悪い、つまらないものになります。これから百年後、現在の最新作も、古くつまらないものと言われる日がくるでしょう。

 

浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、今から800年前のお方です。親鸞聖人は、浄土三部経によって、南無阿弥陀仏の真意を明らかにしてくださいました。浄土三部経を説かれたお釈迦様は、今から2500年前のお方です。浄土三部経には、南無阿弥陀仏のおいわれが示されています。南無阿弥陀仏は十劫が昔から私にむけられた阿弥陀様のはたらきです。

 

「弥陀成仏のこのかたは、今に十劫をへたまへり」とお正信偈の際に唱えます。阿弥陀様が、「彷徨い沈みゆく衆生を必ず救う」というご本願を完成されたのは、十劫という、数字では示せないほどの大昔のことでありました。何が古いと言ってもこれほど古いものは存在しません。果たしてつまらないものでしょうか。

 

昭和五十七年に七十で亡くなった、ウイルス学者であり、お念仏者でもあった東昇さんが、

 

「宗教の言葉は、時代を超えて響き、科学の言葉は時代と共に変わる」とおっしゃっています。

 

人工知能、宇宙開発、ワクチン開発、新しくなり続ける科学が、完成する日はくるのでしょうか。どんどん複雑になる世の中に、久遠劫来変わらぬお念仏が響きます。

 

お念仏は、未完成品ではありません。煩悩具足の凡夫が浄土に参る、私が仏になるご法義は、阿弥陀様の方で既に「南無阿弥陀仏」と完成してくださっていました。

 

時代は何処へ行こうとしているのかわかりませんが、私の行く先に、もう心配はいりません。お念仏に、聞かせていただきましょう。

 

称名


2021年7月1日〜10日

 

「独りではない人生」

 

防府組明照寺 重枝真紹

 

 私どもは浄土真宗、「阿弥陀様がいつでもどこでも私とご一緒くださっているよ。」とお聞かせいただく宗教です。

 

新型コロナウイルスを聞くようになり、一年以上経ちます。この頃、ワクチンを接種された方にお会いすることが増えました。「どうでした?」とお伺いいたしますと、返ってくる言葉は三者三様、人それぞれ、様々です。

 

ひとえにワクチンを接種と言いましても、人それぞれ、様々であり、何より、私がどうなるかは接種してみないとわからないというのは、何とも落ち着かないものです。

 

思えば、このわからず落ち着かないというのは、ワクチンを接種という事柄だけでなく、人生には多々ございませんか。進学、就職など新たな環境に身を移す時でしたり、体調が優れない時など。また、自分で決めた事と思いましても、思いがけないことや思い通りにならないことが起こり、揺れ動くのが私というものです。不安というものが付きもので、不安を抱えては思う結果となり一安心、でもまた不安を抱えてはと、人生にはそういうところございませんか。

 

私達は様々で、それぞれ不安を抱えて人生を歩んでおりますが、その私達のありようを見抜かれ、私達のことを全てわかってくださっては、「あなたを決して独りぼっちにはしません。安心して生き抜いて欲しいから、そのままのあなたを救える仏になるよ。」と私達一人一人をひとり子のように思い願い、その願いを成し遂げられ、願い通り、今、南無阿弥陀仏「我にまかせよ。必ず救う。」と、おはたらきくださっている仏様が阿弥陀さまです。

 

私の身に入り満ちて、私の口から溢れでて、私の耳に聞こえる南無阿弥陀仏。その南無阿弥陀仏が仏様そのものであり、私とご一緒くださっている証です。

 

「私のことをわかってくださっている方が、いつもご一緒くださっている。」

 

もう決して独りぼっちではありません。不安を抱えては一安心、不安を抱えては一安心といった私の人生を貫いて、阿弥陀様は、大きな安心を私に与えてくださっています。

 

このめぐりあわせを共に大事にさせていただきたいと思います。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


2021年6月11日〜20日

 

「煩悩具足の凡夫」

 

厚狭西組善教寺 寺田弘信

 

 山口県にある有名な水族館といえば、下関市の海響館、そして周防大島町のなぎさ水族館のふたつです。そのうち海響館は展示されているフグの種類が世界一の水族館です。現在地球上に存在が確認されているフグ目魚類の種類は約四四〇種で、そのうち約一〇〇種近くが海響館に展示されています。

 

フグの仲間には毒を持つものも多く、なかでもトラフグはご存知だという方も多いのではないかと思います。トラフグを調理するには、ふぐ調理師という特別な資格が必要になります。トラフグを食べられる部分とそうではない部分に分けてもらうことで、私たちは毒があるけれども美味しいトラフグを食べることが出来るのです。

 

さきほど、トラフグには毒があるといいましたが、じつは生まれたばかりのトラフグには毒はないのです。トラフグが餌を食べて生きていくなかで、その餌に含まれる毒の成分を自分の身に蓄えてしまったものが、フグ毒の正体なのです。

 

そう考えるとトラフグはいいなぁと思います。何故かといいますと、毒はフグ毒ただひとつ、また生まれた直後はその毒すらもありません。さらに毒を持つようになっても、その場所は特定の部位に限られています。

 

では私たち人間はどうでしょうか?私たちは貪欲・瞋恚・愚痴という三つの毒を持っています。しかも生まれたての赤ん坊から、その命終えるそのときまで、その毒がただのひとつも、少しも欠けることも、なくなることがない私たちです。どこをとっても煩悩まみれの私たちです。そんな私たちのことを「煩悩具足の凡夫」とか「煩悩成就の凡夫」といいます。

 

親鸞聖人さまは「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」と仰せになられました。多くの煩悩をかかえ、自分自身の力ではどれひとつ無くすことも、減らすことも出来ない……そんな私たちは、本来地獄行き間違いなしの存在です。そんな私たちを見捨てることが出来ない!そんな私たちこそが救いの目当てである!と、名乗りをあげてくださったのが阿弥陀さまです。そのたしかなおはたらきが「南無阿弥陀仏」の名号となって、私やみなさまに届いてくださっています。すでに阿弥陀さまの救いに出遇っていることが、私たちの安心となってくださいます。


2021年6月1日〜10日

 

「私が愚かになる教え」

 

宇部北組萬福寺 厚見 崇

 

 一般的に、宗教や仏教は、賢く善い人間になるよう努力する教えだと思われています。しかし、浄土真宗のみ教えは、逆に、私が愚かになる教えです。

 

私は、大学生の頃、考古学の勉強をしており、今から2000年前の弥生時代の竪穴住居について調べていました。当時の住居は、形は円形、四角形、多角形など様々あり、大きさの違いもありました。住居跡から出土した土器や石器などを分析して、それぞれの住居の役割などを研究するのです。そうして、ようやく卒業論文を書き上げました。多少、人に悪い点を指摘されても、自分なりにも頑張ったので、それなりに良いものが出来たと思っていました。

 

それから10年くらい経ったあと、自分が書いた卒業論文を見返すことがありました。愕然としました。何とも不十分な内容で、結論もおぼつかないものでした。今では、よく卒業させてもらえたなと恥ずかしく思います。しかし、大学生の頃は、その愚かさに気づいていませんでした。そればかりか、論文を批判されると、あの人は分かっていない、自分の方が正しいと思い込んでいました。自分の方が賢く善い、努力した人間だとふるまっていたのです。でも、真実を知っている人からすれば、それは嘘の姿にしか見えなかったでしょうね。本当は、私の方が間違いで、愚かであったのですから。

 

これは仏と成る仏道修行にも同じようなことがいえます。私は、賢く、善い人間になるよう努力する姿をみせることも、出来やしないのです。なぜなら私の心には、愚かさしかない愚者であるからです。親鸞聖人は、師である法然聖人から「愚者になりて往生す」と聞かせてもらったとお示しです。あらゆる縁で、私の愚かさに気づかされ、愚者になっていく。阿弥陀仏は、その愚かな愚者でしかいられない私をこそ、浄土へ往生させ、仏にしたいと願い、はたらき続けておられます。それが浄土真宗のみ教えです。


2021年5月21日〜31日

 

「月影のいたらぬ里はなけれども」

 

美和組超専寺 田坂亜紀子

 

 以前、電車好きの友人と電車の運賃の話題になった時のことです。

 

私の地元山口県岩国市は広島県との県境にあります。そこを走るJR山陽本線は、岩国―広島駅間の運賃が現在770円です。大学時代、京都に下宿することになった時、驚いたのが電車賃の安さでした。その頃よりは値上がりしましたが、JR京都線は現在京都―大阪駅間が570円です。走行距離はどちらも40㎞ほどなのに、片道200円も違う。そこを比較して、

 

「私の地元は電車賃が高い!」

 

と話したところ、友人は、

 

「あんたはものの値打ちが分かっていない。」

 

と、ぴしゃり。

 

「岩国駅と広島駅を結ぶあの電車は対岸に安芸の宮島を臨む瀬戸内の絶景を見せてくれる。それもどの車両にもボックス席が設置されていて、ビールでも飲みながら車窓の景色を楽しませてくれるんだ。あんた、あの車窓の景色をちゃんと見たことがあるか?770円、俺は高くないと思うけどね。」

 

とのこと。ぐうの音も出ませんでした。地元だからとちゃんと景色を見たことがなかったからです。電車に乗っている間視線はどこを向いているかと言えば、大抵スマホです。すぐ側にあるものが全く見えていなかったんだなと教えられました。

 

親鸞聖人のお師匠様である法然聖人は、

 

  月影の いたらぬ里は なけれども

  ながむる人の 心にぞすむ

 

と詠われています。

 

月の光は、阿弥陀さまのお慈悲を表します。阿弥陀さまは月の光のようにやさしく澄んだお慈悲で、すべてのいのちを包み込んでおられるけれど、その中にありながら私たちの視線は、心はどこを向いているでしょうか。その私たちにお聴聞が勧められて参りました。

 

電気もなかった頃、お寺の夜座にお参りしお聴聞された方々は、月夜であれば暗い夜道を月の光をたよりにお念仏しながら家路に着いておられた、という話を聞いたことがあります。その姿を想像すると、なんて豊かな世界を生きておられるんだろうと思います。

 

今も昔も変わらぬ月夜があるように、変わらない阿弥陀さまのお慈悲の中に私たち一人一人の命があります。友人に「あんたはものの値打ちが分かっていない」と言われた私は、今・ここを生きているこの命すら分かっていない頭で値踏みしているのかもしれません。みなさんはいかがですか?

 

その私たちを照らしてくださるやさしい光があること、お念仏申す中に感じてみませんか?


2021年5月11日〜20日

 

熊毛組光照寺 松浦成秀

 

「煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」と親鸞さまは高僧和讃、源信讃の中の一首でおしめしです。現代語訳しますと、「煩悩に眼がさえぎられて、おさめ取ってくださる阿弥陀如来の光を見ることができないけれども、大慈悲心は怠ることなく、常に私の身を照らしているのである。」です。

 

少しずつコロナウイルスワクチンの接種が進んでまいりましたが、感染者数がまだまだ減少せず、予断を許さない状況です。社会全体がどことなく不安に覆われている時代といえるのかもしれません。しかし、このような時代だからこそ、お念仏のおみのりに出会えた喜びを噛みしめることができます。

 

人類の歴史は飢餓や感染症との闘いの歴史ともいえます。お釈迦様、七高僧様、親鸞様、蓮如様のそれぞれの時代に、様々な病が流行してきたわけであります。日本でも約100年前の大正時代、1918年から1920年にかけて、世界的な流行と同時にスペイン風邪という感染症が流行しました。世界の人口が約20億人足らずの時代に5億人の方が感染し1億人の方が亡くなりました。日本の人口が5500万人の時代に約2400万人が感染し、約40万人の方が亡くなられているという記録が残っています。たまたまご縁のあったお寺さんにお聞かせいただいた話ですが、約100年前ということで、ちょうど100回忌のご案内を出される関係で、調べますとその当時、前後の年と比べると例年の2倍から3倍の方が亡くなられていたそうです。まだ医療技術も未発達でありましたし、物質的にも豊かでなかったわけですから当然のことといえるかもしれません。しかしながら先人たち、その時代を生きられたご先祖様方は浄土真宗のおみのりを人生の支えとしながら、あまたの困難を乗り越えてこられたわけであります。

 

コロナ前とコロナ後で社会全体が大きく変わっていく中で、どことなく人と会うのにも気を使い、不安の時代を生きています。しかしそのような時代を現実に直面するからこそ、おさめとって捨てないと、この闇を破る光明に出会えたことが有難いです。無明の闇を破する恵日に、阿弥陀様のぬくもりをいただき、光をいただき、この大いなる困難をお念仏の中で乗り越えていきましょう。


2021年5月1日〜10日

 

「仏様のはたらき」

 

宇部小野田組法泉寺 中山教昭

 

昔から、「仏様のはたらき」とご法話の中で聞かせていただくことがよくありました。私も当たり前のように口にしておりました。しかし、「仏様のはたらき」とはなんなのか、と聞かれたことがありました。人間が働いている姿は目に見えるけど、仏様がはたらいているのかどうなのかは目に見えないし、分からない。と言われて何と答えたらいいだろうかと思っていたんですが、ある先生に聞かせていただいた話が私の中で腑に落ちたんです。

 

仏様のはたらきというのは、たしかに目には見えないけど、ちゃんとはたらいているんです。身近なところにも似たものがあります。風はどうですか。風は目には見えないけど、草木がなびいたら、風が吹いているのが分かります。電波はどうですか。電波も目には見えないけど、ラジオやテレビ、ネットが繋がれば、電波が届いていることが分かります。ウイルスはどうですか。ウイルスも目には見えないけど、熱や咳。鼻水が出たら、ウイルスが体の中に入ったことが分かります。同じように、仏様のはたらきも目には見えないけど、お寺に参ったり、手を合わせたり、お念仏を称えたりしたら、仏様のはたらきが今ここに届いていることが分かります。しかし、仏様のはたらきと風、電波、ウイルスとでは決定的に違うところがあります。風は草木がなびいていなければ、風は吹いていない。電波もラジオやテレビ、ネットが繋がらなければ、電波は届いていない。ウイルスも熱や咳、鼻水が出なければ、ウイルスは体内に入っていない。しかし、仏様のはたらきは、お寺に参るときや手を合わせるとき、お念仏を称えるときだけ届いているんじゃないんです。お寺に参るときや手を合わせるとき、お念仏を称えるときに仏様のおはたらきが届いていることを実感できるだけで、仏様のはたらきはずっとずっとはたらき続けているんです。ちゃんと届いているんです。お寺に参っていなくても、手を合わせていなくても、お念仏を称えていなくても、ずっとずっとはたらき続けているんです。

 

このような話を聞かせていただきました。私が仏さまのことを考えるのは、お寺に参るとき、手を合わせるとき、お念仏を称えるときくらいですが、仏様の方は違いました。ずっとずっと絶え間なく、私にはたらき続けてくださっているようです。私が食事のときも、仕事のときも、寝ているときも、はるか昔から、これから先もずっと常に私にはたらいてくださっているのでありました。私が仏様のことを考えなくても、忘れてしまっても、私のことを考えないことはないですよ、忘れることはないですよと阿弥陀様は仰ってくださいました。


2021年4月21日〜30日

 

「覩見」

 

美祢西組正隆寺 波佐間正弘

 

 娘が生まれ5ヶ月が経ちました。生まれた時に病院からいただいた帽子は今ではかぶることができません。服のサイズも50というサイズを買ったかと思えば入らなくなり、60も小さくなり、70というサイズが合うようになってきました。寝ているだけであった子が今では座ったり、離乳食を食べるようになりました。日々移り変わる子どもの姿に諸行無常の理を聞かせていただいておることであります。

 

新型コロナウイルスが流行してから外出することがなくなりました。必要なものだけを人の少ないお店に買いに行きます。

 

この度子どもの服のサイズが合わなくなってきましたので、久しぶりに県内のデパートに行きました。私は服などには疎いので、選ぶのはほとんど連れ合いに任せます。

 

お目当てのお店に着くとたくさんの子ども服が並んでいました。もう着ることのできない新生児のものや、まだまだ大きすぎるサイズのものまでいろいろなものがあります。

 

いろいろなものがあるのだなと歩いていると真剣なまなざしの連れ合いを見つけました。

 

連れ合いはまず今の娘にピッタリのサイズを確認し、服の見た目はもちろん使われている繊維やどんな使い方をするのかということまで細かく見ていました。

 

子ども服を見る前についでと思い、私の靴下を買いに行きました。そこで「どれがいいと思う?」と聞くとさっと見渡し「これ!」とすぐに決まりました。

 

わが子のために選ぶ時とは大きな違いがあるのだなと思いました。

 

この連れ合いの姿を見ながら「仏説無量寿経」の中に説かれている阿弥陀様のこと思い出しました。

 

阿弥陀様はお浄土を建立される時、二百一十億という膨大な数の仏さま方の国をご覧になられました。なぜこんなにも多くの国をご覧になったのか。それは私の生まれるお浄土に対して一切の妥協ができなかったからでしょう。最高のお浄土にするために隅々までご覧になられたのでしょう。

 

自分のためにではなく、私のために長い長い時間をかけ、善いものを選び、悪いものは選び捨てて最高のお浄土を仕上げてくださいました。どこまでの私のためと願ってくださるのが阿弥陀様であると味わわせていただくご縁でありました。南無阿弥陀仏。


2021年4月11日〜20日

 

「いつか」ではなく「いつでも」

 

華松組西光寺 佐々木世雄

 

 2年程前。友達の結婚式で長野に行きました。久しぶりに会った仲間達と夜中まで懇親を深める中で、タイムカプセルを残そうということになり、手元にあったiPadに一人一人、未来の自分に向けて話を始めます。その中で友達の一人が「最近、人はいつか死んでいくのではなくて、いつでも死ぬ存在だとつくづく思う。未来の俺、『いつか』ではなく『いつでも』死ぬと思って大切に命を生きていますか?」というメッセージを綴りました。学生時代のふざけた様子もなく、いつになく真剣なその言葉とトーンに、集まった宿の一室で一瞬トキが止まりました。

 

友達は放送関係の仕事につき、ディレクターとして世界を飛び回りながら、社会で巻き起こる様々な問題を取材しています。会うといつも、何か面白い情報がないか、ネタがないか、お坊さんの世界はどうなの?と四方八方にアンテナを貼り、本を読み漁り、貪欲に情報を吸収租借しながら視聴者に訴えかける何かを探していました。

 

深くは聞きませんでしたが、取材を進める中で世の中の不条理、貧困、病気、死について、ありとあらゆる人々の苦悩や理不尽さを目の当たりにしたのだと思います。そして、人は「いつか」死ぬのではなく「いつでも」死ぬというのは、様々な事象をその目で見て聞いて、実際に肌で体感したからこそ紡ぎ出された言葉だったのでしょう。

 

15年後くらいに集まって見ようかと、ワイワイ撮り始めたタイムカプセルでしたが、考えてみれば将来全員が集まれる保証はどこにもありません。今、当たり前ではない命を恵まれている。ご法話で幾度となく聞かせていただいた言葉でしたが、改めて気付かされました。仏様の教えは、友達の言葉にも、何気ない日常にも、ウイルスの世の中であっても、実はありとあらゆる所に満ちているのですね。

 

諸行無常の理の中で、ただ今の一瞬一瞬を尊く思えた、有り難い夜でした。


2021年4月1日〜10日

 

「愚痴のすがた」

 

宇部小野田組西秀寺 黒瀬英世

 

 仏教には「諸行無常」という考え方があります。皆さんもその言葉を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。その意味は、「すべてのものは移り変わり、変化していく。」ということです。「諸行無常」とは仏教が仏教である証であり、「諸行無常」を説いていない教えは仏教ではない、と言われるほど大切なみ教えです。

 

今年の桜の開花は例年より少し早めだそうです。私たちは散りゆく桜を見て、「ああ、桜とはなんと儚いものだなあ」と、そのすがたを通してこの世の無常を感じます。たしかに散りゆく桜は、私たちにものの儚さや移り変わる世界の様を感じさせてくれます。しかし、仏教で説かれている「諸行無常」は、散りゆく桜の儚さのみを表現して「無常」と説いているわけではありません。

 

私が今このご法話を収録しているのが三月の半ば頃なので、今の山口県の桜は五分咲きくらいです。ですから皆さんがいま収録されたこのお話を聞いている頃には、満開の桜か、もしくは花が散り始めている頃かもしれません。それも「無常」なのです。

 

それなのに、私たちは「無常」と聞くとどうしても寂しさのようなものを感じがちです。しかし、「諸行無常」ということに私たちの感情は関係ありません。私たちがどう思おうが「諸行無常」はこの世界の真理なのです。それにもかかわらず、私たちはその真理を自分の感情を通して見てします。感情を通して真理を見ることは、「これに関しては変わってほしいけど、これは変わってほしくない。」と自分本位な見方で真理を見ることです。つぼみの桜の時は、早く花が咲いてほしいと願い、花が咲けばいつまでも散ってほしくないと願う。

 

そんな私たちのすがたを仏教では「真実の道理に無知なすがた」として「愚痴」と表現されます。

 

そんな愚かさを見つめていくのもお聴聞の一つのかたちです。これからもともどもに聴かせていただきましょう。


2021年3月21日〜31日

 

美祢西組西音寺 川越広慈

 

 今年も3月11日がやってまいりました。今年で震災から10年です。

 

毎年、この時期になりますと様々なメディアを通して東日本大震災の特集が組まれます。地震が起きた当時に自分が何をしていたか、みなさんもよく覚えていらっしゃるのではないでしょうか。

 

私は当時、大学生だったのですが、地震が起きる前日の3月10日から自動車免許を取るために石川県にある自動車教習所にいっていました。教習所と言っても朝から晩まで講習で詰まっているわけではないので、暇な時間がとても多かったです。私はお昼ご飯を食べてから夕方まですることもなかったので映画を見て過ごしていました。石川県でしたので地震に気づくこともなく、お昼3時過ぎくらいまでゆっくり映画を見ていました。映画を見終わってテレビのチャンネルをまわしていると、どのチャンネルでも衝撃的な映像が流れていました。そこでようやく地震が起きたことに気が付いたのです。しかし、震災が起きたことを知ったからにはぼうっと映画を見てはいられません。ニュースにかじりつき、インターネットなどを通して、当時住んでいた東京がどうなっているのか、友だちは大丈夫か、いろいろな情報を調べていました。

 

震災を知らなかった時のようには過ごせなかったです。

 

今わたしは、阿弥陀さまのお話をお聴かせいただいていますと、お念仏をもうさずにはいられない身となってきました。

 

阿弥陀さまが私のために、南無阿弥陀仏、必ず助ける、我にまかせよという名のりとなって今至り届いてくださっています。私を間違いなく救う仏さまになってくださっているのです。「南無阿弥陀仏」と阿弥陀さまのお慈悲の喚び声を聴かせていただいていますと日々の暮らしが変わってまいりました。こうしてご縁をいただき、今「南無阿弥陀仏」とお念仏もうす生活を送らせていただいているのです。


2021年3月11日〜20日

 

「阿弥陀さまのお心に学ぶ」

 

須佐組浄蓮寺 工藤顕樹

 

私が自坊へ戻ってから、早いもので五年の月日が経ちました。

妻と二人の娘を連れて田舎へ帰った当時、ご門徒さまを始めとする多くの方々からお言葉を頂戴いたしました。

 

「よう帰ってきちゃった。お陰で須佐の人口が四人も増えたわ!」

 

とユーモアを交えながら喜んでくださいました。

 

あれから五年……もしも帰省するタイミングが去年・今年だったなら、はたしてみんなは喜んでくれたのだろうか?

長引くコロナ禍という状況を鑑みた時、ふとそのようなことを考えてしまいます。

 

 昨年は初盆や年忌のご法事に関して、県外に住む子・孫の帰省についての是非を尋ねられることが多くありました。

 

「今度の法事には帰りたい」

 

という子供の申し出に、

 

「こういう状況だからね……」

 

と断りを入れたものの、果たしてそれで良かったのか判断に自信が持てないということでした。

 

「帰りたい」という思いと「もし感染したら」という不安とが交錯して、その判断をお寺に尋ねたいうことでした。

 

「こういう状況なので、帰省は控えられた方が良いと思います。感染症が落ち着いた段階で、改めてご法事をされても全然問題はありませんよ。」

 

と卒なく答えましたが、

 

「そうですよね……」

 

と寂しそうに呟かれたお姿が印象に残りました。

 

 後から考えてみれば、とても帰省が難しい状況は子供たちも十分承知だったと思います。それでもあえて「帰りたい」と吐露した背景には、「会いたい」という思いがあったからなのでしょう。

 

帰りたくても、帰る場所がなければ帰り様がありません。「おかえり」と迎えてくれる人がそこにいるから、帰りたくもなるのでしょう。そのことによって、たとえ周りから非難されても、自分を受け止めてくれる存在がいてくれるから、そこへ気持ちが傾く衝動に駆られることは致し方のないことだろうと、私は思います。複雑な葛藤の中にあっても、その気持ちを汲んだ上で「よう帰ってきたね」と笑顔で迎えてくれる存在が親なのでしょう。

 

理屈でどれだけ自分を納得させても、理屈だけで生きていけるほどの覚悟を、ほとんどの人間は持ち合わせてはおりません。

 

阿弥陀さまの「智慧」は、そのような私のありのままを見抜いてくださいました。それはそのまま、理想と現実の狭間で揺れ動く歪な私の本性を教えてくださいます。その私の有り様を他人事として黙認することができないというお心を「慈悲」というお言葉をもって教えてくださいます。

 

この「智慧」と「慈悲」とが絶え間無く、ひとつ「いのち」の上に「いま」用き続けてくださる相を阿弥陀と申します。

 

気を張って、精一杯の理論武装をして、コロナに負けてなるものかと意気込む私に、「もっと胸を張りなさい!背筋を伸ばしなさい!前を向いて!前に進んで!もっともっと」と叱咤する訳ではなく、ただ「しんどいね、辛いね」と、そうお声がけくださるのです。それだけです。

 

しかしそのたった一言があるだけで、人はそこにひと時の安心を覚えるのではないでしょうか。

 

阿弥陀さまのお言葉に帰っていける身にお育ていただいた私は、いま目の前にいるお方にどの様な言葉をかけていけるのでしょうか?

 

お互い様に意識をして生きたいことであります。

 

合掌


2021年3月1日〜10日

 

「人間の親とおやさま」

 

下松組光圓寺 石田敬信

 

長い間、うつ病に悩んでいた男性がいました。彼がうつ病を発症したのは高校生の時でした。幼いころから父親に虐待されて、そのことからまぬがれるために勉強に励んだそうです。そして成績があがり、有名な進学校の高校に合格できました。その父親は合格を泣いて喜んだそうです。

 

高校に入ってからしばらくして、何も手がつかなくなり、睡眠もとれなくなりました。そこから20年、いろいろなカウンセリングをうけても完治することはなかったそうです。

 

ある時、アドラー心理学という、今までと違うアプローチの仕方をするカウンセラーに出会い、うつ病を克服したのです。大まかな治療は、自分の本当の気持ちに向き合うということでした。父親からはひどい育てられ方をされたと認めながら、泣いて合格を喜ぶ父親をどこかでかばっていた、ということに気づいたのです。それが自己虐待というもので、そこから嫌なことは嫌だと感じ、不安な時うれしい時、自分の心の感じ方を自覚しながら、無理をしない生き方に変えていったそうです。

 

このアドラー心理学は、少しだけ仏教的な考え方に似ていると感じました。幸せでも不幸でもその選択をしているのは他でもない自分というところや、過去を悔み、過去のトラウマに目を向けて生きるよりも、その過去をどう意味づけして今を大切に生きるかが重要というところ、他者と自分を比べて争い何が足りてないかにこだわるのではなく、自分に与えられたものを活かしていき、自分を認め自分を大切にすることによって、他者を敵と見ず、仲間と感じることで生きやすくなる、といったところです。

 

真宗のお救いは今です、今阿弥陀様に包まれていて安心の中を、自分のできることをその恩に報いてさせていただくのです。阿弥陀様に出逢ったことで、過去がすべてそのための過去であったと転換されていきます。私だけの人生や無駄な過去などなくなるのです。悲しい出来事も暗い過去も阿弥陀様によって、意味が変わっていかされていきます。敵とおもっていた人も嫌いな人も、そこに導いてくれた人に変わります。善知識とお同行は、同じ阿弥陀様に包まれた仲間です。

 

心理学において親は重要な存在です、親の愛情を受けて自己受容、自己肯定ができるようになります。しかし親も煩悩を抱えた存在です、間違えたことをすることもあります。彼のように親によって苦しい生き方になってしまう人も少なくないと思います。

 

阿弥陀様はすべてのいのちあるものの親さまです。自己中心的な煩悩ではなく、すべての人を救いたいという仏の智慧と慈悲をもって、長く永くお考えになられ、強い親心で私の永遠に壊れない幸せを願って、南無阿弥陀仏と、しあがってくださいました。そのおこころを、そのまま素直に聞きうけることが、極上の安心の生き方です、生かされ方です。聞きうけるようにお育てくださるのも阿弥陀様なのです。私の選択ではないのです。 (参考「嫌われる勇気」「僕が僕であるためのパラダイムシフト」)


2021年2月21日〜28日

 

「弥陀の喚び声」

 

華松組安樂寺 金安一樹

 

 私はお坊さんになる前、鉄道会社で車掌として働いたことがあります。列車の最後部で「次は博多~」とアナウンスし、お客様対応するあの人です。働いていると、事故など異常時に遭遇し、ときには数時間車内に閉じ込められたこともありました。

 

こんな時、車掌は本当に大変です。忙しいから大変ではなく、お客様と同じように、車掌も何が起きているのか分からず、対応をしなければならないからです。おまけに乗車しているお客様は、時間通りに到着しない苛立ちと、いくら待っても運転を再開しない不安で、車内はまさに険悪な雰囲気になります。

 

そんな時はと、先輩から教えられたことがあります。「わずかに入る情報を、たとえ同じ情報であっても、こまめにアナウンスすること。今こういう状況です。何時の運転再開を目指していますと。お客様は、今自分が置かれている状況やこれからどうなるのかを聞くことで、目的地に着くために動いてくれているのだと安心することができるからだぞ」と教えてくれました。実際にこまめにアナウンスをした時と、怠った時ではお客様の様子が驚くほど違うのです。

 

人生でも、なんでこんなことが起きるのだろうと思わぬ異常時に遭遇することがあります。「いま私は何をしているのだろう。何のために生きているのだろう。」と、現実に迷い、向かうべき方向性も見失い、不安が増幅して、悪循環が生まれていく。そんなとき、常に自らを喚び覚ましてくださるものに出遇っているか、いないかでは大きな違いがあることでしょう。

 

阿弥陀様は、迷いの中にいる私の現在地を知らせ、向かうべき目的地はお浄土と、私を喚び覚ましてくださる仏さまです。「なんまんだぶ」とお念仏聞こえてくるところに、不安の真っ只中でも私のためにはたらき続けてくださっておると知らせ、安心を与えて下さるのです。


2021年2月11日〜20日

 

豊浦西組大専寺 木村智教

 

 『親が死ぬまでにしたい55のこと』という本に「親とメールをする」と題して30代の男性が寄稿していました。ある日彼は一人暮らしの母に携帯電話を贈ります。「いつでも連絡が取れる」と母は嬉しそう。しかしメールを送っても返事が来ない。「送り方がわからん」と母。何度も教えたが一度も返事は来なかった。その後、母は急逝し携帯電話は遺品に。そのメールを見ると宛名はすべて私宛。下書きを遡るとひらがなで「けいたいでんわ ありがとう。めえるはたいへんです。あたまのたいそうみたい」。文字を打つ母の姿を想像し「メールの送り方をそばで教えてあげればよかった」と涙が溢れて止まらなかった。 筆者は振り返ります。

 

筆者が思い浮かべたのはただメールを打つのに悪戦苦闘する母の姿ではありません。その姿を通して私一人への思いを受け止めたのです。その思いに触れたからこそ嬉しさとともに「メールの送り方をそばで教えてあげればよかった」と悔やんだのではないでしょうか。

 

「南無阿弥陀仏」この六字に阿弥陀様の智慧と慈悲が満ち満ちています。南無阿弥陀仏と声に出して聞くままに「大丈夫だ心配するな。私が助ける」と阿弥陀様が告げてくださいます。その偉大なるお慈悲を源に、「嬉しい」と「恥ずかしい」が交わる世界がひらかれます。そのことを先年ご往生された梯實圓和上は「念仏者の人生はまさに慚愧と歓喜の交錯」とお示しくださいました。さあ共々にお念仏申しましょう。

 

南無阿弥陀仏 


2021年2月1日〜10日

 

「アシダカグモ」

 

大津東組西福寺 和 隆道

 

 先日、私が家の廊下を歩いていますと、うちで飼っている猫が、何やら黒いものをおもちゃにして遊んでいるのが目に入りました。私は、「また何か余計なものを捕ってきたのではあるまいか」と思い、猫を追い払うと、そこには、猫によって殺された、大きなクモの死骸がありました。よく見ると、そのクモは、お腹のところに大きな白い円盤のようなものを持っており、それを抱きかかえるように足をたたんで亡くなっていました。「これは一体何であろうか」、気になった私は、インターネットで調べてみることにしました。

 

さて、私がネットで調べたところ、このクモは、アシダカグモという種類のクモであることが分かりました。足を広げると人間の手の平くらいの大きさになるとても大きなクモで、糸を張るのではなく、夜中に家の中を徘徊しながら、ゴキブリなどを食べて生活しているそうです。そして、私が気になった白い円盤状のものですが、これは卵嚢と言って、アシダカグモの卵がいっぱい入った袋なのだそうです。アシダカグモのお母さんは、お腹から出る糸を使って卵嚢を作り、これを口にくわえて肌身離さず持ち運び、卵がかえるその時まで、じっと待ち続けるのです。うちの猫に襲われた、このアシダカグモは、必死に我が子を守りながら、命を終えていったのでありました。

 

さて、『大無量寿経』という経典には、阿弥陀さまが私たち迷い苦しむ衆生のために、大変なご苦労をなさって、南無阿弥陀仏のみ教えを成就なされたことが説かれています。なぜ、そのようなご苦労をなさったのか、それは阿弥陀さまと私たちが親子だからであります。苦しむ我が子を捨てておけないのが親であります。「讃仏偈」の最後には、「たとい身をもろもろの苦毒のうちに止くとも、わが行、精進にして、忍びてついに悔いじ」とあります。アシダカグモのお母さんが、命をかけて我が子を守っていったように、たとえ我が身が毒の中に沈もうとも、かわいい我が子を救うことができるまで励み続けると誓われた阿弥陀さま、今そのご苦労が実って、南無阿弥陀仏のお働きとなり、私の下に至り届いて下さっておられるのです。私たちは、南無阿弥陀仏のお働きと共にこの人生を歩ませていただき、命終わり次第には、間違いなくお浄土に生まれさせていただくのであると、聞かせていただくばかりでございます。


2021年1月21日〜31日

 

「患者とお医者さま」

 

厚狭西組善教寺 寺田弘信

 

 私事ではありますが、昨年私は四十歳を迎えることが出来ました。歳が四十以上になりますと、市のほうから毎年この時期に、特定健診の案内が届くようになります。希望する人は医療機関などで、さまざまな診察を受けることが出来ます。

 

しかし忙しくてなかなか時間を作れない……日頃から健康に気をつけているから必要ない……さまざまな理由で健康診断を受けることに消極的な人もいます。

 

しかし病気のなかで恐ろしいのは、自覚症状のないタイプです。病気が発覚したときには、手の施しようのない、深刻な状態ということもあります。

 

どんな病気も完璧に見抜くことのできるお医者さま……そしてその病気を治すことのできる薬……その両方が揃っているにも関わらず、病気で苦しみ続ける患者がいる……そのようなことが起こる原因はいったいなんでしょうか?

 

それはお医者さまや薬のはたらきを軽んじ、そのはたらきを当てにしない患者自身に問題があるのです。

 

如来の作願をたづぬれば

苦悩の有情をすてずして

回向首ととしたまひて

大悲心をば成就せり

 

先程の話でいえば、阿弥陀さまはお医者さまであり、薬でもあります。患者はわたしたちのことです。わたしたちの誰しもが抱える病気の原因は、阿弥陀さまのおはたらきを素直に受け入れることが出来ず、疑う心です。阿弥陀さまはそれを見抜いておいでのお医者さまです。患者が病院に来るのを待っているお医者さまではありません。薬を患者に手渡したら、ハイそれでおしまい!のお医者さまでもありません。お医者さまと薬のはたらきを疑い続けてきた患者です。阿弥陀さまとそのおはたらきである『南無阿弥陀仏』を疑い続けてきたわたしです。わたしのところまで、阿弥陀さまのほうから来てくださり、このわたしをそのまま救うと告げてくださっています。わたしの疑いの心を取り除いてくださったのも、阿弥陀さまのおかげでありました。南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……


2021年1月11日〜20日

 

「不安な私の、めでたい人生」

 

宇部北組萬福寺 厚見 崇

 

 新型コロナウイルスの感染拡大に、不安をおぼえながら、生きているのが今の私たちです。浄土真宗の宗祖、親鸞聖人がおられた時代、今から750年以上前にも、同じく疫病や様々な災害がありました。異常気象により、農作物の食糧不作や自然災害、疫病の流行などで、多くの人々が死亡していくこともありました。人々は死ぬことを恐れ、なぜこんな事で死なねばならないのかと、不安に思っていました。

 

そんな中、親鸞聖人はお弟子にあてたお手紙の中で、このようにいうのです。人が死ぬことは悲しいことだ。しかし、生まれたからには、いつ、どのような形でも、死ぬことは誰もが避ける事はできません。それは、すでに釈迦さまが説かれていることで、おどろくべきことでもないのです。死に方が問題なのではありません。阿弥陀仏のすくいを信じ受ける信心の定まったひとは、疑いの心がないので、命終えたときには、お浄土へ往生し、安らかな仏になる身に定まっているのです。「さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ」とお示しになりました。仏さまのような智慧もない愚かな私も、仏となる身に定まって、めでたく人生を終えてゆけると、親鸞聖人はお教えくださいました。

 

私たちは、必ず死なねばならないのに、死を恐れ、不安を抱え続けています。そんな愚かな私たちを、阿弥陀仏は、真実に目覚めた安らかな仏にしてみせたいと願い、はたらき続けているのです。その阿弥陀仏の願いを信じ受け、信心定まった人は、安らかな仏となることが定まった、めでたい確かな人生を歩みます。

 

親鸞聖人のご命日に際して、京都の西本願寺では、毎年1月9日から16日にかけて、御正忌報恩講というご法事が執り行われています。インターネット中継も予定されていますので、オンラインで、ぜひお参りください。