テレホン法話2020年

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2020年12月21日〜31日

 

「つながりの中に生かされている」

 

防府組明照寺 重枝真紹

 

「私がさびしいときに、仏様はさびしいの。」

 

山口県の童謡詩人、金子みすゞさんの「さびしいとき」の詩の一節です。

 

幼稚園にて教えられるのでしょう。息子が諳んじては、私に解説してくれます。

 

今年も残りわずかとなりましたが、今もって、新型コロナウイルス感染症の収束の兆しが見えない状況です。「ソーシャルディスタンス。密にならないように。距離をとりましょう。移動を控えましょう。」そういう言葉を連日、聞きます。

 

人に会う、買い物をするといったことに、これだけ頭を使ったのは初めてです。

 

会いたくても会えない。触れたくても触れられない。「子どもが帰省しても玄関先で顔を見せ合うだけでした。」、「病院等の施設におり、面会もできません。」という言葉を聞きます。そして、会いたくても会えないといった状況は、今生の縁尽きる時にも変わらず、「会えないままでした。」とも。

 

今まで当たり前と思っておりましたことが、決して当たり前でなく、有るのが難しい、有り難いことであったと改めて教えられました。

 

思いがけないこと、思い通りにならないことが、この世は多々、起こります。なぜ、どうしてと思いましても縁によって起こり、誰かに代わって欲しいと願いましても、誰も私の人生を代わってくれる方はおりません。私自身のいのちは、私自身が引き受けなければなりません。ですが、独りは、しんどいです。

 

その私の姿を知り抜いてくださり、「決して見捨てない。独りぼっちにしない。我にまかせよ。必ず救う。」と、この私の人生を共に歩んでくださっている仏様が、南無阿弥陀仏の如来様、阿弥陀様です。

 

思いがけないこと、思い通りにならないことが多々起こりますが、仏様のお慈悲が満ち溢れたところに、仏様のお救いの中に、今、生かされているのでもあります。私どもは御同朋、御同行、お念仏で“つながり”をいただいています。この人生を、お念仏とともに歩ませていただきましょう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


2020年12月1日〜10日

 

「仏様の願い」

 

宇部小野田組法泉寺 中山教昭

 

先日、子どもが産まれてお父さんになった友達と話す機会がありまして、こんなことを言っていたんです。「安定期に入った頃から、妊娠したことを知り合いに伝えたら、その度に「おめでとう!」「良かったね!」「楽しみだね!」とみんな自分のことのように喜んでくれて、家族以外の方でも産まれる前から無事産まれてほしい、元気に産まれてほしいと願われているんだなと感じて非常に有難いことだなと思う。けどその中でも、一番大きな願いをかけているのが親であり、お母さんなんだなと感じる。例えば、食事のときは自分が食べたいものよりも子どもの体に良いものを食べるし、子どもの体に負担がかかるものは食べない。飲み物でも、子どもの体のことを考えて、良いものは飲むし、悪いものは飲まない。運動するときも子どもの体に衝撃を与えないように気を付ける。とにかく何をするにしても、自分のことは二の次で、子どものことを一番に考えるし、いつでもどこでも四六時中子どものことを気に掛ける。無事に産まれてほしい、元気に産まれてほしいという願いを誰よりも一番にかけているということを今回のご縁で強く感じた。」

 

このときある布教使の先生の話を思い出したんです。お寺の子ども会で、阿弥陀様の話をしていたそうなんですが、それを聞いて、1人の子どもが「阿弥陀様って誰なん?本当におるん?おるんやったら見せてよ!」と聞いたそうで、その先生は「前を見てごらん。正面に立っておられるのが阿弥陀様ですよ」って答えたそうなんですが、するとその子どもは「いや違う。あれはただの作り物やろ。そうじゃなくて、本物の阿弥陀様を見せてよ。本当はおらんのやないん?」って言ったそうで、少し困っていたようなんですが、少し考えて、以前勉強した話を頑張って思い出して絞り出して答えたそうです。「目には見えんけど存在するものもあるやろ?例えば、みんなお母さんのお腹の中にいるとき、お母さんのこと見える?見えんよね。それと同じで、私たちは今、阿弥陀様のお腹の中におるんよ。だから今は阿弥陀様の姿を見ることはできんけど、阿弥陀様の世界に生まれるときに阿弥陀様に会えるんよ。」

 

その子どもは分かったような分からんような反応だったそうなんですけど、だから、子どもが産まれる前から、無事産まれてきてほしい、元気に産まれてきてほしいと親はもちろん多くの方々に願われているように、私もお浄土に生まれておくれ、仏になっておくれと、すでに先立っていかれた方々が願ってくださり、中でも阿弥陀様は誰よりも大きな願いを私にかけてくださっているのでした。どこまでも救われがたい私のことをどうにかして救いたい。どこまでも仏になる可能性のない私のことをどうにかして仏にしたい。この大きな大きな願いに包まれており、その願いの中心に私がいたということを味わわせていただいたことであります。


2020年11月21日〜30日

 

「阿弥陀様のお名前」

 

美祢西組正隆寺 波佐間正弘

 

私事ではありますが、先月初めての子が生まれました。可愛い可愛いお姫様であります。連れ合いのお腹にいる時からおそらく女の子であると聞かされていました。生まれるまでの間この子の名前について考えてきました。私たちが名前を考える時、そこには多くの願いがあると思います。

 

先日、プロ野球選手の藤川球児さんが引退されました。引退セレモニーの際、ご自身のお名前の由来についてお話くださいました。藤川球児さんの「球児」は野球の「球」に児童の「児」と書きます。藤川球児さんの父親も野球をされていたそうで生まれる前日にノーヒットノーランを達成され、生まれた子に願いを持ち、夢を託し「球児」と名付けたそうです。

 

子どもの未来を思い、たくさんの願いの込められた素敵なお名前です。

 

では私たちが御本尊と仰がせていただく「阿弥陀様」は誰がどんな願いをもって付けてくださったのでしょうか。

 

阿弥陀様のお名前を考えられたのは阿弥陀様ご自身であります。法蔵菩薩という修行僧であられた時に、「すべてのものを救う阿弥陀という仏になりたい」「あなたをお浄土に生まれさせ、仏と成らせることのできる阿弥陀という仏になりたい」と願いを起こしてくださいました。そしてその願いのままにはたらくことのできるよう、想像することもできないほど長い間ご苦労くださり、阿弥陀という仏様になってくださいました。願いを起こし、その願いの成就が先でした。

 

私たちの付ける名前の願いとは未来に対する不確定なものです。藤川球児さんのように願いのままにプロ野球選手となり活躍される方もいらっしゃいます。しかしこのようになってほしいと願ってもそのようにならないかもしれません。私の子は女の子ですが、女子のプロ野球選手になってほしいと願いを込め「球美」と名付けてたとしてもおそらくプロ野球選手にはなれないでしょう。

 

阿弥陀様は願いを起こし、その願いのままにはたらくことのできる阿弥陀という仏になると誓われました。願いが成就した時初めて阿弥陀と名乗られたのです。

 

私のために願いを起こし、私のためにご苦労くださり、私のために南無阿弥陀仏と今こうしてはたらいてくださるのが阿弥陀様です。なんと大きなお名前であるなと改めてお念仏申させていただくばかりであります。南無阿弥陀仏


2020年11月11日〜20日

 

下松組専明寺 藤本弘信

 

私たちが生まれゆく世界をお浄土と言います。これは本来の言葉が省略してありまして「清浄仏国土」といいます。清浄とは清らかなこと、仏国土とは仏様の世界ということで、私達は必ず清らかな仏の世界にいくんだよと教えられています。

 

仏説阿弥陀経には「西方極楽浄土」と説かれていますが、「西の方角に10万億土を越えたところに阿弥陀仏様のお浄土がある。その名を極楽という」と説かれ、そこでは「何の苦しみもなく、ただいろいろな楽しみだけを受ける世界」と説かれています。

 

一方、浄土に対してこの世界を穢土、穢れた世界といいます。苦しみがあり、老いや病、寿命に限りがある世界で、たとえ順風満帆な人生であっても永遠には続かない世界を表します。むしろこの世界の方が現実的で、極楽と教えられても私には縁のようなそんな気さえします。

 

親鸞聖人はお書物の中で「西方極楽」とは記されず、「無量光明土」または「安養界」「安楽浄土」と記されています。高僧和讃には「安養浄土の荘厳は 唯仏与仏の知見なり 究竟せること虚空にして 広大にして辺際なし」とあり、この世界に生きる私達には到底分からないが、お浄土とは広大ではてがない、つまり阿弥陀様のはたらきは、私がどんな状態であっても、どんな時でも、けっして見捨てはしない、今救いのど真ん中に私がいるんだよと教えられています。

 

人は死んだらどうなるのか?死んだら終わりという人や、物質的には世界にとどまり続けまた別のものになる、などと色んな答えがありますが、私は死んで終わりの人生を歩むのは嫌ですので、阿弥陀様にお任せした仏になる人生を歩ませて頂いております。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏


2020年11月1日〜10日

 

「阿弥陀様はリモートワーク?」

 

華松組西光寺 佐々木世雄

 

お寺同士の会議も、テレビ電話やズームなど、インターネット環境を通して行うこが増えてきました。接続がうまく行かなかったり、音声が途切れるなど初めは戸惑いながらのスタートでも、使ってみるとやはり便利です。ただその便利さの一方で、人に直接会えない寂しさというのも感じます。相手の表情はある程度画面上から見て取れても、細かい機微まではわかりません。また間合いも取りにくく、どこかお互いに熱を帯びないままのやり取りになってしまうことが課題です。

 

そういった社会変化の中で、阿弥陀様のはたらきは元々リモートワークと言ってもいいのではないか?と考えるようになりました。世界がインターネット上で繋がったように、阿弥陀様のはたらきも常に一人一人に向けて届いていて、どこにいても24時間繋がり続けている。そうか、阿弥陀様はリモートワークなのだと、意気揚々。そう言ったお話の構成も考えましたが、どこか違和感を感じます。

 

そもそもリモートとは「遠隔・遠い」、ワークは「働く」ですから、リモートワークとは「遠くではたらく」という意味です。遠くのもの同士が直接は合わずに、電気信号に変換された画像や音声を介して繋がっている。そう考えると、阿弥陀様をどこか遠くにいらっしゃるものとして捉え、自分とはかけ離れた遠い世界の存在と受け止めていくのはどうもしっくりきません。ズーム会議で感じた手触りの無さに相まって、阿弥陀様をリモートと捉える違和感はここにありました。

 

考えてみれば、阿弥陀様は声の仏様です。お念仏を申す声そのものを如来様の現れてくださった姿と受け止めていきます。それは自身から離れたものではなく、南無阿弥陀仏という生き生きとした、仏様の名告りをもって通じていくということです。阿弥陀様はリモートではなく、称える南無阿弥陀仏を通して、いつでもどこでも直接出遇える仏様だったのです。


2020年10月21日〜31日

 

「私たちの視点と仏さまの視点」

 

宇部小野田組西秀寺 黒瀬英世

 

 今年のお盆はコロナ禍のなか、マスクを着けてお参りしたり、消毒を入念にしたりと、例年とはどこか違った雰囲気でご家庭にお参りさせて頂きました。相変わらずコロナの問題はとどまるところを知りません。宇部市でも徐々に感染が広がり始め、対岸の火事ではなくなってきている状況です。

 

この半年で、世間の常識もガラリと変わりました。例えば、以前はマスクを着けたまま人と話したり、接客をしたりすることは失礼なことであるという常識がありましたが、最近では全く逆で、マスクを付けなければ非常識な人であるという常識に変わりつつあります。

 

そんな激動の社会の中で、テレビや新聞等では、「コロナに負けるな!」というスローガンのもと、様々な事業が展開されています。私はその言葉にずっと違和感を覚えていました。果たしてコロナの問題は勝ち負けの問題なのでしょうか?たしかに新型コロナウイルスは、私たちに肉体的な危機をもたらすだけではなく、外出自粛や感染の不安による人間不信など、精神的な被害ももたらしています。しかしそれは勝ち負けで分けて考えるべきことなのでしょうか?

 

私たちのものの見方の根底には、勝ちか負けか、善か悪か、自分にとって都合が良いか悪いか等、「自分」を中心とした視点が潜んでいます。こういったものの見方は、自分にとって都合の良いものは自分の側にあってほしいが、自分にとって都合の悪いものは遠くにいてほしいという自己中心的な心の原因となるため、「煩悩」と呼び、仏教では慎むべきであると教えています。それを超える眼を持ち、一切平等の視点を得ることを「悟り」と呼び、仏教徒の目標として定められているのです。

 

しかし私たち人間は、どうしても自分を中心としたものの見方から離れることができません。そんな私たちを憐れみ、必ず悟りへ導くと誓って下さったのが阿弥陀如来という仏さまです。

 

阿弥陀様は光に譬えられます。光とは見えなかったものを見えるようにさせるはたらきがあります。その光は私たちを照らし、これまで当たり前にしていた「自分」中心のもの見方に気づかせ、一切平等の悟りの世界へと導いて下さるおはたらきです。こういった時代だからこそ、そのおはたらきを聞かせていただき、ともどもに歩んでいきましょう。


2020年10月11日〜20日

 

「往く命」

 

美和組超専寺 田坂亜紀子

 

日本語はとても豊かな言語です。たとえば、花が枯れる表現も様々あります。

 

たとえば、桜の花は「枯れる」とは言わず、よく「散る」と言いますね。

 

桜の1つ前の時期に咲く花に梅の花があります。梅の花が枯れる時はどうでしょうか?「枯れる」と言っても間違いではありません。桜と同様「散る」と言うこともあります。ですが、梅の花びらは小さく丸っこい形をしていて、枯れる時にはポロポロと落ちていくことから、「こぼれる」という表現があるのだそうです。

 

では、冬の代表的な花、椿は?これは花首からボトッと「落ちる」ですね。

 

最後に、大輪の花を開かせる牡丹は?大きな花びらが枯れ落ちていく様子は「くずれる」と言うことがあるようです。

 

 「桜散る 梅はこぼれる 椿落つ 牡丹くずれる  では、……人は??」

 

今お聞きくださっているあなたは、「人は…」の後にどんな言葉が続くと思われますか?

 

私は初めてこの言葉を教えてもらったときに、即座に「人は、死ぬ」と考えました。すると、この言葉を教えてくださった方が、

 

「死ぬと言っても正解だけど、こういう表現もありますよ。」

 

と、「人は」の後に書かれた言葉は、「往く」でした。人は往く。

 

面白いことに、「死ぬ」と言うのと「往く」と言うのとでは、先の花が枯れる表現の雰囲気が変わると思いませんか?「死ぬ」と言うと、花の枯れる姿は儚く寂しくもの悲しい印象です。無常を感じさせます。

 

「往く」は阿弥陀さまのお浄土に往き生まれることを表します。阿弥陀さまは、私の命は死んで終わりの命ではなく、浄土に往生させ仏となさしめるという、実を結ぶ命と定めてくださいました。その「往く」という言葉には、儚さや寂しさ、悲しみを超えていく味わいがあります。

 

人が「きれいだね」ともてはやすような、美しく咲き誇る姿も、人が見向きもしないような枯れ落ちた姿も、実を結んでゆく営みです。実は、次の命を生かしめてゆきます。だから本当は、咲き誇る姿にも枯れゆく姿にも尊さがあります。

 

南無阿弥陀仏、「われにまかせよ、必ず救う」、阿弥陀さまのご本願の中に、死ぬ命が往く命と聞かせていただくとき、今、この瞬間に生かされている命の尊さを知らされます。


2020年10月1日〜10日

 

「拝み合う世界」

 

須佐組淨蓮寺 工藤顕樹

 

 アメリカ合衆国出身の日本文学者にドナルド・キーン(1922年6月18日 - 2019年2月24日)という方がおられました。氏は日本文学と日本文化研究の第一人者であり、文芸評論家としても数多くの著作がございます。また、日本文化を欧米へと紹介されるといった活動にも大変尽力なさいました。

 

経済的には決して裕福とはいえなかった家庭環境だったようですが、奨学金を受けつつ飛び級を繰り返し、16歳でコロンビア大学文学部に入学されるような神童でありました。

 

学生時分、英訳された『源氏物語』を読まれて感動し、漢字への興味の延長線上で日本語を学び始める中で恩師との出逢いがあり、日本研究の道へと進まれることとなります。

 

余談ではありますが、氏が『源氏物語』を手にしたきっかけが「分厚い割には安くて読み応えがありそう」とのことですから、何がきっかけとなるのかは分かりません。

 

しかし時代は日米開戦前夜。アメリカ海軍の日本語学校に入学し、日本語教育の訓練を積んだのち情報士官として海軍に勤務します。そして太平洋戦争では、日本語の通訳官として沖縄戦線に従軍することとなります。

 

私はとあるテレビの対談番組の中で、その時の経験を話しておられたお姿が大変印象的でした。

 

「先の沖縄戦での死傷者は、数字としては理解しておりました。しかしその後、沖縄の平和祈念公園を訪れた際、慰霊碑にそのお一人おひとりの名前が刻まれてある光景を目の当たりにした時、『私はなんと愚かなことをしてしまったのだ』と痛感いたしました。その十万とも二十万ともいう数字の一つひとつは、私と同じ命だったということに初めて気づきました。」

 

そのような内容のことをお話しされていたと記憶しております。

 

阿弥陀様は「全てのいのちを救わなければ、私の救いは完成しない」と誓い願われました。その「全てのいのち」というお心は「私のいのち」と味わわさせていただきます。阿弥陀様のお心の中には、私の名前がしっかりと刻まれているのです。

 

であるなら、私の眼に映るお一人おひとりも、また阿弥陀様に願われ仏様となっていくお方々であります。阿弥陀様のお言葉を真実(まこと)といただき拝むように、私の眼に映るお一人おひとりが、また同じように阿弥陀様より願われている「いのち」と拝んでいくことが理想なのでしょう。

 

しかし私は、そのことをしばしばどこかに置き去りにしてしまう瞬間がございます。

 

阿弥陀様がお考えになられる「敬うべきもの」を敬う中に、「敬ってはいけない」私の姿がそこに見えてくるのです。そのような私を、阿弥陀様は見過ごすことが出来ず、真実(まこと)へと導こうと用き続けて下さっているのです。


2020年9月21日〜30日

 

「コロナで考えるご縁」

 

下松組光圓寺 石田敬信

 

 新型コロナウイルスが流行して、半年の月日が経とうとしています。

 

中国で流行っていたのが去年の暮です、まったく他人事のニュースと思っていましたが、世界はつながっているのだと実感させられました。大勢の人がいるところに行かない、外に出るときはマスク、帰ってきたら手洗いうがいが当たり前の生活に変わりました。

 

今できることは、ウイルスに感染する可能性を低くする、縁をつくらないというところでしょうか。自分は大丈夫と思わず、自分も縁があれば感染するという意識も大事だと思います。縁によって病気になり、死ぬ可能性があるということと、この世界は無常であり、その中に私が生かされている、ということを改めて実感するご縁でもありました。

 

私は煩悩のはたらきによって、その真実を聞き流しています。いつまでも元気で若々しくいたい、病気にはなりたくない、コロナにかかって死にたくもありません。また楽しく毎日を過ごせるようになったら良いなと思います。

 

最近は、世知辛い世の中だと感じる人も少なくないと思います、自粛が求められる中で、自粛せず、県外に遊びに出かけ、コロナに感染してしまった人が叩かれる、ということがありました。

 

ふと考えます。阿弥陀様はこの、世間に叩かれた人をどう思われるのか。

 

一緒に裁こうとする仏様でしょうか。いいえ、裁きません、叩きません。その人の苦しみを自分の苦しみとして、この人を包み、見捨てないでしょう。この人の愚かさを責めず、自らの痛みとして、必ずこの人も救いとるでしょう。

 

私が抱えている煩悩もそうです。縁があればなにをしでかすか分からないのが私です。

 

自粛に耐えられないほどのストレスを抱えていたら、もしかしたら県外に出かけたかもしれません。小さい子どもを抱え、細心の注意をはらいながら仕事をして自粛を守る生活をしていたら、遊びに出て感染したひとを、同じように叩いていたかもしれません。

 

阿弥陀様はこのように、コロナによって苦しみ悩む私を、知ってくださってあり、南無阿弥陀仏となって私の口からあらわれて、私の今の不安を包んでくださっています。不安な私と御一緒くださってあるのです。

 

人として生きる苦しみは、阿弥陀様がコロナウイルスを消してくだされば解決ではないのです。コロナが消えても、生老病死からは逃れられませんし、自分中心のこころから生まれる苦しみと悩みは消えません。ですから南無阿弥陀仏となって私に届き、私のうえではたらいてくださってあるのです。「あなたを必ず、ほとけにします」と。

 

その阿弥陀様にこのいのちをおまかせしたのちは、阿弥陀様の智慧のようにすべてを見通す力はありませんし、阿弥陀様の慈悲のようにすべての人を包むことはできませんが、少しだけ、相手の立場になって想像してみます。

 

阿弥陀様のお慈悲のもと、世界はつながっています。コロナ終息の縁を待ちながら、阿弥陀様ありがとうございますとお念仏して過ごします。


2020年9月1日〜10日

 

「痛みに敏感になる 仏の大悲心を学ぶ」

 

華松組安楽寺 金安一樹

 

浄土真宗のみ教えは、阿弥陀さまの大慈悲を根源とする教えです。大慈悲とは、阿弥陀さまが生きとし生けるすべてのものを憐れみ、苦しみを除き(大悲)、心穏やかな楽を与える(大慈)はたらきのことです。善導大師は、仏道を学ぶということは「仏の大悲心を学ぶ(学仏大悲心)」ことと仰せられました。人の痛みに敏感になり、苦しみや悲しみの分かる人間になろうと努めることです。

 

ところが痛みに共感するどころか、人の痛みを前に喜んでいることさえあるのが、私の悲しい現実です。先日、近くにいた母が急に叫び声を上げました。どうしたのだろうと様子を伺うと、ムカデにかまれてしまったようです。恥ずかしいことですが、そのとき私が思ったことは、「大丈夫?」と母を思う心よりも先に、「自分でなくて良かった」でした。

 

痛みを感じること以上に悲しいことは、この痛みを分かってくれる人がいないと孤独を感じることです。さらに傷だけでも痛いのに、まさに傷に塩を塗るかの如く、あなたの不注意が原因と攻め立てることさえあります。これでは傷を癒すどころか、心身ともに傷つき、お互いの関係性も悪くなってしまいます。

 

こんな虚しい生き方をして欲しくないと願われたのが阿弥陀さまです。阿弥陀さまは、自身が傷を負ったとき、なんとかして癒そうとするように、他の痛み対しても自身の痛みと同感して、癒さずにはおれないとはたらいてくださいます。苦は避けるべきものでも、他に押し付けるものでもなく、自らが引き受けるもの。喜びや幸せは自分が享受するものでなく、他に与えるものと教えて下さいます。仏様の大慈悲に学ぶところに、この混沌とした時代でも豊かな生き方が恵まれるのではないでしょうか。


2020年8月21日〜31日

 

「いまここでのすくい」

 

豊浦西組大専寺 木村智教

 

 今年に入り新型コロナウイルスが流行しています。また、七月には各地で豪雨災害が発生し多くの方が被災されました。いまから七六〇年前、当時も長雨による水害や飢饉、さらには疫病が各地で流行り、多くの人々がいのちを落とし、遺された家族は途方に暮れていました。

 

常陸の国、今の茨城県に乗信房という親鸞聖人のお弟子さんがいました。人々は悲痛な思いを抱えて彼にたずねます。「乗信房さん。私の家族はこんな形で死んでしまったけど、本当にお浄土にお参りしたのですか?」 「いつどのような形でこの世の縁が尽きても、念仏いただく者はみ仏のおはからいでお浄土にお参りさせていただく。そうお聞かせいただいております。」とこたえました。しかし当時は浄土にお参りする上には死に方こそ大切だと考えられ、不慮の死を遂げた念仏者のご遺族はいわれのない非難にさらされていました。乗信房も「これで間違いないのだろうか」と親鸞聖人に手紙でたずねました。聖人はこたえます。

 

「何よりも、 去年から今年にかけて、 老若男女を問わず多くの人々が亡くなったことは、 本当に悲しいことです。 けれども、 命あるものは必ず死ぬという無常の道理は、 すでに釈尊が詳しくお説きになっているのですから、 驚かれるようなことではありません。  『親鸞聖人御消息(現代語版)』六〇頁」

 

すべてのいのちは生まれた以上死ぬから、死ぬことは驚くべきことではない。むしろどのようないのちであっても、今この時まで生きていることこそ驚くべきことである。いまここで大切に思って下さる方から抱かれていると実感しているから、心安らかに生きていけるのではないでしょうか。その御方は「南無阿弥陀仏」の声となって「私はいまここにいる」と告げてくださいます。

 

まだまだ残暑厳しい日々が続いております。新型コロナウイルスもいつ終息するか見通しが立ちませんが、お体をお大事に、お念仏を大切にお過ごしくだい。


2020年8月11日〜20日

 

美祢西組西音寺 川越広慈

 

私がまだ子どもだった頃、秋吉台にある景清洞に洞窟探検に行ったことがありました。その探検コースは真っ暗な洞窟を奥の方まで進んでいくものなのですが、洞窟と言っても入り口の方はまだまだ明るいんです。でも、先に進んでいくと、徐々に暗くなっていき、懐中電灯の灯りなしでは前に進むことが出来なくなっていきました。一番奥に着いたとき、辺りは真っ暗なのですが、ガイドさんが懐中電灯を消してみましょうと言って全ての灯りを消したんです。普段、部屋の灯りを消した時なんかは、暗くはなりますが、少し経つと目が慣れて薄っすらと見えてくるものです。しかし、洞窟の奥は真っ暗闇で、一切の光が届かない世界でした。光の無い世界では、目の前に手をかざしても何も見ることが出来ませんでした。

 

阿弥陀さまという仏さまは光の仏さまです。無量の光で私を照らしてくださっている如来さまです。そして、阿弥陀さまの光に照らされた時、私自身の本当の姿が明らかになっていきます。日ごろ、家でカーテンを開けた時などに、部屋の中が太陽の光に照らされると、塵や埃がはっきり見えてくるように、阿弥陀如来の光に照らされ煩悩具足の凡夫である私の姿が明らかになるのです。

 

そして、仏さまのお話を聞かせていただいて阿弥陀さまのおはたらきに気づくことは、私自身の姿が知らされると同時に、そんな私を救うとはたらいてくださっている阿弥陀さまのお慈悲のぬくもりに気づかせていただくことでもあるのです。自力で仏に成ることができない私が、お浄土で仏となる教えが他力の教えです。


2020年8月1日〜10日

 

熊毛組光照寺 松浦成秀

 

 新型コロナウイルスの影響が様々なところに波及しています。テレホン法話をお聞きの皆さんも様々な影響を被る日々を過ごされたことと思います。緊急事態宣言が出され、学校が休校になりました。仕事の上でもテレワークが導入されたり、業種によれば休業されるなど、様々な影響がでております。

 

御門徒に様々なお話を伺わせていただく中で印象深い言葉がありました。五月の緊急事態宣言中の御葬儀のご縁です。そのご家庭ではここ数年体調を崩されていらっしゃったお父さんがなくなられました。娘さんが介護施設や病院に頻繁にお見舞いに行かれていたそうです。しかし新型コロナウイルスの集団感染が介護施設などで発生する中で、感染防止の観点から家族といえども面会が禁止になりました。

 

「この度はご愁傷様です。コロナウイルスの流行の中でいろいろとご心痛もあったことと思いますが。」

 

「お寺さん、実は私たちも父に会うのは久しぶりなんですよ。ずっと面会を禁止されてましたから。今回のコロナウイルスの騒動の中で今まで当たり前と思っていた日常が、当たり前ではなかったとつくづく実感しました。」と教えていただきました。

 

当たり前、当たり前と過ごしていた日常が、当たり前ではなかった。当たり前の反対の言葉は、有る事難し。と、ある先生に教えていただきました。この命をいただいていること、当たり前と思っていた日常が当たり前ではなかったと、気づかせていただきます。

 

蓮如上人が78歳の時にお示しくださった御文章4帖9通の疫癘章の中の一説に、「人間というものは伝染病が原因で死んでいくのではありません。人間は生まれたときから必ず死ぬ命を生きているのであり、それが道理なのです。」とお示しです。そのお示しが有難くあります。お念仏申す日暮らしを過ごさせていただきましょう。


2020年7月21日〜31日

 

「そのままの救いを聞く」

 

宇部北組萬福寺 厚見 崇

 

浄土真宗のみ教えは、迷いの中にある私を阿弥陀仏がそのまま必ず救うと聞くことです。善いことを行い、悪いことをやめたら救うのではありません。世の中の善し悪しも分からず迷い、悩み苦しむ私だからこそ、そのまま救いたいと願い誓われたのが阿弥陀仏でした。

 

江戸時代の僧侶、一蓮院秀存という方のお話です。ある人が浄土真宗のかなめを尋ねると、一蓮院は「浄土真宗のかなめとは、ほかでもない、そのままのおたすけぞ」と答えました。その人が「それでは、このまんまでおたすけでござりまするか」と念をおすと、一蓮院は「ちがう」と言う。再び「このまんまのおたすけでござりまするか」とたずねると、一蓮院は「ちがう」と言い、念仏するだけでした。「おそれいりますが、もう一度お聞かせくださいませ。どうにも私どもには分かりませぬ」と言うと、一蓮院は「浄土真宗のおいわれとは、ほかでもない、そのままのおたすけぞ」と答えた。それを聞いた人は、はっと気づかれて「ありがとうございます。もったいのうござります」と言いながら念仏しました。一蓮院は「お互いに、尊い御法縁にあわせてもらいましたのう。またお浄土であいましょうぞ」と喜ばれたそうです。

 

このままで救われるというのは迷いの私が勝手に定めた私の姿です。そのままの救いとは、阿弥陀仏からみて、迷いの私をそのまま無条件に救わねば助からないと定められたお心です。

 

親鸞聖人は、きくといふは、本願をききて疑うこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。と示されました。私をそのまま救いたいという阿弥陀仏の願いを聞くとは、疑うこころがなく、阿弥陀仏のお心を聞くことです。疑うとは、迷いの中にある私が、このままの私が救われるのか?とか、助からないのか?とかはからう心です。そんな疑う心も必要なく、ただ、ただ、そのまま救う阿弥陀仏の願いのお心を聞かせていただきます。


2020年7月11日〜20日

 

「妙薬」

 

厚狭西組善教寺 寺田弘信

 

テレビをつけると新型コロナに関するニュースが、連日のように報道されています。その影響もあり、マスクをはじめ、さまざまな衛生用品の需要が高まっています。この新型コロナに対する、確実な治療方法は確立されていません。この治療薬、あるいはワクチンさえあれば大丈夫!というものがまだ存在しないのです。治療薬やワクチンを求めてドラッグストア等のお店に足を運ぶ人がいるという話は聞いたことがありません。それはまだ治療薬が完成していないからです。たとえマスクの性能が完全・完璧であったとしても、すでに新型コロナに感染・発症している人が、感染予防を目的としてマスクを身につけるというのは、全く意味のないことなのです。その人に本当に必要なのは、完全・完璧なマスクではなく、治療薬なのです。

 

阿弥陀さまのお救いはどうでしょうか?

 

弥陀成仏のこのかたは

いまに十劫をへたまへり

法身の光輪きはもなく

世の盲冥をてらすなり

 

阿弥陀さまのお救いは、遥か大昔に完成されております。そのお救いは「南無阿弥陀仏」のお念仏の姿となって、常にわたしたちにはたらいておいでです。この「南無阿弥陀仏」のお救いから漏れているものは、誰ひとりいません。さきほどの新型コロナの話でいえば、阿弥陀さまのお救いは、すでに完成した治療薬のことです。それと同時に阿弥陀さまのお救いは、「完全・完璧」なものとして、すでに「完成」しているぞ!とわたしの不安を取り除き、安心を与えてくださる阿弥陀さまの呼び声でもあります。

 

煩悩が原因でいま苦しんでいるこの私を救おうと、治療薬を完成されたのも阿弥陀さま……その治療薬を私のところまで届けてくださったのも阿弥陀さま……そしていままさにその治療薬をこの私に飲ませようとしてくださっているのも、阿弥陀さまなのです。なんともかたじけないことであります。


2020年7月1日〜10日

 

「靴下に書かれた名前」

 

大津東組西福寺 和 隆道

 

 先日、ある御門徒さんの家に法事に行ったときのことです。お勤めも終わり、ご家族の方、ご親族の方に、順番にお焼香をしてもらいました。するとその中に、ピカピカの学生服を着た、小学一年生の男の子がいらっしゃいました。お母さんに手を引かれて、その子もお焼香に向かいます。仏さまの前に座って、合掌礼拝と、その子がお焼香をしたときです、その男の子の白い靴下の裏に、大きな字で、「一年○組、○○」と、その子の名前が書かれているのが目に入りました。とても大きな字でしたので、その場にいた皆が気づいたようです。後で聞きますと、小学校に入学したときに、持ち物をなくさないようにと、その子のお母さんが、その子の色々な持ち物に名前を書いてあげたとのことでした。

 

そのことで思い出しますのは、そういえば私が小さい頃、私の色々な持ち物にも名前が書かれていたなあということです。鉛筆の一本一本から、小さなおはじきの一つ一つにまで、頼んでもいないのに、勝手に名前が書かれてありました。そういえば、私がはいていたパンツにも、前のところに大きく名前が書かれてありました。おそらく、水泳の時間などに、他の子のパンツと間違わないようにと、そういう親の思いから、名前が書かれていたのでありましょう。私の持ち物やパンツに書かれた名前は、子どもを思う親の心が形となって現れた姿であるといえるのではないでしょうか。

 

南無阿弥陀仏も同じです。「一々のはなのなかよりは 三十六百千億の 光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし」(『浄土和讃』)。阿弥陀如来という仏さまは、迷い苦しむ衆生をなんとか救ってやりたいと、南無阿弥陀仏というはたらきとなって、私の元に至り届いて下さっておられます。私の口からこぼれでて下さる南無阿弥陀仏のお名号は、阿弥陀さまの衆生を思う慈悲のお心が形となって現れて下さったお姿であるといえるでしょう。私たちは、南無阿弥陀仏となって下さった阿弥陀さまと共にこの人生を歩ませていただき、命終わり次第には、間違いなくお浄土に生まれさせていただくのであると、聞かせていただくばかりでございます。


2020年6月21日〜30日

 

「お育て」

 

宇部小野田組法泉寺 中山教昭

 

 先日ご縁があって、老人ホームに行ったときに、老人ホームの職員の方から聞かせていただいた話なのですが、老人ホームの利用者の中には、認知症の方が何人かいらっしゃるそうで、やってはいけないことをやったりとか、昨日言ったことやついさっき言ったことを忘れてしまったりということがよくあるそうです。それで、施設の利用者の中に、施設内の色んなところに置いてあるお菓子を次から次に食べる利用者の方がいらっしゃったそうで、その方は、ここに置いてあるお菓子は食べちゃダメと言っても食べるし、ここにあるお菓子は、あなたのじゃなくて他の利用者のお菓子だから食べちゃダメと言っても食べる。どれだけ注意しても、ルールは守らないし、言ったことはすぐ忘れる。施設の職員はたいへん困っていたそうなのです。しかし、その利用者の方は、何度も何度も言われたことを忘れてしまっても、食べてはいけないお菓子に手を付けたとしても、お仏壇にお供えしたお菓子には一切手を付けることはなかったそうであります。それを聞いて、私の勝手な推測ではありますが、きっとこの方は、仏様を大切にする家庭に育ったんだろうなということを思ったのです。もし、この方がお仏壇のない家に育って、お寺に参るご縁がまったくないような方だったらどうだろうかと考えると、きっとお仏壇にお供えしたお菓子を特別扱いするようなことはなかったと思うんです。しかし、きっと幼い頃に「お供え物に手を出しちゃいけんよ」「お参りして、仏様に手を合わせたあとに、おさがりとしていただくんよ」と毎日のように言われて、それが当たり前になり、大人になっても、それを続け、子に伝え、孫に伝え、いつしか仏様中心の生活が身についたんじゃないかなということを思うんです。知らず知らずのうちに、仏様に手を合わせるのが当たり前になって、お供え物もおさがりとしていただくのは、手を合わせたあとということが身についた。多くのお育てをいただいていたんだなということを思うんです。特別大きなきっかけがあったわけではないですが、色々な積み重ねで、いつのまにかそれが当たり前になっていた。知らない間に、仏様のはたらきの中におったんだなということを味わわせていただいたご縁でありました。

 

称名


2020年6月11日〜20日

 

「一宗の繁昌」

 

邦西組照蓮寺 岡村遵賢

 

 室町時代、本願寺第八代・蓮如上人は、ご再興の上人と呼ばれます。『御文章』によって、御開山親鸞聖人の確かなご法義を広めてくださいました。吉崎、山科、大阪と、蓮如上人ご教化の地は、ご門徒が集い、宿が出来、商いをもし、街となり、繁栄しました。その中心に建つ、広大なる本堂に溢れかえるお聴聞の方々の姿は、想像しただけでも圧巻です。誰の目にも、この上ない真宗の繁昌と見えたでしょう。

 

そんな中、蓮如上人はおっしゃいます。

 

 「一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、

  威のおほきなることにてはなく候ふ」

 

お寺に人が沢山集まり、威勢のいいこと。そんなことを一宗の繁昌と言うのではない。と。

 

 「一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候」

 

たった一人でも信心をうるならば、南無阿弥陀仏のおいわれを正しく聞き、救われた身となるならば、それこそが一宗の繁昌である、と言うのです。

 

このお言葉を聞いたとき、お坊さんの立場である私は、誰か一人でも信心の者になるように、この教えをまともに聞かせなければならないのだ。と思う所でした。しかし、この一人とはよその誰かのことではなかったのです。今、ここに存在している私一人のこと。私の後生の解決が届いている姿が南無阿弥陀仏であり、ご法義繁昌のすがたでありました。

 

現在、コロナ禍の緊張も少しく緩みをみせておりますが、予測不能な事態には変わりありません。なにかと寄り合いにくいご時世が続きます。ただし、真宗の繁昌は、人の多い少ないではありません。私一人にかかるご本願・念仏成仏のご法義・大悲無倦のおはたらきは、本日もこの上ない繁昌であると、改めて聞かせて頂きます。

 

称名


2020年6月1日〜10日

 

「ご一緒の人生」

 

防府組明照寺 重枝真紹

 

 「しーちゃん、幼稚園には行かないといけないのよ。

 大丈夫、たいちゃんが一緒だから。一緒に行こうね。」

 

緊急事態宣言も解除され、幼稚園も始まりました。この春から幼稚園に入園した娘は、不安を感じてか、幼稚園に行くのを愚図ります。何とか幼稚園に行く気持ちにさせられないかと思っておりましたところ、娘の気持ちを動かしたのは、始めに述べました、年長組になった息子の言葉でした。

 

私たちが生きるこの世界は、この度の新型コロナウイルスのように、私にとって思いがけないことも起こります。また、かかりたくないと思いましても病気にかかるように、私の思い通りにならないことも多々起こります。どれだけ願いましても、なぜ、どうしてと思いましても、縁に触れて起こります。そして、誰かに代わって欲しいと思いましても、代わってくれる方はおりません。私自身のいのちは、私自身が引き受けなければなりません。

 

ですが、引き受けるにしても、独りは、苦しくなります。「明けない夜は無い」という言葉も聞きますが、明けるまで耐えられない私がいます。

 

その私の在り様を見抜かれて、私に「安心を与えたい。」と。私の為に立ちあがり、「独りぼっちにしない。決して見捨てない。我にまかせよ。必ず救う。」と。今、私のいのちのうえに、南無阿弥陀仏と至り届いてくださっている仏様が、阿弥陀様です。「共に抱える、共に生きる。」と、常に私を光照らし、護ってくださっている仏様が、阿弥陀様です。

 

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。「大丈夫。独りぼっちにはしない。決して見捨てない。必ず浄土に生まれさせ、必ず仏にならせる。我にまかせよ。必ず救う。」  

 

阿弥陀様は、いつでも、どこでも、誰にでも等しく、どんな私であっても見捨てることなく、ご一緒くださっています。阿弥陀様をよりどころに、今、できることをさせていただきましょう。


2020年5月21日〜31日

 

豊浦組専徳寺 原田英真

 

 人は、何のために生れてきたのか?を考える時に、自分が自分の事だけ考えていても、人生を一貫して言える答えは出て来ません。人は、他者との関わり合いの中で生きています。ですから、今の私の考え方は、すべて自分で考えて作ったものではないのです。必ず周りの方の影響を受け、今の考え方は成立しています。そうであるならば、私の今の生き方も、きっと周りの方に影響を与えているに違いありません。そのように思うと、私の今生き方も少し変わってゆくのではないでしょうか?

 

南無阿弥陀仏・大悲の親さまを聞かせてもらう者の人生には、お念仏申す中に、「阿弥陀様が、どんな時も、いや苦しんでいる時こそ離れることなく私とご一緒して下さっていて、命終わる時、お浄土に参らせてくださるのだなぁ」と思う心を恵まれます。ですから、たとえ人生最後の床に臥す日であっても、

 

「南無阿弥陀仏・・・。私のこの度の人生本当によかった。仏様に出遇える、みんなに出会える尊い人生だった」と喜ぶ姿を見せることが出来たならば、周りのお方が驚くのでしょう。

 

「あんなに辛い状況の中で、あんなに明るく接してくれて、仏様に、そしてアナタに出会える人生でよかった。ありがとうって言ってくれた。念仏称えるってそんなにすごい事なのか。そんなに尊い事なのか~」とその時はわからなくても、本人がその情況になった時、思い出すのではないでしょうか?

 

今私達は、そのような姿を見せてくれたお念仏の先輩方に・阿弥陀様に導かれて南無阿弥陀仏とお念仏申す身に育てられてあるのです。そのようなところに常行大悲の現世利益がありますとお聞かせに与かります。


2020年5月11日〜20日

 

「あたりまえの幸せ」

 

華松組西光寺 佐々木世雄

 

皆さんいかがお過ごしでしょうか。新型コロナウイルスの影響で大変な状況が続いています。お預かりしているお寺でも3月のお彼岸、4月の花まつり、5月の降誕会と法要の中止が続きました。ご法事でもお互いマスクをしたまま挨拶をして、お勤めの時だけマスクを外し、法話ではまたマスクをつける、といったような状況です。誰も想像していなかった世界だと思います。

 

ご門徒さんが「このような状況になって初めて、今まで普通に仕事をして、家事をして、子育てをしてという当たり前の日常が、本当はとてもありがたいことだったのだと気づきました。私たちは十分幸せだったのですね。」とお話しくださいました。歳を重ねることで若さを知り、病に伏して健康のありがたさを知る。私たちは失って初めて失ったものの大切さを知ります。当たり前の日常は本当は尊いことだったのです。

 

コロナウイルスはいつ終息するかはわかりませんが、時間軸を広げてみると根絶はできなくてもいつかは終息していきます。今は想像できないかもしれませんが、いつしかこの騒動も過去の出来事となって「あの時は大変だったね」と言いながらも人は忘れていきます。そして、当たり前の幸せも同時に忘れていきます。その時は改めてご門徒さんの言葉を思い出したいと思います。当たり前の日常が本当はとても幸せなことなのだと。

 

お互い様に仏様の教えを仰ぎながら、どのような状況であっても幸せだと言っていけるような心を開いていきたいですね。

 

どうぞ無理のなさらないようにお過ごしください。


2020年5月1日〜10日

 

「安心の中に」

 

美祢西組正隆寺 波佐間正弘

 

令和という時代を迎え早いもので1年が経ちました。誰もが平和な時代になってほしいと願い始まりましたが、新型コロナウイルスというものが大流行し、世界中が混乱しています。

 

日々世界中で感染者は増え続け、その中で多くの方がいのちを終えていかれています。

 

日本においても全国に緊急事態宣言が出され約1ヶ月が経ちました。しかしながら終息の兆しは全く見えず、いつまで続くのだろうかと不安は膨らむばかりです。何かできることはないだろうかと考えてはみますが、何もしないということを求められる状況にあり、ただただニュースを見ることしかできません。

 

親鸞聖人様が42歳の年に、夏は全く雨が降らず田んぼや畑が枯れ、秋には台風や長雨による被害で農作物に甚大な被害がでたそうです。それによる大飢饉が起こり、多くの方がお亡くなりになられたそうです。

 

親鸞聖人様は何か自分にできることはないだろうかと思い悩まれ、人々の利益のためにと浄土三部経を千部読誦することを発願し、実践されました。しかし4.5日でやめられたと恵信尼様のお手紙の中に綴られてあります。思い悩まれ始められた親鸞聖人様はどうしておやめになられたのでしょうか。

 

親鸞聖人様は私が人々を利益するのではなかった。阿弥陀様のお救いに何の不足があってこのようなことをするのか。いつでもどこでもはたらいてくださる阿弥陀様がいらっしゃるではないかと思われたからでしょう。

 

多くの方がいのち終えていかれる姿を目にした時、私の心は揺れ動きます。いつもは心穏やかにお念仏申させていただいていたとしても、このような時には仏様よりも自分を頼りにしたくなります。そんな私と見抜いてくださったからこそいつでもどんなときでも「大丈夫。大丈夫。われにまかせよ。必ず救う。」とはたらいてくださるのが阿弥陀様であります。

 

私たちが今までに経験したことのないことが世界中で起こっています。自分のことで精一杯になってしまうのが私でありますが、こんな時こそ阿弥陀様のおみのりの中に大きな安心を聞かせていただき、お念仏を申させていただくことのできるこの身体を大切にしながら、自他ともに心豊かな社会の実現に努めていかねばと思うばかりです。


2020年4月21日〜30日

 

「紡がれてきた言葉」

 

柳井組正福寺 長尾智章

 

 心理学者で岡本夏木さんという方がおられました。ちなみにあのテレビタレントの方ではありません。この方は子どもの発達や言葉というものを主に研究された方でした。また特別支援学校の校長やいくつかの大学の教授なども務められ、子供たち、学生との交流も深かったようです。その中でご自身の体験をご自身の著書である『子どもとことば』の中に綴られております。

 

岡本先生は、特別支援学校の校長を4年間務められました。その在任最後の中学部卒業式でのことです。卒業式といえば体育館の中で行い、1人ずつ壇上に上がって卒業証書を授与されますが、その卒業生の中で先生が大変心配されていた生徒さんが1人おられました。その子は、集団行動が大変苦手でなかなか周りと打ち解けることが難しく、3年前の小学部の卒業式では壇上に上がることすらできなかったのです。そんな以前のこともあって先生は大変心配されました。卒業式当日、いよいよ先生がその子の名前を読み上げると、付き添われることなくその子1人で一段ずつ力強く壇上に上がって先生の前へと来たのです。その成長した姿に先生は大変感動し、早く証書を渡してあげようと読み始めると、その子が何やらひとり言をつぶやいていました。元々このお子さんは同じ言葉を何度も繰り返す癖があったようですが、しかしこの時に聞こえてきた言葉は、これまでその子から聞いたことがなかった言葉でした。それはたった一言「どうもない」という言葉でした。「どうもない」、つまり「大丈夫」という意味です。その「どうもない」という一言を自分に言い聞かすように何度も何度も繰り返し、その言葉と共に無事に卒業証書を受け取られたのです。先生は、そのお子さんの姿にたいへん身を洗われる思いがしたと綴っておられました。この「どうもない」という言葉は、なかなか集団の輪の中に入れないその子を励ます言葉として、周りの先生や友達から常日頃からかけ続けられていた言葉でした。そのたった一言「どうもない」という言葉の中に『先生がついてるから大丈夫』『僕がついてる、私がついてるから大丈夫』という周りの想いが言葉と共にその子へと届き、大きな支えとなって無事に証書を受け取ることができたのだと思います。

 

私達も小さい頃から、または色んな折に触れて何度も何度もかけ続けられてきた共通の言葉がありました。それは「南無阿弥陀仏」という言葉です。この言葉は決して自分の中から生まれた言葉ではありません。親をはじめ、祖父や祖母、また縁ある方々が何度も何度も口にして、それを私たちはいつの間にか聞き続けていたのです。しかもそれは、身の周りだけではなく、私達があずかり知らないご先祖やご先達が脈々と紡いで下さった言葉でもあります。さらにその大本を辿っていくと、それは阿弥陀さまという仏さまが、苦悩を抱え幾度も迷うていくこの私の姿をご覧になられ、その私に「必ず救う、われにまかせよ」と喚び続けられていたものでありました。この「南無阿弥陀仏」という六字の短い言葉の中に、いつでもあなたと共にあるぞと、この私のいのちをどこまでも支えて下さる大きな安心の中に包まれたお言葉でありました。


2020年4月11日〜20日

 

「支えられてこそ」

 

須佐組浄蓮寺 工藤顕樹

 

2019年12月31日、中国湖北省武漢市で原因不明の肺炎の集団発生が報告されてから早4ヶ月が経ちました。「新型コロナウィルス」と名付けられたこのウィルスは、当初に伝えられていた予想に反し、その感染の影響は全世界へと広がり、人々の健康面のみならず経済にも大きな打撃を与え、現在もまだ先の見えない状況が続いております。

 

科学技術や医学が過去最も極まっている現代にも関わらず、ウィルス一つでここまで社会が混乱する状況を鑑みた時、自分のいる世界が薄氷を踏むような中にあったのかと気づかされることであります。

 

先日、親戚寺の前住職様の十七回忌のご縁をいただきました。今日の状況を考えられて、ごくごく少人数でのご法事でありました。その日のご法事を勤めてくださった、あるお寺のご住職様が御法話の中で、

 

「『目に見えない敵と戦う』という言葉を耳にしますが、『目に見えない言葉に支えられて』私は今日を迎えております」

 

とお話をされていたことが印象に残りました。

 

御法話をしてくださったこのご住職様は、今から三十年ほど前によその土地から来られました。右も左も言葉もよく分からないという孤独で不安な当時の心情を振り返る中に、そこにいつも励ましの言葉をかけて下さったのが、この前住職様だったようです。

 

「そのままデンと構えておればええ」

 

それは「何もしなくても良い」という意味ではなく、「あなたらしくあれば良い」「そのあなたをみんなで支えていく」というお心であったのではないのかと、私は味わわせていただきました。 

 

親鸞聖人は

 

慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念いを難思の法海に流す

 

とお味わいくださいました。

 

阿弥陀様のお心を「仏地」「法海」という広い大地と海とに表現されました。それは親鸞聖人ご自身のいのちの根っこを支える大地であり、御本願の世界に身をひたし続けていこうという願いであります。それは同時に、いま私のいのちを支えてくださっている用きでもあります。

 

毛色の違うものに会って、初めて自分の毛色に着目出来るように、そのような広い世界に出遇うときに、初めて自分の世界の狭さに気づかされていくのではないでしょうか。

 

狭い世界は孤独を生みます。そして孤独から不安が生まれます。その不安を抱えながらも阿弥陀様とご一緒に、弱々しくも次の一歩を踏み出していくのです。


2020年4月1日〜10日

 

「本当のもの」

 

宇部小野田組西秀寺 黒瀬英世

 

 先般から世間を賑わせている新型コロナウイルスですが、その騒動のなか垣間見えた人間の不完全さが非常に印象的でした。それが見えた出来事の一つとして、某SNSで叫ばれたドラッグストア店員の悲痛の声でした。

 

それを投稿したのは、ドラッグストアで十二年間働いておられる女性の方でした。皆さんご存知の通りこの騒動のさなか、ドラッグストアはマスクの供給不足により人が押し寄せ、混乱をきたしています。訪れる人々が一様に「マスクの入荷はいつなんだ?」と鬼気迫る形相で、あげく店員さんに暴言を浴びせる人までいるそうです。

 

それだけではなく、今度はペーパー・生理用品・ベビーオムツなどといった製品を買い占める人も出てきていました。ちなみにペーパー類買い占めの原因は、今回のコロナ騒動によって中国からの紙製品の輸入や生産が滞ってしまうという情報に端を発したものです。しかし、そういった紙製品はほとんどが国内生産で、原材料も国産です。中国の影響はほとんど受けることがありません。つまり、紙製品不足になるというのは、デマ情報です。しかし私たちはこういった騒動の中で、何が本当の情報かを見失い、何の根拠もない悪意に満ちたデマに踊らされ、恥ずべき行為繰り返してしまいます。

 

そんな私たちの恥ずべき有様を照らし、映し出してくださるのが阿弥陀様の御光ではないでしょうか。

 

「本当のものがわからないと本当でないものを本当にする」

 

この言葉は、安田理深先生というお坊さんのお言葉です。このお言葉を逆説的に読むと、「本当のものを知らされると、本当でないものが見えてくる」という意味になります。私たちは仏法という「本物」を聞かせていただくことにより、自分という「本当でない」すがたが映し出され、その真実を知らされます。また自分という「本当でない」すがたを仏法という「本当のもの」を通して見たとき、私たちは初めて阿弥陀様のお徳を仰ぐことができるようになるのではないでしょうか


2020年3月21日〜31日

 

「親のよび声」

 

華松組安楽寺 金安一樹

 

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と私が称えているお念仏も、阿弥陀さまのおはたらきがあってくださったからこそ、今私の口をついてお念仏が出てくださいます。

 

私には、三歳になる甥っ子がおります。たまに会うときは、私の顔を見るなり走って私に飛びついてきてくれる、かわいい甥っ子です。三歳になるとまだまだ片言ですが、少しずつ言葉を発するようになりました。自分の思いを精一杯伝えようと言葉を発するのですが、言葉にならず、聞いているこちら側は、意味は分かりません。しかしそのしゃべり続ける姿さえも愛おしく思わずにはいられません。

 

そんな甥っ子が最近「お母ちゃん」と言えるようになりました。おばあちゃんや私と遊んでいても、母親の姿が見えなくなると「お母ちゃんは?」と言います。また遊んでいて、一生懸命走って、コテンッと転ぶと大泣きしながら、「お母ちゃん、お母ちゃん」と呼びます。こんな時はおばあちゃんが抱きしめても、「お母ちゃん、お母ちゃん」と、母の姿を探すのです。寂しくなったとき、心身ともに辛いとき、呼ぶその声は「お母ちゃん」であります。甥っ子が呼ぶ「お母ちゃん」という言葉には、生まれてこのかた、甥っ子が言葉を発するその前から、母親の方が我が子に「お母ちゃんやよ。お母ちゃんはここにおるよ。」と、呼び続けてくれた。また母親が我が子を呼ぶ心持ちは、「私はあなたのお母ちゃんやよ。どんなことがあっても見捨てることができない大事な、大切な我が子だよ。」という思いであります。親のはたらきがまずあったからこそ、甥っ子が「お母ちゃん」と呼ぶことができ、寂しいとき、辛いとき、たよりとなり、安心を与えてくれるのです。

 

「南無阿弥陀仏」とお念仏が出るはずがない私の口から、お念仏が出てくださっています。それは阿弥陀さまが、私のいのちに「どんなことがあっても見捨てることができない仏の子だよ。あなたは一人ではない。私が常に一緒におるぞ」と喚び続けて下さった。いのちの親様となって「南無阿弥陀仏」と私に至り届いて下さった。お念仏申している身にあるということが、今阿弥陀さまが私を守り育て続けてくださるおはたらきの真っただ中にあるということの何よりのしるしであります。


2020年3月1日〜10日

 

「お育て」

 

下松組光圓寺 石田敬信

 

 北九州のお寺さんでお世話になっていたときに、70代の男性の門徒さんに出会いました。その方のお母様の月命日にお参りして、その後お話をした時のことです。

 

「浄土真宗はどんどん減ってきているように感じますが、原因はなんだと思いますか」と聞かれ、「私たち僧侶の問題かもしれません」とお答えすると、「私もそう思います」と言われ、初対面でしたから、ドキっとしました。

 

「私は死んだら無になると思います、だから阿弥陀様とかの空想な話が大嫌いです」

 

「浄土真宗は今の時代に合ってないように思いますが、どう思われますか」

 

矢継ぎ早に質問をされて、戸惑いましたが、よくよく話を聞くと、仏教にとても興味がある方でした。また、お母様はとても熱心なご門徒だったようです。

 

「大切な人が亡くなった時に、もう二度と会えない、無になって終わりでは寂しくないですか。死んでお終いではなんのために今を生きているのか、その疑問が私のスタートでした。阿弥陀様はどちらも先手で解決してくださいました。」とお答えすると、頭を抱えてらっしゃいました。

 

それからたくさんお話をして、「どうか分かりやすい良い話をするお坊さんになって下さい。あなたの法話を聞いてみたい、ヤジをとばしてあげますよ」と笑いながら言われ、お互いに打ち解け、仲良くなりました。歎異抄を読まれることをお願いして、次に会った時には、「読みましたが、なにも考えは変わりませんでした」と正直に言われました。

 

それからもお会いするたびに、たくさん話をして、仲良くしてくださいました。

 

しばらくお会いできなくなり突然その方が、寝ているときに亡くなっていたと連絡がきました。お葬儀をお勤めしながら、まだまだお話したかったのにと、想いがこみ上げてきました。もっと伝わる表現があったのではないか、僧侶として最善の努力でこの方と関わることができていたかと、悔やみました。奥さんが「あなたと話をするの、いつも楽しみにしていたのよ」と言って下さいました。

 

奥さんは他宗の方だったので、月命日はもうされないかなと思っていましたが、「主人が大事にしていたので」と、その後も、お母様の月命日のお参りを続けることになりました。

 

ご主人は、僧侶や浄土真宗に疑問を問いながらも、お母様の月命日を大切にされていました。生前のお母様のお姿が、この方を育てたのでしょう。言葉だけで、納得してもらいたいと思っていた私の浅はかさに気づかされました。この方から尊いお育てをいただいたことでした。

 

阿弥陀様はすべてのいのちを、必ず仏にしてくださいます。生まれたからには必ず死をむかえ、大切な方と離れていく私の苦しみ悲しみをみそなわし、自分中心のこころから迷い苦しみ、離れることができないこの私を、決してあきらめることなく、お念仏申すものに育てあげ、おさめ取って捨てないのです。あなたを必ず救うという、阿弥陀様のおこころは、私のためであったのかと聞かせていただきながら、もったいないありがたいと、おまかせし念仏申しながら、またいつかこの方とお遇いしたいと思います。


2020年2月21日〜29日

 

下松組専明寺 藤本弘信

 

今から50年前、1970年は大阪万博が開催された年でした。

 

この万博では「人類の進歩と調和」というテーマのもと、技術の進歩を示すだけではなく、その進歩が同時に自然や人間性にどのような影響を与え、山積する様々な課題をどう解決し、「調和」のある「進歩」をどう実現していくのかを考えていく博覧会でもありました。

 

50年が経過した今、確かに技術の進歩は日進月歩、めまぐるしいものですが、その反面、環境破壊や国家間の「調和」にはどれほどの進歩があったのでしょうか。もっと身近な所でいうならば、50年の技術進歩によって、私達は以前より幸せになることができたのでしょうか。「いやいや、これからもっと技術が進歩していくのだから、その先に幸せが待っている」というのでしょうか。それは一体いつになるのでしょうか。

 

技術の進歩によって幸せになれるというのは、夢・幻であり、本当の幸せは自分の生き方次第で大きく変わるものではないかと私は思うのです。

 

蓮如上人は『御文章』の中で、「それおもんみれば、人間はただ電光朝露の夢幻のあひだのたのしみぞかし。たとひまた栄華栄耀にふけりて、おもふさまのことなりといふとも、それはただ五十年乃至百年のうちのことなり。(省略)されば死出の山路のすゑ、三塗の大河をばただひとりこそゆきなんずれ。これによりて、ただふかくねがふべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり」

 

とお示しくださっています。

 

願うべきは後生、たのむべきは弥陀如来とありますが、たのむとは、お願いをするのではありません。この苦しみ悩む私達を必ず救うとはたらいてくださる阿弥陀様にこの身をそのままお任せしていくというのです。

 

これこそが、どんな時代、苦しみ、問題があろうとも、時代を超えて親鸞聖人、蓮如上人、そして先達の方々の生き方だったのではないでしょうか。


2020年2月1日〜10日

 

「煩悩具足の凡夫」

 

豊浦西組大専寺 木村智教

 

今年は例年にない暖冬ですが空気の乾いた日が続いています。私は生まれつき肌が弱く、この時期はカサカサの乾燥肌に悩まされます。先日、主治医の先生から「ひっかくと余計かゆくなるから、かかないほうがいいですよ。」と言われ、「はい気をつけます」と私はこたえました。 バリバリとかきむしりながら。 別にかきたくてかいているわけではありません。しかしたとえ医者に止められても、「かいたら余計かゆくなる」と頭ではわかっていても、条件が整えばかかずにはいられません。

 

親鸞聖人は『歎異抄』にて 「人はだれでも、 しかるべき縁がはたらけば、 どのような行いもするものである 」とお示しくださいました。己の思うままにいい人になれず、如何ともし難いものを抱えているのが、仏様に見抜かれた私の姿です。自らの姿を身を煩わし心を悩ますものを具えた者であると、嘆きと悲しみを込めて親鸞聖人は「煩悩具足の凡夫」とよばれました。

 

仏法にであった私が阿弥陀様にすくいに身を任せるので、生命尽きたとき煩悩から解き放たれる。その嬉しさを親鸞聖人は「煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば すなはち穢身すてはてて 法性常楽証せしむ 」と詠われたのです。

 

かゆいところをかきながらも、お念仏申さずにはいられません。

 

南無阿弥陀仏


2020年1月21日〜31日

 

「泥の中へ」

 

大津東組西福寺 和 隆道

 

 これは、私が小学校へ入った頃の話だったと思います。ある日、私は、友達と木登りをして遊んでいました。誰が一番高く登れるか、そんなことを競っていたと思います。私は木登りが得意でしたので、調子に乗ってどんどん枝の先の方へ登っていきました。「みんなも早く来いよ」、私がそう言ったその時です、私が登っていた木の枝が、「ボキッ」と根元から折れてしまいました。「うわーっ」、「ドボッ」、私はドブ川の中へ真っ逆さまに落ちていきました。顔も体も半分以上泥の中に埋まり、身動きがとれません。目も開けられません。なんとか息はできます。「助けてーっ」、私は必死に泣き叫びましたが、友達もオロオロするばかりで誰も助けに来てくれません。私は思いました、「私の人生もここまでか、思えば短い一生であった…」。

 

するとその時です。「ガバーッ」と、誰かが私の体を泥の中から抱き上げてくれました。それは外でもない、私の母親でありました。我が子のためなら、どれほど汚い泥の中へでも一目散に飛び込んで抱き上げる、それが母親という者なのでありましょう。その後病院へ行きましたが、命に別状はなかったとのことであります。

 

「生死の苦海ほとりなし ひさしくしずめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」、我々は、生死の苦海、煩悩の泥の中に沈む者でございます。自らの力では、その泥の中から抜け出すことはできません。そのことを深く哀れんで下さったのが、大悲の親様である阿弥陀如来様でございます。いてもたってもいられずに、南無阿弥陀仏の御名号となられて、泥の中に沈む私の元へ来て下さっておられます。この南無阿弥陀仏のお働きによって、命終わり次第には、間違いなく西方の極楽浄土へ生まれさせていただくと、聞かせていただくばかりでございます。