テレホン法話2024年

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3月1日~10日

「そのまま」

 

宇部小野田組 浄円寺 日髙 殊恵

 

梅の花がとてもきれいに咲いています。最近「八房の梅(やつふさのうめ)」という梅の木の写真を見せていただきました。一つの花から、8つの実が、多い時には15個ほどの実をつける、何とも不思議で珍しい品種の梅だそうです。

 

新潟県の梅(ばい)護寺(ごじ)さまには、親鸞聖人さまが越後にご滞在の際に、お食事でいただかれた梅干の種を、自ら庭に植えられて、「弥陀の本願を信じまいらせ浄土往生疑いなくば、この漬けたる梅より芽を生じ、花一輪に八つの実を結んで、末代まで繁り栄え凡夫往生の証拠となるべし」と言われ、さらに「生死を出づべき道は、本願の念仏を聞き、他力回向の信心のほかにありえません」とおっしゃられたと伝わっておられるそうです。

その梅の木は、いまでもたくさんの花を咲かせ、たくさんの実をつけているそうです。

 

信心とは、私の祈る心や、私の判断で信じることをいうのではなく、必ず救うという阿弥陀さまのご本願であります「南無阿弥陀仏」のおはたらきを、そのままお聞かせいただく、聞くがままが信心なのです。「南無阿弥陀仏」のお名号は、そのままが阿弥陀さまのお名告りであり、お喚び声であります。「必ず救う、決してあなたを見捨てることはない。もしあなたを見捨てるようなことがあるならば私は阿弥陀と名告らない」とお誓いくださいました阿弥陀さまが、すでに「南無阿弥陀仏」とお誓いを仕上げてくださり、私にいたり届いてくださり、この口からこぼれ出でてくださっておられます。この口に「南無阿弥陀仏」と申させていただくたびに、親鸞聖人さまがおよろこびくださいました阿弥陀さまのおこころをお聞かせいただくことであります。

 

南無阿弥陀仏

 


2月1日~10日

「報恩講」

 

下松組 光圓寺 石田 敬信

 

1月16日は、浄土真宗のご開山親鸞聖人の祥月のご命日です。

本願寺では、御正忌報恩講といい、毎年1月9日から16日までお勤めします。本山の報恩講に先立ち、九月から一月頃にかけてお勤めする地域ではお取り越し報恩講と呼ばれています。

親鸞聖人がお伝えくださったのは、南無阿弥陀仏のお救いです。この南無阿弥陀仏は阿弥陀さまのお呼び声です。「あなたを私が必ず仏にします、どうか私にまかせなさい」と呼び続けている阿弥陀さまに、「はい、おまかせします」とお答えするのがお念仏です。このおまかせした瞬間に見えない阿弥陀さまの光に包まれます。阿弥陀さまに抱かれているのです。阿弥陀さまが抱いて離さないから、私がいついのち尽きたとしても、仏になることはもう決まっているのです。いついのちが尽きたとしても大丈夫と、安心して今を生きていけるようになります。

なぜ私を仏にできるのでしょうか、なぜ救おうとおもわれたのでしょうか。

それは自分中心の心である煩悩によって苦しんでいる私の姿をみられ、いてもたってもいられなくなったからでした。私の悪を、みずからの痛みとされたのです。私を指導して変えていくのではなく、長い時間をかけてみずからに48の条件をつけて永い永い修行をされて、どんな者であっても見捨てることのない仏さまに変わっていかれたのでした。

この南無阿弥陀仏には永い修行で積まれた、たくさんのかぞえきれないほどの智慧と慈悲のお徳がこめられています。宝の海と例えられる南無阿弥陀仏、どうかいただいてくださいね、どうか阿弥陀さまにいのちをまかせましょうねと、お勧め、お伝えくださったのが親鸞聖人さまです。

「本願力に遇いぬれば空しく過ぐる人ぞなき功徳の宝海みちみちて煩悩の濁水へだてなし」

阿弥陀さまのほうから私に届いてくださった、私のためにご苦労くださった阿弥陀さまだったと聞かせていただくと、慶びの中でお念仏称えながら、この人生がむなしく過ぎていくことはありません。

この世界は楽しいこともたくさんありますが、有り難いこのみ教えに遇わせていただくと、楽しいだけで終わらなくて良かったと思います。

親鸞聖人のご遺徳を偲び、阿弥陀さまに遇わせていただいたご恩にお礼を申させていただきます。


1月21日~31日

 

『八功徳水』

 

美和組長泉寺 田坂亜紀子

 

私たちのご本尊阿弥陀如来という仏さまは、私たち一人ひとりを必ず我が国に生れさせようと極楽浄土をお建てになりました。その極楽浄土の風景の一つには、七つの宝でできたキラっキラな池があり、その池には八功徳水、八つのすぐれた性質を持つ水がなみなみとたたえられていると、『仏説阿弥陀経』に説かれています。

 

八つのすぐれた性質とは何でしょうか?

 

① きれい ②臭くない ③軽やか ④冷たい ⑤柔らか

⑥おいしい ⑦飲みやすい ⑧安心して飲める

 

……え、そういう水なら極楽浄土まで往かなくても、蛇口ひねれば出るよ?と思われたかもしれません。そう、割合に水が豊富な日本において、水のありがたみは分かりにくいかもしれません。

 

アフガニスタンという国で二十六年の長きに渡り、支援活動をなさっておられた中村哲さんというお医者さんがおられました。アフガニスタンと言えば、四十年以上内戦状態にある政情不安定な国です。そこで医療活動をする中で、中村さんは地球の気候変動による深刻な水不足により、多くの人々が苦しんでいることに気がつきます。

 

  綺麗な水を飲むことができれば、感染症にかからずに済んだのに。

  綺麗な水で傷口を洗うことができれば、破傷風にならずに済んだのに。

  十分な水があれば田畑をたがやし、栄養失調にならずに済むのに。

  ……彼らに必要なのは水だ!

 

中村さんは白衣を脱ぎ、メスを持つ手にスコップやツルハシを握りました。大きな川から約二十五キロもの用水路を築こうという大事業に挑んだのです。一から土木技術を勉強しました。自分がいなくなった後でも、アフガニスタンの人々が自ら水路を守っていくことができるよう、あえて便利な工業機械は用いませんでした。工事には毎日六〇〇人もの現地の方々が参加しました。彼らにはちゃんとお給料を支払いました。

七年がかりで大規模な用水路が完成し、その間少しずつ開墾が進められました。米、小麦、スイカ、ピーナッツ、大根、人参……たくさんの農作物が作られるようになりました。「死の谷」が「命の緑野」へ変化していったのです。

農業だけでなく、畜産、養蜂、養魚もできるようになりました。学校も建てられ、みんなが安心して暮らせるようになっていきました。すると、家族を養う為に傭兵として戦争に赴いていた人たちもふるさとに戻り家族と暮らせるようになりました。

中村さんのご活動は、水の与えてくれる恩恵がはかりしれないことを教えてくださいます。

ところで、中村さんはなぜこれほどまで人々の為に尽くしていかれたのでしょうか?中村さんはこう言い残しておられます。

「見捨てちゃおけないからという理由以外に、何も理由はない」

阿弥陀さまが八功徳水満ち満ちた美しい池をはじめ、美しい極楽浄土を作られた訳も、苦悩する私たち一人ひとりを「見捨てちゃおけないから」です。極楽浄土は、ただ美しいわけではありません。阿弥陀さまが私を、あなたを、「見捨てちゃおけない」というお心がたくさん詰まった世界であると味わわせていただきます。

 

南無阿弥陀仏