基幹運動用語解説「た」「な」行


ダーナ

一般には他に与えること。心の安らぎを与えるために法を説くことや、金品を贈ることをいいます。親切な行いも布施です。布施は本来菩薩の行ですから一切の執着を離れた行為でなければなりません。私が誰に何を施したというとらわれの思いが残っては、すでに布施とはいえません。浄土真宗における布施は如来回向の信心に基づく報恩行として行われるのです。1965(昭和40)年、ニューヨークで開催された第二回世界仏婦大会で「よろこんで布施をしましょう」と申し合わせ、ターナの日を制定しました。仏婦総連盟では毎年2月の第2日曜日を「ターナの日」と定めて布施の実践を続け、難民救援や福祉施設訪問など幅広い活動を展開しています。


ターミナルケア

ターナミナルは、終点、末端。ケアは世話、看護などの意。終末期看護の事。末期の患者のもつ心身の苦痛を支えるために、医師・看護婦・心理学者・ソーシャルワーカー・ボランティア・宗教者などの協力によって看護・介護すること。
近時、関係者の間でターミナルケアという言葉を使用しない傾向があります。一つには家庭復帰、社会復帰のための努力が消極的な印象をもって受け取られることへの困惑と、二つには生命のある限りより深く、より豊かに、より有意義に生きるための援助活動という重要な一面を見失わせることになるからです。


だいじょうぶっきょう【大乗仏教】

釈尊滅後、紀元前一世紀ごろから、釈尊の説かれた仏教の真のこころを求めて、自己のさとりのみを求めるのではなく、他の多くの人々に救いを説く仏教が出現しました。さとりに至る大いなる乗り物(仏の教法を乗り物にたとえて乗と名付けたのは、仏の教法は衆生を載せてまよいの世界よりさとりの世界へ運ぶ乗り物であるから乗といわれたのです)という意味です。「マハーヤーナ」(サンスクリット語。大乗と漢訳されている)と呼ばれました。小乗が、ただ自利のみを求めて利他の志のない教義であるのに対し、大乗とは、自利利他円満の利他行(自らさとりを求めるとともに、生きとし生けるものすべてをも救済しょうとする、自利利他の菩薩の教え)を掲げて、一切衆生がともに成仏する道を説くものです。親鸞聖人は、「浄土真宗は大乗の中の至極なり」と阿弥陀如来の本願の教えこそ、釈尊の説かれた仏教の真意であると示されています。


たたり【崇り】

神や怨霊などがなす災厄。神や霊に不敬をはたらいたり禁忌を破ることによって引き起こされると考えられています。人間の畏怖感や恐怖感から、神や霊魂が人間生活にわざわいを及ぼすと信ぜられ、これをタタリと呼びます。疫病の流行、戦争、飢饉、地震、雷、死などの災厄を死者または生者の怨霊の崇りであると考えられる信仰は今日でも依然として根強く残っています。


たりきほんがん【他力本願】

阿弥陀仏の、衆生を救済しようとして発願され、成就された本願のはたらきをいいます。他力本願を単に他人の力という意味にうけとるのは誤りです。


ちいきかいぜんたいさくとくべつそちほう【地域改善対策特別措置法】

1982(昭和57)年同和対策事業特別措置法の期限切れにともない制定され法律で、5カ年の時限立法です。内容的には同和対策事業特別措置法(同対法)を受け継いでいます。しかし、名称に表れているように同和問題に関する措置が地域改善対策に限定され、しかも事業の内容を同対法では法によって定めていたものを、この法律では政令にうつし事業項目も限定しました。そのため対策として必要でありながら、予算などの理由でこれに漏れたものは国の補助対象にされないため、地方自治体は過重な負担を負うか、あるいは実施できないことになり、おもに地方自治体等から同法に基づく同和対策への批判が高まりました。その後1986(昭和62年、同法を基に「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」が制定され現在に至っています。


ちたいざいとくほう【地対財特法】

「地域改善対策特定事業に係わる国の財政上の特別措置に関する法律」(1987(昭和62年)~1992年(平成4)の時限立法)の略称。「地域改善対策特別措置法」期限切れ後の同和対策に関してさらなる延長完備を求める要望のなかで成立した法律。「地対法」の残事業について財政上の特別措置を法律の期限内においてのみ実施することを定めています。この法律は同和対策のための最終の特別措置であると、ことわっている点、法律の対象範囲を厳しく制限していること、あるいは「ねたみ差別」などの心理的差別に対しては地区住民の自立を要求したり、差別の原因を行政のあり方や、解放運動団体に求めていることなど、同対審答申に示された精神と部落差別の現状に照らして後退的である、と指摘されています。


ちゅうおうきょうしゅう【中央教修】

門徒推進員中央教修のこと。連研を修了した人が受講する三泊四日の中央での研修。この研修では、み教えを法座の実践を通してより深く学びます。この研修を修了した人は、所定の手続きを経て門徒推進員に委嘱・登録されます。


つうしんきょういく【通信教育】

浄土真宗本願寺派では、中央仏教学院の通信教育部で実施されています。得度・教師の基礎資格を取得できる専修課程と、学習・聞法を目的とする学習課程があります。入学資格は、義務教育修了者で、専修課程の入学には、住職など所属寺の代表者の承認が必要です。修業年限は共に三カ年。なお、年間数回の面接指導(スクーリング)や学習会があります。


つみ【罪】

身・口・意の三つによって自らと他を害し、損なう行為をいいます。親鸞聖人は煩悩にそまった人間の行為そのものを罪として受けとめられました。


でんどう【伝道】

自ら本願を聞き念仏を申して、信心の生活をよろこび、他の人びとにも往生浄土の道を伝えること。釈尊は人びとの苦悩をのぞくために生涯のあいだ伝道の旅を続けられました。本願を仰ぐ私たち念仏者が御同朋の精神のめざめにたって、信のよろこびを人びとに伝えることを「全員聞法・全員伝道」といいます。


どうしゅうれん【同宗連】

「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」の略称。
1979年アメリカのプリンストンにて開催された、第三回世界宗教者会議における「町田差別発言」を契機に、1981年結成されました。宗教者を名乗る者として、あらためて深き反省の上に教えの根源にたちかえり、同和問題解決へのとりくみなくしては、もはや、日本における宗教者たりえないことを自覚し、おのおのの教義の基本精神にたちかえることを誓い、もって部落差別をはじめとする一切の差別を許さないことを決意しています。現在67教団と3団体が加盟しています。


どうぼううんどう【同朋運動】

1922(大正11)年、「全国水平社」創立の年、私たちの教団の先輩たちは「黒衣同盟」を結成して部落解放運動と歩みをともにしました。その翌々年には「一如会」が結成されますが、十五年戦争のなかで運動は消滅します。1950(昭和25)年、浄土真宗本願寺派同朋会が結成され、「同朋運動」を提唱しました。1971(昭和46)年「同朋運動本部」体制をとって、部落差別の問題に取り組む運動は全教団の運動となっていきました。今日では教団の基幹運動として取り組んでいます。


どうわたいさくじぎょうとくべつそちほう【同和対策事業特別措置法】

1965(昭和40)年に同和対策審議会が出した、いわゆる「同対審答申」をうけて総理府の付属機関として同和対策協議会を設置し、1966(昭和41)年同協議会の同和対策事業特別措置法案要綱に基づき、1966年7月に制定された法律。10年間の時限立法で、1978年にさらに3年間延長されました。


どうわたいさくしんぎかいとうしん【同和対策審議会答申】

同和対策審議会は「同和対策審議会設置法」〈1960(昭和35)年〉に基づき設置された総理府の設置機関。1961(昭和36)年に発足しました。総理大臣の諮問「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」に対して1965(昭和40)年に出された答申です。略して「同対審答申」ともいいます。この「答申」は部落問題の現状を明らかにするとともに、部落問題が人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であること、そして、これを解決するのは国の責務であると同時に、国民すべての課題であることを明らかにし、差別に対する法的規制を含める特別施策を国に対して勧告しています。以後この答申は、同和対策の基本方針ともいうべき位置付けがされています。


どうわもんだい【同和問題】

部落差別の問題。「同和対策審議会答申」は、同和問題を「日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なお著しく基本的人権を侵害され、とくに、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である」と記しています。つまり部落差別は、近世封建社会の支配層が民衆を分裂支配するために被差別階層を設けたことに始まります。そして身分・職業・居住地などを制限し「穢多」「非人」などの蔑称を用いて差別してきました。近代になり明治政府は1871(明治4)年いわゆる「賤称廃止令」を出して身分制を廃止しましたが、「新平民」といった新たな蔑称が使われるなどして実態的には差別は解消されませんでした。1945(昭和20)年の敗戦後の政治・社会の大きな変革にもかかわらず差別は解消されず、先の「同対審答申」にあるように今日も「もっとも深刻にして重大な社会問題」として存在しています。こうした差別に対し、1922(大正11)年全国水平社が結成され、今日まで70年余にわたる解放運動が進められ、同和問題の解決が「国の責務であり国民的課題」であるという取り組みをもたらせるまでになっています。


とくど【得度】

僧となること。得度は一定の儀式をもって師僧からうけますが、浄土真宗本願寺派では、門徒(寺族を含む)が所属寺の住職の同意を得て、得度考査を経て、得度習礼を修了したのち門主より得度式を受けます。


にっこう【日校】

日曜学校の略称。小・中学校の児童・生徒を対象に行なわれる教化活動。実際には日曜日に開催されるものだけではなく、他の曜日に開催されるものや、月一回、季節的に開催されるものなどを含み、また名称も「こども会」など多様な形で行なわれるものを総称していいます。内容はお勤めと法話が基本ですが、そのほかにゲームなどを実施しているところもあります。また、報恩講・花まつり・降誕全・成道会などの仏教行事や地域にかかる奉仕活動・遠足・キャンプなど様々な行事が行なわれています。


にょらい【如来】

如とは、真如のことで、真理・ありのままの真実の意ということです。また、来とは、「来生」という意味です。したがって、如来とは、真如のさとりから来て、苦悩の一切衆生を救う仏のことをいいます。如来には十種の称号(応供・等正覚・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊)があります。大乗仏教には多くの如来が説かれていますが浄土真宗では阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)のみを本尊としています。


ねはんえ【涅槃会】

涅槃とは、サンスクリット語の「ニルヴァーナ」の音写で、滅度・寂滅と漢訳します。煩悩の火を吹き消した状態をいい、智慧が完成され迷いのなくなったさとりの境地を示す言葉であります。また、仏陀釈尊の入滅をも意味します。釈尊の入滅の日2月15日に、涅槃図などをかかげ、釈尊のみ教えを喜ぶ法要をいいます。


ねんぶつ【念仏】

仏を念ずること。念仏には真如を念ずる実相の念仏、仏の姿を心に想い観る観想の念仏、仏像を観ずる観像の念仏、仏の名号を称える称名念仏などがあります。浄土教では、このうち称名念仏を往生の行として説きすすめています。浄土真宗では、阿弥陀仏の救いを喜び、その救いに対する感謝の思いから、南無阿弥陀仏の六字名号を称えることを言います。


ねんぶつしゃ【念仏者】→ ◇しんじんのぎょうじゃ【信心の行者】


のろい【呪い】

超自然的な力によって、自己の怨念を相手に及ぼし、これにわざわいをもたらそうとすることで、呪詛ともいわれます。呪術としてはマジナイの一つで邪道です。