9月21日~30日
宇部小野田組 浄念寺 吉見 勝道
「必ずまた会える」
今年も秋のお彼岸の季節となりました。今年であれば、二十二日、秋分の日を中日として前後三日間の一週間をお彼岸と呼びます。太陽が真東から昇って真西に沈んでいくお彼岸の時期は「西」と指し示されたお浄土を思いやすい時期であるといえるでしょう。
お浄土は「倶会一処」、「また一つの処で倶に会うことのできる世界」であるとお釈迦さまは教えてくださいました。阿弥陀さまが私を、私たち一人一人を名指しで必ず連れて帰ると喚んでくださっています。それを聞き入れること、阿弥陀さまにおまかせする、つまりは同じ親を持つからこそ、同じお浄土へと生まれて往くのです。だからこそ、お浄土は「必ずまた会える世界」といえるのです。
親鸞聖人はお弟子に宛てたお手紙の中で、
「この身は、いまは、としきはまりて候へば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし」(註釈版p.785)とお示しくださっています。
今生では、もう会うことはできないかもしれないが、また必ずお浄土でお会いしましょうね。
老いの寂しさではなく、お浄土での再会を楽しみにされているこのお言葉を受け取ったお弟子はどれだけよろこばれたことでしょう。安心したことでしょう。今の私にも、語りかけてくる、あたたかいお言葉です。
この秋のお彼岸も、先立って往った方々を思い、先立って往った方々をご縁とし、また必ず会える世界、お浄土を聞く時期と致しましょう。
9月11日~20日
豊浦西組 大専寺 木村 智教
「仏様の名告り」
あなたは、ご家族に対してご自身をどのように呼ばせていますか。一般的に「パパ」や「ママ」、あるいは「父さん」や「母さん」など、様々な呼ばせ方があると思います。
あるお寺のご老院は、お孫さんに英語でおじいちゃんを意味する「グランパ」と呼ばせているそうです。理由は「グランパがかっこいいから」であり、「おじいちゃんとは呼ばれたくない」からだそうです。
お釈迦様が初めて教えを説いたときのことです。当時36歳、場所はインド北部の鹿野園(サールナート)でした。彼はかつて一緒に苦行を共にした五人の仲間に対し、法を説く前にまず、「友と呼ぶな、ゴータマと呼ぶな。修行を完成し真実に目覚めた者だから、私のことは仏陀と呼びなさい」と伝え、自らの呼び名を正しました。呼び名を正すことは、関わり方を変えることでもあり、仏陀と名告ることで、友人同士という関係から仏と弟子という関係を築き、ご教化を成功へと導きました。
さて、「南無阿弥陀仏」は「名告り号す」とかいてお名号といい、阿弥陀如来は「南無阿弥陀仏」として自ら名告られた声の仏様です。「南無」とは帰命を意味し、「帰せよの命」と読みます。我に任せよというのです。「あなたにとって私は何者か。今、あなたを抱きしめ、決して離さぬものだ。だから安心して私の名を呼びなさい」という仏様の意志を示しています。
浅原才市同行は、そのような仏様に出会えた喜びを、「親の心と才市の心 親は助ける才市は助かる ご恩うれしや南無阿弥陀仏」と詠まれました。そこには限りない豊かさと安心があらわれています。
南無阿弥陀仏
9月1日~10日
下松組 光圓寺 石田 敬信
「人間っていいな」
子どもの頃、日本昔ばなしというアニメをよく見ていました。
そのアニメのエンディング曲が、人間っていいなという歌でした。ひさしぶりに聞いてみると、とても良い歌だと思いました。
クマの子が人間の子っていいなと見ている内容の歌詞なのですが、クマの子は人間の子どもの、なにを羨ましがっていたのでしょうか。
おいしいおやつにほかほかごはん、あったかいふとん、みんなでなかよくポチャポチャおふろ、と人間に必要な食べものや住まいのことが歌詞には書かれ てるのですが、ただ衣食住があることを羨ましがっているのではないのです。
おやつにごはん、布団、お風呂、それらを用意して子どもの帰りをまつ親がいることを羨ましがっているのです。
ごはんをほかほかに温めて、一番おいしい状態にして、子どもが一番好きなおやつを用意して、ねむりやすいように外で太陽にあてた布団を、あったかいお風呂を、愛情をもって子どものために用意している親がいたのです。
そしてクマの子も、僕も帰ろおうちへ帰ろと、くまの親のところへ帰っていくのでした。
またこの歌詞には、かくれんぼでお尻を出した子が一等賞や、運動会でびりっ子元気だ一等賞という歌詞もでてきます。さきに見つかったら一等賞、一番かけっこで遅い子が一等賞と、世間とは逆なことが出てくることも素敵な歌詞だと思いました。
子どもの頃は何も考えず聞いて過ごしていましたが、懐かしさと、親のはからいの中でしあわせに過ごせていたのだなと思いました。子どもの頃の世界は親が愛情をもって包んでくれていたのだなと、この歌に気づかされました。
クマの子が羨ましがるように、人間に生まれてくることはとても難しいらしいです、そして本当の親さまに遇わせていただくのもさらに難しいそうです。
私の親は親さまのおこころを聞かせてもらい、私にもどうか聞いてほしいと願っていたみたいです。このいのち終わって帰っていけるお浄土が用意されているよ、あなたを必ず仏にするよと、今、南無阿弥陀仏となって私を包んでくださっているよ、必ず必ずあなたを待っているよ、と。
参照 にんげんっていいな 作詞 山口あかり
8月1日~10日
須佐組 教專寺 吉岡 顕真
「 お盆に想う 」
一年で一番暑い季節に なりました。最近では温暖化で日本特有の四季があまり感じられなくなったように思われます。特にお盆の季節になると每年暑さが増してくるようです。
お盆が近くなるとお寺では、『盂蘭盆会法要』が勤まります。『盂蘭盆会』とはお釈迦様のお弟子さんの目連尊者 のお母様が仏法によって餓鬼道の世界から救われたことから始まると言われています。
私事ですがお盆が近 くなるとこの歌が妙に心に響きます。それは、さだまさしさんの 『精霊流し』 という歌です。
私が長崎県で生まれ育ったからでよしうか?
『精靈流し』は昨年のお盆からくなられた方を八月十三日に西方浄 土から家へお迎えし八月十五日に今度は西 方淨土 へ見送る行事 です。初盆の家では八月十五日この夜は提灯とともに御供物を船に乗せます。
道中は中国製の爆竹や鐘を鳴らしながらとても賑やかに知人•友人などが集まり船を担ぎ故人を港まで送ります。
船の名前はどれも「 西方丸 J です。さだまさしさんがこの歌を作曲されたのは四十年程前でしょうか?
ご自身のいとこの方が亡くなられた時に作曲されたと聞きます。
歌詞のとおりとても賑やかな反面涙を流し船の後をついて行きながら亡くなられた方を思う時爆竹の音も耳には届かないでしょう。
恐らく走馬灯のように一緒に泣いたり笑ったり喧嘩もしたりしたことが思い出されることでしょう。
『精霊流し』が終わると急に胸の中に大きな穴が開いた気持ちになります。寂しさだけが残るような気がします。私達はこの世で命終えたならばそれで終わり。ㄡ会う世界があることを知りません。
「 お浄土で必ず待っているからね。年に一回、二泊三日で港でさようならではないよ。
貴方の傍にいつも居るんです寂しい時は私の名前を呼んでね。
今度の名前は南無阿弥陀仏と声に出して呼んでね」 と約束して下さっています。
呼び声が私に届いているでしょうか?
「声に姿はなけれども 声のまんまが佛なり 佛は声のお六字と 姿を変えて我に来る 」
高松 悟峰先 生のお言葉ですが今一度かみしめてみたいものです。
南無阿弥陀仏
7月21日~31日
下松組 専明寺 藤本 弘信
こちらは山口別院テレホン法話です。今日は下松組専明寺の藤本弘信がお取次ぎいたします。
こちらのお別院も浄土真宗のお寺ですが、私がお預かりしているお寺も浄土真宗のお寺になります。私も浄土真宗の僧侶ですが、浄土真宗と聞きますと今では宗教の名前でお聞きすることがほとんどだと思います。これは間違いではありませんけれども、本来浄土真宗という言葉について親鸞様は「教えの名前だよ」っておっしゃるんですね。分かりやすく言うならば日蓮宗さんという宗派がございます。あの日蓮宗さんの日連というのは日連さんという人の名前が宗派の名前になりました。天台宗という宗派がございますけれど、天台というのは、これ実は地名であります。元々最長さんが開かれたと言われてますけれども、実際は天台の教えは中国にありました。その教えを日本に持って帰ってきたのが最長さんなんです。がその中国の天台の智顗(ちぎ)と呼ばれる方がのお住まいが天台山という山だったそうです。ですので、地名なんですね。
親鸞様が、もし自らの名前を用いて宗派としたら、親鸞宗となっていたかもしれませんし、親鸞様の縁(ゆかり)の地名を宗名としたなら、稲田宗となっていたかもしれません。
ですが浄土真宗というのは「人の名前」でもなければ「場所の名前」でもありません。親鸞様は、「教えの名前」をつけられたんですね。では浄土真宗という教えはどういう教えか、いかなる命も納めとってくださる仏様、阿弥陀様という仏さまが今ここにおいでですよ、と聞かしていただく。そう聞かしていただくならば、我々いろんな人生があると思いますし、我々いろんな最後があると思います。しかし、どのような人生であろうともどのような最後であろうとも死んでしまいのつまらん命じゃなくお浄土に生まれ仏と成らさしていただくというのが浄土真宗ということなんです。つまり浄土に生まれゆく真実の教え、これを親鸞様は宗名とされたのでした。
7月1日~10日
防府組 明照寺 重枝 真紹
「阿弥陀さまがご一緒」
「しーちゃんのお母さん!しーちゃんのお母さん!」
ある日、玄関から大きな子どもの声が聞こえてきました。お母さんと呼びますから、お父さんとしては出にくいところですが、玄関を開けますと、黄色のカバーが付いたランドセルを背負った二人の子どもがいました。小学校一年生の時は、黄色のカバーを付ける決まりでしたので、私は娘の同級生と気づき、「どうしたの?」と声をかけました。すると、
「しーちゃんが転んだの。転んで怪我して泣いているの。ついて来て!」
私を娘のところに案内する子どもらに「ありがとう。」と声をかけながら、ついていった先には集団で歩く子どもたち、その真ん中には娘の姿があり、涙の跡はありますが、少し笑顔が見受けられるくらい落ち着いた表情をしておりました。
転んだ痛みから涙も出る。でも、それ以上に誰にも見向きもされなかったら、より涙は止まらなかったでしょう。痛いね、大丈夫、と声をかけてくれる子。心配して大人を呼びに行く子。一緒に歩いてくれる子。自分を気にかけてくれた思いが、娘の涙を止め、歩みを進ませたのでしょう。
私たちは、生きていると色んな事があります。ですが、その私を独りぼっちにしない、悲しいままにしない、むなしいままにしない、「われにまかせよ。かならず救う。」と、いつでも、どこでも、どんな私であっても見捨てず、ご一緒くださっている南無阿弥陀仏の仏さまが阿弥陀さまです。
常に居ますを仏という
此処に居ますを仏という
共に居ますを仏という
この仏を南無阿弥陀仏という
阿弥陀さまはいつもご一緒くださっています。色々ございますが、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、阿弥陀さまに相談しながら、歩ませていただきましょう。
6月21日~30日
美和組 超専寺 田坂亜紀子
『慈眼』
仏さまは細い目をしておられます。この細い目を慈しみの眼と書いて「慈眼」と申します。
「目を細める」という言葉もあるように、私たちも可愛らしいもの、愛おしいものを見る時にはついつい目が細くなりますよね。
仏さまは私たち一人ひとりを慈しみいっぱいのお心で見ておられるので、「慈眼」と申しあげるのですね。
そんな仏さまの眼に私たちは見られているお互いです。
もう何年も前になりますが、高校の同級生の結婚披露宴に招待された時のこと。披露宴の最中に新郎新婦さんが赤ちゃんの頃からの思い出の写真をスライドで流しながら、自分たちがどんな人生を歩んできたのかを紹介する場面がありました。
この時、私の友人である新婦さんがこんなことを話してくれました。
「今日この時の為に、思い出のアルバムを引っ張り出して、何百枚、いや千枚以上はゆうにあろうかという写真を漁っていて、ふと、お父さんが映っている写真があまりないことに気がつきました。思い返してみればそれもそのはず、お父さんがいつもシャッターを切っていたのです。」
確かに、スライドに映される写真にはお父さんの姿はありませんでした。でも、その写真には、お父さんの眼差しが映っいます。“我が子が愛おしくてたまらない”、そんな気持ちにみちみちた眼差しが映っています。
「そのお父さんの眼差しに、時に叱られ、時に励まされ、今日まで育てられてきた。これが私の人生だったんだと思った時、自分が映っている写真なのに、とても尊いものに思えました。」
新婦さん、このように話してくださいました。「慈眼」慈しみの眼に見られている、というのは、きっとこういうことなのでしょう。
お互いさまに、自分の人生を振り返ると山あり谷あり、笑い転げる時もあれば、悲しくてやりきれない時もあります。その一瞬一瞬が、実は仏さまの慈しみいっぱいの眼に見られていると聞かせていただくとき、我が人生にも尊さが知らされてくるのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏
6月11日~20日
防府組 真宗寺 岩城大行
今年も梅雨の時期がやってきました。雨は、ときに災害をもたらす一方で、毎年多くの恵みを大地に与えてくれています。こうした一面から、阿弥陀様のみ教えやお心、「南無阿弥陀仏」のお念仏を、雨に譬えることがあります。雨が枯れた大地に降り注ぎ、草木を潤し、果実を結ばせるように、「南無阿弥陀仏」は私の心に働きかけ浄土に生まれる仏として育て上げてくださいます。
ところで、阿弥陀さまのお心を雨に譬えるならば、この私が他人に向ける心はまるで庭の花壇にホースで水をまくようなものじゃないかと思います。大切にしている草花には、枯れてしまわないように、きれいな花を咲かせるように気を配り、しっかり水を与えます。だけれども、花壇の外には水を撒きません。そこに生えるのは雑草だからです。
愛しい大切な人には、健やかにすごしてほしいと願い、苦しんでいる姿を見れば、様々に手助けをすることもできるかもしれない。しかしその心は、私が嫌いな人、関心を寄せない知らない人にも平等に振り向けられるでしょうか。植物を草花と雑草とに分けてしまうように、私の都合で人を区別してしまい、手の届く範囲でしか手を施すことのできない私です。
だからこそ、その降り注ぐ対象を区別することのない雨雲の、その広大さを知らされるのです。私が大切にしている草花にも、私が雑草と呼んで嫌う草花にも、分け隔てることなく、雨は平等に水を与えます。雨雲が空を覆う限りどこまでも水を与えることができます。
阿弥陀さまのお心とは、平等で限りのないものです。「いつでも・どこでも・だれにでも」つまり「今・ここにいる・このわたし」に到り届いているのです。「南無阿弥陀仏」が私の耳に聞こえてくる、私の口から称えられているとき、阿弥陀さまの恵みの雨は、私に到り届いているのです。
思えば、私が庭に撒く水も、私の喉を潤す水も、遡れば雨水が、山川の水となって、水道水として汲み上げられて、私の元に到り届いてくれたものでした。雨水が私を潤してくれるように、阿弥陀さまも「南無阿弥陀仏」となって私の心を潤し育んでくださっていることを、雨の降るなか、味わわせていただく今日この頃です。
6月1日~10日
宇部小野田組 西秀寺 黒瀬 英世
「願いによってできた世界」
阿弥陀さまが建立してくださったさとりの世界、お浄土はきらびやかな風景が広がる私たちにとって魅力的な世界としてお経に説かれています。
本来仏さまのさとりとは、色も形も超えたすがたなのですが、それでは私たちはその世界に心向けることはできません。ですから阿弥陀さまは、私たちをなんとかしてお浄土へと心向けさせるために形を示してお浄土を建立してくださいました。
私たちは一生涯努力しても、形を超えたさとりの真理などという高度な次元は分からないのかもしれません。しかし、さとりの世界から色や形となってあらわれてくださった世界に心を向けることは、たとえその世界の本質が分からなくとも、その世界に心を向けているのと同じことなのです。このような阿弥陀さまのお手回しのことを仏教の言葉で「方便(ほうべん)」といいます。
話は変わりますが、おかげさまで、私の息子はこの二月で二歳になりました。そんな息子のいまの課題はトイレトレーニング。まずは便座に座る練習から始めています。しかし、トイレという場所は息子にとって初めての空間です。入ったことのない狭い部屋に連れていかれ、座ったことのない便座に座らされる。怖がってなかなか座ろうとしてくれません。
そこで連れ合いが苦心して思いついたのが「シール貼り作戦」。息子はシールを貼るのが大好きです。気付けば家中いたるところにシールが貼られています。そんな息子の興味に合わせて、こども用の便座にシールコーナーを作り、「トイレに行こう!」という声掛けから「シールを貼りに行こう!」という声掛けへと言葉を変えたのです。すると思った通り息子はルンルンでトイレへと向かい、便座に座り、シールを貼るのです。これには私も感心させられました。
息子の目的はあくまでもシールを貼ることです。しかし、シールを張るためにトイレに行って、便座に座ることができた。目的はどうあれ息子の心はトイレに向かっているわけです。
忘れてはならないのは、この作戦の根本には母親の願いがあることです。どうか息子に、自立した立派なお兄ちゃんになってほしい、将来困らないようになってほしいという願いからの工夫なのです。
阿弥陀さまの方便も、仏とも法とも知らない私を少しでもお浄土に心向けさせたい。なんとかして私を救いたい、その願いからわざわざ私が心惹かれそうな形を示して、お浄土という世界を建立してくださったのです。そうでもしなければ本来私はさとりの世界に心も向けない、仏教の教えに耳なんて傾けない存在なのです。
本来聞くはずのない仏教をいま聞くことができている。合わすはずのない手をいま合わすことができている。それすべて阿弥陀さまの周到な方便があったからこそだったのです。
5月11日~20日
玖珂西組 受光寺 宇野淳成
「み教えに遇う」
こちらは山口別院テレフォン法話です。この度は玖珂西組受光寺宇野淳成がお取り次ぎいたします。私事ではございますが、今月の16日で30歳を迎えさせていただきます。私のお取り次ぎが11日から20日までということで、この期間中に誕生日を迎えるという偶然にも有難いご縁をいただきました。
30歳という節目の年を目前にして、親鸞聖人は30歳の頃何をされていたのか改めて考えてみますと、親鸞聖人は29歳で比叡山を下りられ、法然聖人のもとで阿弥陀様の本願他力のみ教えに出遇われました。親鸞聖人は法然聖人を讃えて「真の知識にあうことは かたきがなかに なおかたし」とお示しくださっています。仏法を教えてくれる良き先生に出遇うことは本来不可能ですが、阿弥陀様のおはたらきによって出遇わせていただいたということであると受け止めさせていただいております。皆様にも親鸞聖人をはじめとして阿弥陀様のみ教えに出遇うきっかけとなった人や改めてそのみ教えを有難いと思わせてくださった方はたくさんおられるのではないでしょうか。
毎月ご命日にお寺にお参りに来られる方で娘さんと旦那さんを亡くされた方がおられます。その方は「娘と旦那がいるときは嫌なことも多かったけど亡くなって初めて色んな人に支えられて生かされてたんだと思うようになって、今ここで手を合わせるご縁をいただいてます」と言われておりました。帰り際にはいつも「ここに来ると元気をもらえます」と言って帰られます。毎日の生活はお1人で過ごされているため大変なことも寂しいこともあると思いますが、月に1、2回必ずお寺に足を運ばれ、仏前で2人に語りかけお浄土で待ってくれている、今ここに見えないけど南無阿弥陀仏を通じて繋がっているんだということを確認され、笑顔で帰られております。阿弥陀様のおはたらきが南無阿弥陀仏となって確かにこの私に届いている、そしてお浄土という命の行き着く先が決まっているので今を精一杯笑顔で生きれるのではないでしょうか。私もその方の姿を通して確かに南無阿弥陀仏が今この私に届いて、阿弥陀様に願われている私がいるということに改めて気づかされ、大変有難いことでした。
私たちは生まれた瞬間に亡くなることはもう決まっております。死に近づいている私たちが生きていけるのは色んな人の支えや見えない繋がりがあるからだと思います。明日どうなるかわからない私のいのち、そんなわからないいのちだからこそ阿弥陀様はお浄土を用意してくださり私たちに安心という生きる力を与えてくださっているのだと思わせていただいております。
親鸞聖人が法然聖人に出会って阿弥陀様のみ教えに出遇われ、そのみ教えを拠り所として多くの方に大切に伝えられたように、私もこのみ教えを拠り所として、またみ教えを伝えてくださった方々、拠り所とされている方々のお心も大切に思いながら仏恩報謝の日暮らしをさせていただきます。
4月21日~30日
美祢西組 正隆寺 波佐間 正弘
「お育て」
私事ですが、普段は保育園にも務めております。まことの保育という阿弥陀様のおみのりを保育の柱とする仏教園です。
先月末に卒園式がありました。本堂での卒園式の間は子どもたちの成長を感じてうれしくなったり、毎日会うことができなくなるのかとさみしくなったりと、いろいろな涙が流れる1日でした。
卒園式の最後、保護者代表の方が謝辞の中で「最初は嫌だ嫌だと泣いて保育園に行きたがらない子どもの姿に不安になりました。しかし保育園に通う中でいつのまにか楽しそうに通うようになっている我が子の姿がありました。先生たちのおかげです。」というお言葉がありました。職員の立場から言うのはおこがましいかもしれませんが、私たち保育士は保育園の子どもたちに対して親心に似たような思いを抱えて毎日の保育に努めています。目には見えませんが保育士の子どもたちを思う心や、子どもたちへの願いの中で過ごす中に、不安しかなかった子どもたちがいつのまにか安心して過ごすことができるように変えられていました。これはずっと子どもたちのそばに居続けてくれた保育士のおかげであります。そういう思いや願いを抱え、日々保育に努めてきたことを思い出しながらの保護者の方からのお言葉がうれしくて職員一同涙が止まらなくなりました。
本堂で涙を流しながらふと御本尊であります阿弥陀様を仰ぎ見た時、子どもたちの姿はまさに私の姿であるなと気づかせていただきました。
私はもともとお念仏を称えることも、お寺に参ることもするような身ではありませんでした。しかし目には見えませんが阿弥陀様の広大なお慈悲のお心のなかで日暮しさせていただく中で、いつのまにかお念仏称える身に変えられていました。いつのまにかお寺にお参りする身に変えられていました。これは私が自ら変わったのではなく、阿弥陀様のお慈悲の中でいつのまにか変えられていました。阿弥陀様のおかげさまであります。
この変化した事実を浄土真宗ではお育てと言い、この言葉を大切にしてきました。
阿弥陀様のおみのりを保育の柱として子どもたちと関わっていくことの大切さを改めて教えていただいたように思います。
4月になり新年度が始まりました。今年度も阿弥陀様のおみのりを聞かせていただく中に、子どもたちと一緒に安心して楽しく過ごしていきたいと思います。
4月11日~20日
厚狭西組 善教寺 寺田 弘信
『無分別智』
こちらは本願寺派山口別院です。このたびは厚狭西組善教寺の寺田弘信がお取り次ぎします。
私たちが普段何気なく使っている言葉には、仏教に由来するものがたくさんあります。なかには本来の意味とは異なる使われ方をしているものもあります。他力本願などはその最たる例です。そのほかにも分別(ふんべつ)もそのなかのひとつです。
実用日本語表現辞典によると、『分別のある』という言葉の意味は、『善悪の判断や、物事の判断などをする能力をみにつけていること』と説明されています。あの人は分別のある人だといった場合、良い意味で使われることがほとんどです。
私たちがたまたまご縁頂いております浄土真宗において、一番大切にしている仏さまは、阿弥陀さまです。阿弥陀さまは分別のない仏さまです。このような言い方をすると、多くのかたに誤解を与えてしまうかも知れません。さきほどの言葉を、別の言い方をしますと、分け隔てのない仏さま、もっと別の言い方をするならば、私たちを区別することなく、一切の条件を付けることなく、かならず救うと誓われた仏さまです。
私たちはなにかにつけて、人や物を区別したがります。0と1はどちらが大きいかと聞かれれば、1のほうが大きいと答えることでしょう。私たち人間のなかで、0よりも1のほうが大きいということは常識です。ここで仮の話になりますが、0よりも1のほうに価値があるとします。いま0か1か好きなほうを選ぶことができるとします。このときよほどの事情がない限り、ほとんどのひとは、0よりも1のほうを選ぶことでしょう。
今回のケ-スでは、0と1という比較の簡単なものでした。しかし世の中にあるものはそう単純ではありません。人生は選択の連続です。より価値あるもの…より自分にとって都合のよいほうを…わたしたちはそんなことに躍起になってしまいます。人間の知恵はどこまでいっても0と1はイコ-ルにはなりえません。
しかし阿弥陀さまの智慧は違います。0と1はイコ-ル、つまり同じであるとご覧になられたのです。私たち人間の知恵ではとうてい辿り着くことのない答えでした。いつでも・どこでも・だれであっても…分け隔てなく・かならず救う・無条件のお救いとは、人間の知恵を超えた、阿弥陀さまの智慧のおはたらきでございました。
南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏…
4月1日~10日
白滝組 西楽寺 中山 信知
山口別院テレホン法話にようこそお参り下さいました。新年度にあたり、あらためて仏様のお話を聞かせていただきましょう。
普段、浄土真宗のお寺に生活しているとあまり気づかないのですが、他宗のお寺にお参りすると、その建築様式に違いを感じます。浄土真宗のお寺の特徴、それは内陣に比べ外陣が広くなっているということです。本堂の中で、一段高くなっていて、ご本尊を安置するための場所を内陣。参拝の方のためのスペースを外陣といいます。簡単に言えば、板敷のところが内陣で、畳のひかれているところが外陣にあたります。浄土真宗のお寺は外陣が広くなっていて、お寺で子ども会などがあると、広い外陣をみんな元気に走り回っています。
そんな建築様式の違いもあるからでしょうか。浄土真宗のお寺にお参りすると仏様と距離の近さを感じることができます。例えば、他宗のお寺ではご本尊の姿全体を見ることはなかなかできません。ご本尊は内陣の奥に安置してあって、遠くから拝むことがほとんどです。また、秘仏として数十年に一度しか拝見できない仏像もあります。そう考えてみると、普段間近で阿弥陀様に手を合わせることが出来ることは、当たり前ではないのでしょう。
私たちがご本尊といただく阿弥陀様は、どこか遠いところにいらっしゃる仏様ではありませんでした。慈愛に満ちたお姿で、私のすぐそばで私を支えて下さっています。迷いの世界を生きる私とお悟りの世界にいらっしゃる仏様。その間には本来、はるかな遠い距離があります。しかし仏様の側が、私に近づいて下さったのです。煩悩に縛られ、悟りと真反対の生き方しかできない私だからこそ、阿弥陀様は立ち上がり私のそばまで来てくださいました。
仏様と私の近しさ、その究極の形が、ナモアミダブツという言葉でありましょう。たとえ身体が思うように動かなくなり、仏様の前に座ることができなくなっても大丈夫。私の上にナモアミダブツ、ナモアミダブツと仏様が届いて下さっています。お念仏の声のところに、如来様とご一緒の人生であると味わうことができます。「あなたを一人にはしない」と私のそばにいて下さる仏様。そんな阿弥陀様と共に、またお念仏と共に過ごす日々でありたいものです。
3月21日~31日
「瞬き(まばたき)のような人生」
熊毛組 光照寺 松浦 成秀
毎日があっという間に過ぎ去っていく中で、年が明け、一月は御正忌報恩講を勤修するなかに行き、二月は15日の涅槃会をつとめさせていただくうちに逃げていき、3月も春のお彼岸を務めさせていただくうちに去り、年度末を迎えようとしています。
昨年、葬儀のご縁を頂いたご縁の中で、最高齢のご門徒さんが大正7年生まれ、数え年で106歳で往生の素懐を遂げられました。晩年は施設でお世話になられましたが、その方がまだお元気で家で生活してらっしゃった頃に色々なお話を聞かせていただく機会がありました。ある時、一緒にお経を読み終わってお話をしている時に、長生きの話になりました。そのおばあさんが「私も親鸞様の亡くなられた年の90歳をこえて長生きをさせてもらったけれど、振り返ってみればこねえなじゃったねー」と目をパチクリパチクリされました。私は意味がわからず、「おばあちゃんどういうことですか」と尋ねてみますと、「あんたも察しが悪いねえ、こりゃあ瞬きよ。あんたはまだ若いけえわからんかもしれんけど、年をとったら、1日、1週間、1か月、1年、どんどん時間が過ぎるのが早くなっていく。長いような人生じゃけど振り返ってみたら瞬きするようなじゃったよ。」と教えてくださいました。その時はそんなものですかーくらいの返答しかできませんでしたが、それから15年。いろんな方から話を聞かせてもらい、私自身も年を重ねて40代になり、小さい頃と、10代、20代、30代と時間の流れ方が変わってきました。長生きをしたいと思うけれど、いつ死ぬかわからないのが人の命のあり様です。私自身もいつまで生きられるかわかりませんが、臨終の床に入ったときに自分の人生を振り返れば、「あー、あっという間の瞬きのような人生だったな」と思うのかもしれません。
そのあっという間の人生、せっかくだから、阿弥陀様の、お釈迦様の、親鸞様の教えを、言葉を大切に生きてみませんか。
3月11日~20日
「万全のご用意」
豊浦西組 大専寺 木村 智教
先日、本堂で八十代のご婦人がお一人でご法事をおつとめされました。帰りに「住職さん、見て。」と指さしたのは自身が着てる黒のコートの右ポケット。大きく膨らんでいます。左のポケットを見るとスマートフォン。「忘れちゃうから大事なものはポケットに全て入れてるの。」 動くと右のポケットからジャラジャラと音がなるので「小銭ですか?」とたずねると、「小銭じゃないわよ。家と車の鍵よ。」すると中から大きな鍵の束が出てきました。「この年になったら身に着けてないと忘れるのよ」と彼女はおっしゃり、本堂を後にしました。必要なものをすべて一つにまとめて身につける、だから心配ないということでしょう。
親鸞聖人は『教行信証』に「この行は、 あらゆる善をおさめ、 あらゆる功徳をそなえ、 速やかに衆生に功徳を円満させる、 真如一実の功徳が満ちみちた海のように広大な法である。(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』十九頁) 」とお念仏は偉大なおみのりであるとお示しくださいました。
南無阿弥陀仏の一声に私をすくう上で必要なすべての功徳が具わっている。如来の側ですべてをご用意されたということは、私が用意するものはなにもない。何もないと言うことは何の心配もいらない。何の心配もいらないということは安心ということです。仏様のお浄土へ連れてゆくぞという決意と万全を期したご用意こそが安心の源です。
本願寺八代目蓮如上人はそう受け止めた上のお念仏は「如来様が私の往生を定めてくださった御恩を、報じ尽くす念仏とこころうべきなり。」とお示しくださいました。如来様の万全のご用意、まことにありがたく、もったいないことでございます。
南無阿弥陀仏
3月1日~10日
「そのまま」
宇部小野田組 浄円寺 日髙 殊恵
梅の花がとてもきれいに咲いています。最近「八房の梅(やつふさのうめ)」という梅の木の写真を見せていただきました。一つの花から、8つの実が、多い時には15個ほどの実をつける、何とも不思議で珍しい品種の梅だそうです。
新潟県の梅(ばい)護寺(ごじ)さまには、親鸞聖人さまが越後にご滞在の際に、お食事でいただかれた梅干の種を、自ら庭に植えられて、「弥陀の本願を信じまいらせ浄土往生疑いなくば、この漬けたる梅より芽を生じ、花一輪に八つの実を結んで、末代まで繁り栄え凡夫往生の証拠となるべし」と言われ、さらに「生死を出づべき道は、本願の念仏を聞き、他力回向の信心のほかにありえません」とおっしゃられたと伝わっておられるそうです。
その梅の木は、いまでもたくさんの花を咲かせ、たくさんの実をつけているそうです。
信心とは、私の祈る心や、私の判断で信じることをいうのではなく、必ず救うという阿弥陀さまのご本願であります「南無阿弥陀仏」のおはたらきを、そのままお聞かせいただく、聞くがままが信心なのです。「南無阿弥陀仏」のお名号は、そのままが阿弥陀さまのお名告りであり、お喚び声であります。「必ず救う、決してあなたを見捨てることはない。もしあなたを見捨てるようなことがあるならば私は阿弥陀と名告らない」とお誓いくださいました阿弥陀さまが、すでに「南無阿弥陀仏」とお誓いを仕上げてくださり、私にいたり届いてくださり、この口からこぼれ出でてくださっておられます。この口に「南無阿弥陀仏」と申させていただくたびに、親鸞聖人さまがおよろこびくださいました阿弥陀さまのおこころをお聞かせいただくことであります。
南無阿弥陀仏
2月21日~29日
「医師の悩みと救い」
華松組 安楽寺 金安 一樹
ご門徒様にお医者さんがいます。その先生が私の祖父である前住職に医療現場でのこんな悩みをよく相談されていました。
「医療技術が発達して、救える命は多くなったが、一時的に病状が回復したとしても人は必ず命を終えていく。死という厳しい現実に、ただただ怯えて、たじろぐ患者さんやご家族をたくさん見てきた。病気を治すことだけが本当の救いなのだろうか。」
先生は、毎朝御文章を拝読される熱心なご門徒様でした。特に御文章の『白骨章』に「明日には紅顔あって、夕には白骨となれる身なり」(朝、紅色の顔をして元気な人も、縁にあえばその夕暮れには命を終え、白骨となってしまうような命を生きている)と、まさに医療現場で起きている現実をそのままに言い表されていると、先生の心を揺さぶったのです。
もしかしたら仏教にこそ、本当の救いがあるのではないだろうか。そんな思いの中、祖父から阿弥陀さまの救いを聞き、お聴聞を重ねられていきました。病気が治ることだけが救いではなくて、病気をきっかけに、私の苦しみや不安を心配して支えてくれるはたらきに出遇うことこそが本当の救いであること。また“死”も浄土へと生まれ往くご縁と聞いていかれました。さらに今では一人一人がいのちの問題を見つめ、豊かな人生を送って欲しいと、医学と仏法のお話を一緒に聞く、“楽生会”という行事まで開いてくださっています。
あるとき、この楽生会に参加されたご門徒様が癌を患い、先生に相談されました。先生は親身に専門医の紹介や病気の説明をしてくださったそうです。それだけでなく、一緒にお聴聞を重ねた仲ということもあって、先生はこのご門徒様の手をギュッと握り締め、目を真っ直ぐ見つめて、「不安ですよね。でもあなたには何があっても阿弥陀さまがご一緒ですからね。」と声をかけてくれたそうです。この言葉を聞いたご門徒様は、なにか言葉にはできない、あたたかなものに包まれているような思いになって、涙が溢れてきたと教えてくださいました。
「阿弥陀さまがご一緒」と、先生に言わしめたのは、まさに阿弥陀さまの救いが先生の心に躍動し、先生の言葉となって、病に苦しむご門徒様にも安心と希望が与えられていったのでしょう。老病死のいのちの問題は他人事ではありません。先生のお姿を通して、阿弥陀さまのお救いにこそ、私の抱えるいのちの不安を支える本物の救いが与えられていることに気づかされました。
2月1日~10日
「報恩講」
下松組 光圓寺 石田 敬信
1月16日は、浄土真宗のご開山親鸞聖人の祥月のご命日です。
本願寺では、御正忌報恩講といい、毎年1月9日から16日までお勤めします。本山の報恩講に先立ち、九月から一月頃にかけてお勤めする地域ではお取り越し報恩講と呼ばれています。
親鸞聖人がお伝えくださったのは、南無阿弥陀仏のお救いです。この南無阿弥陀仏は阿弥陀さまのお呼び声です。「あなたを私が必ず仏にします、どうか私にまかせなさい」と呼び続けている阿弥陀さまに、「はい、おまかせします」とお答えするのがお念仏です。このおまかせした瞬間に見えない阿弥陀さまの光に包まれます。阿弥陀さまに抱かれているのです。阿弥陀さまが抱いて離さないから、私がいついのち尽きたとしても、仏になることはもう決まっているのです。いついのちが尽きたとしても大丈夫と、安心して今を生きていけるようになります。
なぜ私を仏にできるのでしょうか、なぜ救おうとおもわれたのでしょうか。
それは自分中心の心である煩悩によって苦しんでいる私の姿をみられ、いてもたってもいられなくなったからでした。私の悪を、みずからの痛みとされたのです。私を指導して変えていくのではなく、長い時間をかけてみずからに48の条件をつけて永い永い修行をされて、どんな者であっても見捨てることのない仏さまに変わっていかれたのでした。
この南無阿弥陀仏には永い修行で積まれた、たくさんのかぞえきれないほどの智慧と慈悲のお徳がこめられています。宝の海と例えられる南無阿弥陀仏、どうかいただいてくださいね、どうか阿弥陀さまにいのちをまかせましょうねと、お勧め、お伝えくださったのが親鸞聖人さまです。
「本願力に遇いぬれば空しく過ぐる人ぞなき功徳の宝海みちみちて煩悩の濁水へだてなし」
阿弥陀さまのほうから私に届いてくださった、私のためにご苦労くださった阿弥陀さまだったと聞かせていただくと、慶びの中でお念仏称えながら、この人生がむなしく過ぎていくことはありません。
この世界は楽しいこともたくさんありますが、有り難いこのみ教えに遇わせていただくと、楽しいだけで終わらなくて良かったと思います。
親鸞聖人のご遺徳を偲び、阿弥陀さまに遇わせていただいたご恩にお礼を申させていただきます。
1月21日~31日
『八功徳水』
美和組超専寺 田坂亜紀子
私たちのご本尊阿弥陀如来という仏さまは、私たち一人ひとりを必ず我が国に生れさせようと極楽浄土をお建てになりました。その極楽浄土の風景の一つには、七つの宝でできたキラっキラな池があり、その池には八功徳水、八つのすぐれた性質を持つ水がなみなみとたたえられていると、『仏説阿弥陀経』に説かれています。
八つのすぐれた性質とは何でしょうか?
① きれい ②臭くない ③軽やか ④冷たい ⑤柔らか
⑥おいしい ⑦飲みやすい ⑧安心して飲める
……え、そういう水なら極楽浄土まで往かなくても、蛇口ひねれば出るよ?と思われたかもしれません。そう、割合に水が豊富な日本において、水のありがたみは分かりにくいかもしれません。
アフガニスタンという国で二十六年の長きに渡り、支援活動をなさっておられた中村哲さんというお医者さんがおられました。アフガニスタンと言えば、四十年以上内戦状態にある政情不安定な国です。そこで医療活動をする中で、中村さんは地球の気候変動による深刻な水不足により、多くの人々が苦しんでいることに気がつきます。
綺麗な水を飲むことができれば、感染症にかからずに済んだのに。
綺麗な水で傷口を洗うことができれば、破傷風にならずに済んだのに。
十分な水があれば田畑をたがやし、栄養失調にならずに済むのに。
……彼らに必要なのは水だ!
中村さんは白衣を脱ぎ、メスを持つ手にスコップやツルハシを握りました。大きな川から約二十五キロもの用水路を築こうという大事業に挑んだのです。一から土木技術を勉強しました。自分がいなくなった後でも、アフガニスタンの人々が自ら水路を守っていくことができるよう、あえて便利な工業機械は用いませんでした。工事には毎日六〇〇人もの現地の方々が参加しました。彼らにはちゃんとお給料を支払いました。
七年がかりで大規模な用水路が完成し、その間少しずつ開墾が進められました。米、小麦、スイカ、ピーナッツ、大根、人参……たくさんの農作物が作られるようになりました。「死の谷」が「命の緑野」へ変化していったのです。
農業だけでなく、畜産、養蜂、養魚もできるようになりました。学校も建てられ、みんなが安心して暮らせるようになっていきました。すると、家族を養う為に傭兵として戦争に赴いていた人たちもふるさとに戻り家族と暮らせるようになりました。
中村さんのご活動は、水の与えてくれる恩恵がはかりしれないことを教えてくださいます。
ところで、中村さんはなぜこれほどまで人々の為に尽くしていかれたのでしょうか?中村さんはこう言い残しておられます。
「見捨てちゃおけないからという理由以外に、何も理由はない」
阿弥陀さまが八功徳水満ち満ちた美しい池をはじめ、美しい極楽浄土を作られた訳も、苦悩する私たち一人ひとりを「見捨てちゃおけないから」です。極楽浄土は、ただ美しいわけではありません。阿弥陀さまが私を、あなたを、「見捨てちゃおけない」というお心がたくさん詰まった世界であると味わわせていただきます。
南無阿弥陀仏