テレホン法話 2021年   TEL:083-973-0111


2021年2月11日〜20日

 

豊浦西組大専寺 木村智教

 

 『親が死ぬまでにしたい55のこと』という本に「親とメールをする」と題して30代の男性が寄稿していました。ある日彼は一人暮らしの母に携帯電話を贈ります。「いつでも連絡が取れる」と母は嬉しそう。しかしメールを送っても返事が来ない。「送り方がわからん」と母。何度も教えたが一度も返事は来なかった。その後、母は急逝し携帯電話は遺品に。そのメールを見ると宛名はすべて私宛。下書きを遡るとひらがなで「けいたいでんわ ありがとう。めえるはたいへんです。あたまのたいそうみたい」。文字を打つ母の姿を想像し「メールの送り方をそばで教えてあげればよかった」と涙が溢れて止まらなかった。 筆者は振り返ります。

筆者が思い浮かべたのはただメールを打つのに悪戦苦闘する母の姿ではありません。その姿を通して私一人への思いを受け止めたのです。その思いに触れたからこそ嬉しさとともに「メールの送り方をそばで教えてあげればよかった」と悔やんだのではないでしょうか。

南無阿弥陀仏」この六字に阿弥陀様の智慧と慈悲が満ち満ちています。南無阿弥陀仏と声に出して聞くままに「大丈夫だ心配するな。私が助ける」と阿弥陀様が告げてくださいます。その偉大なるお慈悲を源に、「嬉しい」と「恥ずかしい」が交わる世界がひらかれます。そのことを先年ご往生された梯實圓和上は「念仏者の人生はまさに慚愧と歓喜の交錯」とお示しくださいました。さあ共々にお念仏申しましょう。

 

南無阿弥陀仏

 


2021年2月1日〜10日

アシダカグモ

大津東組西福寺 和 隆道

 先日、私が家の廊下を歩いていますと、うちで飼っている猫が、何やら黒いものをおもちゃにして遊んでいるのが目に入りました。私は、「また何か余計なものを捕ってきたのではあるまいか」と思い、猫を追い払うと、そこには、猫によって殺された、大きなクモの死骸がありました。よく見ると、そのクモは、お腹のところに大きな白い円盤のようなものを持っており、それを抱きかかえるように足をたたんで亡くなっていました。「これは一体何であろうか」、気になった私は、インターネットで調べてみることにしました。

さて、私がネットで調べたところ、このクモは、アシダカグモという種類のクモであることが分かりました。足を広げると人間の手の平くらいの大きさになるとても大きなクモで、糸を張るのではなく、夜中に家の中を徘徊しながら、ゴキブリなどを食べて生活しているそうです。そして、私が気になった白い円盤状のものですが、これは卵嚢と言って、アシダカグモの卵がいっぱい入った袋なのだそうです。アシダカグモのお母さんは、お腹から出る糸を使って卵嚢を作り、これを口にくわえて肌身離さず持ち運び、卵がかえるその時まで、じっと待ち続けるのです。うちの猫に襲われた、このアシダカグモは、必死に我が子を守りながら、命を終えていったのでありました。

さて、『大無量寿経』という経典には、阿弥陀さまが私たち迷い苦しむ衆生のために、大変なご苦労をなさって、南無阿弥陀仏のみ教えを成就なされたことが説かれています。なぜ、そのようなご苦労をなさったのか、それは阿弥陀さまと私たちが親子だからであります。苦しむ我が子を捨てておけないのが親であります。「讃仏偈」の最後には、「たとい身をもろもろの苦毒のうちに止くとも、わが行、精進にして、忍びてついに悔いじ」とあります。アシダカグモのお母さんが、命をかけて我が子を守っていったように、たとえ我が身が毒の中に沈もうとも、かわいい我が子を救うことができるまで励み続けると誓われた阿弥陀さま、今そのご苦労が実って、南無阿弥陀仏のお働きとなり、私の下に至り届いて下さっておられるのです。私たちは、南無阿弥陀仏のお働きと共にこの人生を歩ませていただき、命終わり次第には、間違いなくお浄土に生まれさせていただくのであると、聞かせていただくばかりでございます。

 


2021年1月21日〜31日

患者とお医者さま

厚狭西組善教寺 寺田弘信

 

私事ではありますが、昨年私は四十歳を迎えることが出来ました。歳が四十以上になりますと、市のほうから毎年この時期に、特定健診の案内が届くようになります。希望する人は医療機関などで、さまざまな診察を受けることが出来ます。

しかし忙しくてなかなか時間を作れない……日頃から健康に気をつけているから必要ない……さまざまな理由で健康診断を受けることに消極的な人もいます。

しかし病気のなかで恐ろしいのは、自覚症状のないタイプです。病気が発覚したときには、手の施しようのない、深刻な状態ということもあります。

どんな病気も完璧に見抜くことのできるお医者さま……そしてその病気を治すことのできる薬……その両方が揃っているにも関わらず、病気で苦しみ続ける患者がいる……そのようなことが起こる原因はいったいなんでしょうか?

それはお医者さまや薬のはたらきを軽んじ、そのはたらきを当てにしない患者自身に問題があるのです。

 

 如来の作願をたづぬれば

 苦悩の有情をすてずして

 回向首ととしたまひて

 大悲心をば成就せり

 

先程の話でいえば、阿弥陀さまはお医者さまであり、薬でもあります。患者はわたしたちのことです。わたしたちの誰しもが抱える病気の原因は、阿弥陀さまのおはたらきを素直に受け入れることが出来ず、疑う心です。阿弥陀さまはそれを見抜いておいでのお医者さまです。患者が病院に来るのを待っているお医者さまではありません。薬を患者に手渡したら、ハイそれでおしまい!のお医者さまでもありません。お医者さまと薬のはたらきを疑い続けてきた患者です。阿弥陀さまとそのおはたらきである『南無阿弥陀仏』を疑い続けてきたわたしです。わたしのところまで、阿弥陀さまのほうから来てくださり、このわたしをそのまま救うと告げてくださっています。わたしの疑いの心を取り除いてくださったのも、阿弥陀さまのおかげでありました。南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……

 


2021年1月11日〜20日

不安な私の、めでたい人生

宇部北組萬福寺 厚見 崇

 

新型コロナウイルスの感染拡大に、不安をおぼえながら、生きているのが今の私たちです。浄土真宗の宗祖、親鸞聖人がおられた時代、今から750年以上前にも、同じく疫病や様々な災害がありました。異常気象により、農作物の食糧不作や自然災害、疫病の流行などで、多くの人々が死亡していくこともありました。人々は死ぬことを恐れ、なぜこんな事で死なねばならないのかと、不安に思っていました。

 

そんな中、親鸞聖人はお弟子にあてたお手紙の中で、このようにいうのです。人が死ぬことは悲しいことだ。しかし、生まれたからには、いつ、どのような形でも、死ぬことは誰もが避ける事はできません。それは、すでに釈迦さまが説かれていることで、おどろくべきことでもないのです。死に方が問題なのではありません。阿弥陀仏のすくいを信じ受ける信心の定まったひとは、疑いの心がないので、命終えたときには、お浄土へ往生し、安らかな仏になる身に定まっているのです。「さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ」とお示しになりました。仏さまのような智慧もない愚かな私も、仏となる身に定まって、めでたく人生を終えてゆけると、親鸞聖人はお教えくださいました。

 

私たちは、必ず死なねばならないのに、死を恐れ、不安を抱え続けています。そんな愚かな私たちを、阿弥陀仏は、真実に目覚めた安らかな仏にしてみせたいと願い、はたらき続けているのです。その阿弥陀仏の願いを信じ受け、信心定まった人は、安らかな仏となることが定まった、めでたい確かな人生を歩みます。

 

親鸞聖人のご命日に際して、京都の西本願寺では、毎年1月9日から16日にかけて、御正忌報恩講というご法事が執り行われています。インターネット中継も予定されていますので、オンラインで、ぜひお参りください。