テレホン法話_2015年      TEL 083-973-4111

2015.12.01~10

「子の喜びは親の喜び」

美祢東組 明楽寺 秋里大勝

 

 二年前の秋、当時年長組の娘と小学校の運動会で、プログラムの名前は忘れたのですが新入生が親と一緒に走るという競技に出ました。

 娘は走るのが苦手なようで、徒競走ではいつも最下位でした。その度に悲しそうな顔をしていました。

 そんな娘の顔を見て「一等賞をいつか取らせてやりたい」と思っていました。私とその小学校の運動会の競技に出ることが決まった時、「お父さんが絶対に一等賞とらせてあげるからまかせちょけ。」と娘に告げると「本当に?」と娘が笑顔で答えました。

 そしていよいよ本番。ライバルの親子が三組。私より十歳近く若いお父さんもいましたが、スタートの合図と共に私は娘の腕を持ち上げるように引っ張り必死に全力で走りました。約40メートルの距離でしたが、娘は私に腕を持ち上げるように引っ張られたことで、わずか五.六歩しか足が地面に着かずにゴールして、二位の親子に大差を付けて見事一等賞をとりました。その時娘は「やったぁ。」と笑顔で喜んでおりました。その娘の顔を見て、私も「やったね。よかったね。」と娘に告げ共に喜びました。


 たまたま一等賞がとれたことによって味わえることなのですが、阿弥陀如来様は限りない昔から迷い続け、いつまでたっても迷いの世界から出ずべき縁のない、自分の力ではどうにもならないこの私を必ず救いとって、このいのちを浄土へ生まれさせ仏に仕上げたいと、私のいのちを願ってくださいました。

 私が阿弥陀如来様から逃げようとしようが背を向けようが、この私を抱きとってくださり間違いなくお浄土に生まれさせ仏としての無上の喜びを与えてくださるのです。

 そしてその喜びは同時に阿弥陀如来様の喜びであります。

 その私のいのちをお浄土へ生まれさせるはたらきが南無阿弥陀仏のお六字の名号であり、私の口から出て私の耳に聞こえてくる南無阿弥陀仏のお念仏は「必ずお浄土に生まれさせるから安心して歳をとっておいで、安心して病にかかっておいで、安心してそのいのち終えておいで。共に生きよう。」との阿弥陀如来様よりのお喚び声でありましたといただくことであります。


2015.11.21~30

宇部小野田組浄念寺 吉見勝道


 今年は戦後70年であります。

 終戦後、昭和天皇さまは日本国民1人1人に是非会いたい、ということで全国をご巡幸なされました。その中で佐賀の因通寺というお寺に参られた時のお話です。


 因通寺には、洗心寮という寮がありました。戦争で家族を失った子供たちが国籍を問わずに、70人ほど一緒に暮らしていました。昭和天皇さまは1部屋1部屋に声をかけてまわっておられたのですが、ある部屋の前でふっと立ち止まりました。その部屋の中には、お位牌を抱えた女の子が1人座っておりました。

 天皇さまが「両親は?」と尋ねると、女の子は「両親は満州で亡くなりました。」

「さびしくないか?」「さびしい。さびしいけど、因通寺の本堂の仏さまの前におったらさびしくないです。」

 それを聞いた昭和天皇さまは、ご巡幸の中で初めて涙を流されながら、「仏の子どもは幸せだね。仏の子どもは幸せだね。」と、2回つぶやかれたそうです。

 

 この女の子はきっと日頃から阿弥陀さまのお話を聞いていたのだと思います。阿弥陀さまという仏さまは、南無阿弥陀仏となって今、ここの私に届いている。涙を捨てて来いという仏さまでなく、私の涙もそのままに連れていく親になってくださいました。

 南無阿弥陀仏は、おまえを決して1人ぼっちにはしないよ、という阿弥陀さまからのお喚び声です。毎日泣いて笑って喜怒哀楽のうちに過ごしておる私だからこそ、そのままでいいよという親さまであります。

 本当の幸せというのは、そうした親を、私の人生に確かな支えを持つことなのだということを昭和天皇さまのお言葉を通してあじあわさせて頂いたことであります。

 

2015.11.01~10

「苦しみを包むもの」      

                         華松組 西光寺 佐々木世雄



 子供が走り回ってコケると、ひざを擦りむき痛い痛いと泣き出します。

 様子を見ていたお母さんが子供に近づき、ひざに手をあて「痛いの痛いのとんでいけー」と声をかけると、あら不思議。子供は泣き止み、痛い思いはどこかへいってしまいます。

 皆さんもご経験あるでしょうか?実は「痛いの痛いのとんでいけー」というお母さんの言葉は、ただの子供騙しのおまじないではありません。痛いという思いがどこかへ飛んで行ってしまう理由がちゃんとあるのです。


 一つには、痛いという意識がひざから他のところへ移ってしまうということです。お母さんが「痛いの痛いの飛んでいけー」と手を空中に持っていくだけで、子供の意識はひざから他の場所へ移っていく。意識が他に移ることで、痛いという思いが分散され、緩和されるのです。

 

 もう一つは、ひざを摩ることで、痛みよりも手の温もりの感覚が勝るということです。

 刺激は太い神経を優先して通ります。摩るという触覚の神経が、痛みの神経よりも太いので、手をあてるという行為が痛みをカバーするように作用するのです。


 そして何よりも、「痛いの痛いの飛んでいけー」は自らの痛みに共鳴し、寄り添ってくれる親の存在を知らせてくれます。一人ではなかったと、子供は側にいてくれる親の存在そのものに安心して、痛みを忘れていくのです。


 一箇所に留まり、他に意識をもっていくことができず、頑なになっていくことを執着といいます。ひざを擦りむいた子供が、痛い痛いとひざにしか意識が向けられなかったように、自分だけの思い、考えにとらわれていくことは、苦しみの種をせっせと蓄えていることになります。


 執着を自ら打ち破っていくのは大変難しいことです。執着かどうかもわからないまま生きているのが私の姿です。阿弥陀様はそのような私の苦しみの種、痛みに触れながら「もっともっと大きな世界を発見してください。もっともっと広い視野を受け入れてください。命を包む仏の世界が今、あなたを支えていますよ。」と喚び続けておられます。


 苦しみのど真ん中、痛みのど真ん中でそっと手を添えながら、心配いらんよ、「南無阿弥陀仏」と絶えず親の存在を知らせ続けておられるのです。


2015.10.21~31

「苦悩を引き受ける」

柳井組 正福寺 長尾智章

 

みなさんはこれまで引越しをしたことがありますか?

ご自身、またご両親の仕事の関係で住み慣れた場所を離れ、新たな土地で再び生活を営んでいく。それがとてもワクワクするという方もおられれば、何も知らない土地で不安でいっぱいだという方もおられるでしょう。


私は小学三年生の時に、住んでいた京都の地を離れ山口へと引越してきました。当時は引越しということに憧れを持っており、新しい土地、今までより広い家ということもあり、よく走り回っていたことを覚えています。その点では、これからの暮らしにワクワクしていたことでした。

しかし、土地を移るということは学校も移らなければならないということ、つまり転校です。これまで仲良くしていた友達とも別れ、また新たに人間関係を築いていかねばなりません。そのことが私にとって大変不安でした。


転校当日、その不安を抱えたまま学校に行くこととなりました。校門ではこれから担任となる先生が待っておられ、職員室へと案内され、先生と少しお話をしました。緊張でこわばった私を少しでも和らげようと「緊張するよねぇ」と声を掛けてくれるのですが、その当時は何を言われてもマイナスにしか受け止めることができないほどの不安な私でしたので『そんなのあたりまえやんか、こっちの気も知らんで!どうせ他人事か…』と心の中で思いながら話半分で聞いていました。

すると話の中で、「実は僕も小学校の時に転校したことがあってね、その時は君と同じようにめちゃくちゃ緊張していてね」と話されました。この先生にも自分と同じような体験があったんだと思い、少しずつ耳を傾けるようになりました。


チャイムが鳴り教室へ行く時間が迫ってきた時、最後に私の手をギュッと握って「大丈夫、先生がずっとそばにいるから!大丈夫だよ!」と私の眼を見て言ってくれたのです。その一言で、これまで不安に押しつぶされそうな気持ちが不思議と和らぎました。


その後クラスへ案内され、緊張はしましたが先生がそばにいてくれているという安心感の中、何とか自己紹介を乗り切ることができたのです。


これまで自分だけが不安でこの気持ちは誰にも分ってもらえないと思っていました。しかし、先生が私と同じ境遇にあっていたことで不安な気持ちを共有して下さった、そのうえ私の手を握り眼を見て言って下さったことで先生がついてくれているという安心へと変わっていくことができたのです。それはこの私の不安を一手に引き受けて下さった姿でした。


私たちは思いもよらないことに苦しみ、悩み、ともすれば自分だけなんだと不安や孤独を感じてしまうものです。しかしそんな迷い苦しむ私に、阿弥陀さまは「あなたを一人にはさせない、必ず安心させたい、その苦悩を引き受けよう」と常に「南無阿弥陀仏」のお念仏となってこの私のところにはたらいてくださっているのです。生きるうえで逃れることのできない苦悩を抱えながらも、阿弥陀さまの大きな安心の中に包まれた、お念仏申す人生をこれからも歩ませていただくことであります。


2015.10.01~10

「他力とは、仏さまのおはたらき」

美祢西組 西教寺 青木香雄

 

他力と聞きますと時より世間でも使われることがあります。それは他人の力によって、物事が成功するというように使います。しかし、浄土真宗のご縁からお話すると他力とは他人の力ではなく、仏様のおはたらきと味わさせて頂きます。


では、仏様のおはたらきとは・・・浄土真宗は特徴がありまして「声の仏様となって下さって、私のもとへと届けられている仏様なんです」。手を合わせ「なんまんだぶつ」と声の仏様となって下さったことが、浄土真宗の特徴であります。


このことを味わう時に、浄土真宗以外にもいろいろなお寺さんがありまして、有名なところで紹介すると、東京の浅草というところがあり、そこに浅草寺というお寺があります。お参りしますとお線香がいっぱい炊いてあって、お参りされた方が頭から、体に浴びるようにお線香の煙をかぶっています。その中で健康になりますようにと願った足りしてご利益を得ようとお参りするお寺があります。


他にもさまざまな宗派・宗教がありますが、浄土真宗はそうではなく、「声の仏様となって下さって、私のもとへと届けられている仏様なんです」。


このことを慶ばれた方に、あるお寺の前住職さんの話なんですが、、、

そこのお寺は、息子さん夫婦にお孫さんと、はたから見るとおお人数で「跡取りさんもいて良いですね。」と言われているお寺さんであります。

そこの前住職さんですが、耳が大変遠くて、家族みんなそろって会話してても耳が遠いせいか、何を話しているのかわからない。またお孫さんが話かけても耳が遠いので何を言っているのか聞き取れないことがあったそうです。そんなことが続いていくと次第にみんながそろって楽しそうにしていても、どこか寂しく、一人ぼっちのような気がだんだんとしてきた時に、手を合わせ「なんまんだぶつ」とお念仏しましたら、こんな私の元へも仏様のはたらきが届けられていたんだ。一人ぼっちじゃなかったんだ。と喜ばれた前住職さんがおられました。

 

 このお話を聞かせて頂きながら、浄土真宗の特色の1つであります「声の仏様となってくださって、私の元へと届けられていた仏様のおはたらき」手を合わせ「なんまんだぶつ」とお念仏する中にいつでも・どこでも見守って下さっている仏様がいて下さったんですね。

 私がお寺に参れなくても、私が何かお願いごとをかなえてもらうために、祈ったり願ったりしなくても、阿弥陀様の方から私の元へと来てくださって、いつでも・どこでも見守って下さっていた。日常の生活でも例えば食事をしているときでも「なんまんだぶつ」お風呂に入っているときでも「ナンマンダ仏」とお念仏する時に、一人ぼっちじゃないんだよ、いつも見守っているからね。と、そばに寄り添って下さっている阿弥陀様でありました。


2015.09.2130

「義なきを義とす」

岩国組  浄蓮寺  樹木 正法

 

 

願われているものが別の願いをかけていくということは、願ってくれているものの願いを願いと受け取ることのできない疑い心であって、それを自力の心といいます。

 

例えば、親は自らの人生を通した知識と経験でもって、子に対し、「あるべき幸せ」というものを願っていきます。人との健全な関わり方を説いたり、勉強を厳しく勧めたり、スポーツを真剣に取り組ませたりです。しかし、親がその思いを強くすればするほど、子は反発することがあります。おそらく決めつけられた道や術を提示されることに対して窮屈に感じるのでしょう。そして子は、親とは違う願いを持ち始めます。つまり、親の願う幸せとは違う幸せというものを願い始めるということです。

親と違う願いを持ち始めるということは、親の願いを否定することです。もちろん子にも自由な選択があるわけで、子には子の道理、親には親の道理というものがあります。ですからそういうこともありましょう。が、少なくとも子が自らの想いを優先して、願いをもつことは、親の示した「あるべき幸せ」というものを否定することには違いありません。

 

この私には阿弥陀様の「お前を真実の浄土に生まれさせ、さとりの仏としたい」という広大な願いがかけられています。なぜこのように願われたのかと言いますと、阿弥陀様にとってこの願いこそ「あるべき幸せ」であったからです。それは、この私を、全てのいのちの痛みと歓びを抱きかかえていく在り方に成さしめたいということです。

煩悩を中心とした思いからは、「浄土に生まれ仏になりたい」という願いは生まれてきません。むしろその願いを聞いても、拒絶し、「私がどうありたいか?、どうしてゆきたいか?」という、私を中心とした願いに終始していきます。そしてそれは、阿弥陀様を否定していくことです。

 

お念仏を申す人生を歩むということは、私の道理、つまり、私から始まる幸せの道理を捨て去る(義なき)ことです。私の道理は阿弥陀様を否定していく道理であるから、疑い心、すなわち自力の心です。その道理を捨て、阿弥陀様の道理にゆだねていく(義とす)。これこそが思議を超えた他力の世界に生きる念仏者の在り方です。


2015.07.21~31

「べてるの家」を訪ねて


玖珂西組 月空寺 岸弘之


 「べてるの家」を聞いたことがありますか?これは、北海道・日高地方の浦河町にある、施設の名前です。

 べてるの家は今から30年前に浦河町で精神障害を抱えた人たちが「町のためにできることはないか?」ということから生まれました。


べてるの家ではさまざまな活動があり、カフェ・日高昆布の製造・介護用品の販売などをされています。

以前、浦河町を訪れる機会があり、カフェや作業所を見学させて頂きました。


べてるの家の理念は、一般的に思い描くものとは全く違い、偏見差別大歓迎・公私混同大歓迎・三度の飯よりミーティング・弱さの情報公開・昇る人生から降りる人生、ということを理念にしておられます。


 でもそのような理念で、経営どころかこの施設が成り立つのでしょうか。べてるの家理事の向谷地(むかいやち)さんは弱さの情報を公開することによって「助けあいと共感が生まれる」とおっしゃっておられます。競争と排除の原理が支配する一般企業とは真逆の発想です。


向谷地(むかいやち)さんは「助け合いと共感」について、リレーにたとえて次のようにおっしゃっておられます。

一般的なリレーは、400メートルリレーなら1人100メートルを4人で走るが、それができない環境であるから、走れる距離のところで次の走者が待っていればよいし、完走できないなら周りの仲間に依頼すればよいのだ。弱さを相手に示すということは、他人の立場を推し量る思いやりを生み出す力を創造するのだ。


ここに出入りする人々は、いろんな問題を抱えておられますが、それを抱えたままでそれをお互いに認め合っていこうとする姿でした。それは等身大そのままを受け入れることを目指しておられす。


ここを訪れた時、等身大のそのままを認めてくださるという阿弥陀さまを思い出しました。阿弥陀さまという仏さまは、法蔵菩薩というお姿であった時に、どの人であっても等しく仏に仕上げようという誓いを建ててくださいました。


それはべてるの家で実践されているように、こんなことをしなさい、これをしないとダメという条件を一切つけず、相手のそのままの状態をそっくりそのまま認めてくださり、そのいのちをすべて引き受けよう、と宣言してくださっています。


阿弥陀さまはどんな状態の私であっても必ず仏に仕上げると、私にはたらきかけてくださっていることに感謝しつつ、お念仏申すのみです。


2015.07.01~10

「捨てない親がここにいる」

 

 豊浦西組 大専寺 木村智教

 

お盆に再開したおじいさんの話。

 6年前お盆のお勤めに出ていた時の事です。お昼頃、その日最後のお宅はあるおじいさんとおばあさんのお家でした。お二人ともあたたかいお同行で、本当の孫のように接して下さいました。実に3年ぶりの再開です。

 仏間に上がるとおばあさんが一人で迎えてくれました。「おじいさんは?」と思っていると、襖が開き、おじいさんが出てきて開口一番、「誰じゃお前は!?」思わず背筋が凍りつきました。おじいさんは認知症を患っていました。長年お世話になった方から忘れられる。私は呆然としました。お互い固まっていると、おばあさんが「おじいさんお寺さんですよ」となだめて、改めて一緒に正信偈をお勤めしました。おじいさんは「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏申し、最後までお勤めされました。

 おじいさんもおばあさんも私も、そしていまこのお話を聞いてるあなたにも全く同じ声の仏様「南無阿弥陀仏」が至りとどいています。阿弥陀様は水面(みなも)に映った月のように、変わる私に変わることなく寄り添い、私の苦しみも悲しみも引き受けて下さいます。だから、たとえすべてを失い、私が私でなくなっても、私を忘れない阿弥陀様がずっとご一緒です。

 翌年、おじいさんはこの世の縁が尽きて、お浄土へと先立って往かれましたが、あの「南無阿弥陀仏」の声を通して、捨てない親がいまここにいることを、この私に教えて下さいました。


2015.06.10~20

「安心」

下松組 専明寺 藤本弘信


 「安らぐ心」と書いて、「あんしん」と読みますが、仏教用語では「あんじん」とも読みます。今日は「あんしんとは何か」というお話をします。
 安心という心は、自分の力で作ることが出来るでしょうか?


 むかし、私はピアノを習っていました。すぐに辞めてしまったのですが、これでも発表会にも出て、みんなの前で演奏したものです。練習してきた成果をみんなの前で披露する一回限りのチャンスです。自分の順場が近づくにつれて、胸の鼓動は早くなり自分でも緊張している事がよく分かります。


 そんな時に、自分で「落ち着け・落ち着くんだ」とか「大丈夫、自分ならきっと上手くできる」と思ってみたとしても、何の力にもなりません。むしろ練習しなかったことが悔やまれます。どれだけ自分が「安心するんだ」と思ってみたところで、自らの心で「安心」するということはなかったのであります。


 そんな時、親に「いつも通りやりなさい、会場から見守ってるからね」という言葉を聞くと、これまで「安心」することが出来なかったのが不思議なくらい、安心できた思い出があります。


なに1つ、自分の中で解決出来なかった問題を、その一言ですっと楽になりました。

状況は何も改善されていません。雰囲気も、練習不足も改善された訳ではありませんが、「応援してくれている」、「見守ってくれている」という事が、私の安心へと繋がりました。


安心という心は、自ら言い聞かせて手に入れるものではなく、自分より大きな存在が見守ってくれている・認めてくれている事により、「安心する」「安堵する」ことができるのです。


人生の安心は、だれが見守ってくれているでしょうか?


 親鸞聖人は「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」とお示しくださっているように、阿弥陀如来という仏様ただ一人であります。

 私を必ず救うと誓われた仏さまが、阿弥陀如来さまでありました。南無阿弥陀仏のお念仏となり、ここにいたり届いていたのであります。

 状況も自分の力量も変わらないけれども、この私を救ってくれる仏さまに出遇えたことが私の安心へと繋がっていき、この私が命を全うする力となるのです。


2015.06.0110

どのように「今」を生きていますか?

岩国組 教法寺 筑波敬道


阿弥陀様は私達に願いをもたれています。よくよく考えてみますと願いとは本来、完全で完璧な心配のないところには、おきてこないのではないでしょうか。阿弥陀様は心配があるから私達に願いを持たれているのです。阿弥陀様の心配事とはどのようなものだったのでしょうか。


江戸時代の中期に活躍をされた絵師に円山応挙(まるやまおうきょ)(1733~1795)という方がいらっしゃいました。


この方の作品の中に幽霊が描かれたものがあり、そこから気付かせていただく事もあるようです。円山応挙の描かれた幽霊はフワフワと宙に浮いており、手を前にらし、相手をめしそうな表情で見つめています。宙に浮いているのは「地に足がかない」という言葉があるように他人の意見に振り回され、自分の進むべき方向を見失い迷っている状況、手を前に垂らしているのは、自分に都合のいいものを際限なく取り込もうとしてる姿であり、それは既に恵まれてあるものに手を合わせ感謝することが出来ない姿であるそうです。

恨めしそうな表情で相手を見つめているのも同じ事が言えるでしょう。



私達は、どのように「今」を生きているでしょうか?

あらゆるものに恵まれながらも、感謝なき世界に身を置いて生活をしてはいないでしょうか?

また人生の根源的()()りどころを持たず、生きていることの意味と命の方向性を見失い「何故生きているのか、命を終えたならどうなるのか」と迷い、不安に揺れ続けてはいないでしょうか?


「幽霊」の絵は「このようになってはいないか?」という私達への問いかけでもあるのでしょう。


阿弥陀様は、欲に溺れて感謝を忘れて生きる私、命の方向性を見失い、迷っている私をご覧になられ心配し、その私をこそ救わずにはおれないと仏様として立ち上がられた方でした。

その願いとは「念仏を申し、念仏を人生の拠りどころとして生き抜いて、命終える時には我が浄土へ生まれると思い受け止めてほしい」というものでした。

その願いを聞き開く中に、この私の命は浄土へと向かう命であったという方向性が定まっていきます。

そして、その願いを大切に残して下さった先人の方々を含め、多くの恵みに支えられ「今」を生かされている身を感謝させていただきたいものです。


201505.21~31

「誕生と往生」~2万代目のいのち

柳井組 誓光寺 村上智仁

 

西野カナさんという若者を中心に絶大な人気を誇る歌手がいます。彼女が数年前、人気アニメの劇場版で、ご自身が作詞された『if』という主題歌を歌われました。その冒頭は次のような歌詞です。


 もしあの日の雨が止んでいたなら

         きっとすれ違っていただけかも

 いつも通りの時間にバスが来てたなら

         君とは出会うことがなかったんだね

もしも少しでもあの瞬間がずれてたら

        二人は違った運命を辿ってしまってた


4月はお釈迦さまの、そしてこの5月は宗祖・親鸞聖人のお誕生をお祝いさせていただきます。思えば、私たち一人ひとりも皆 誕生日があります。あの日、あの時、あの瞬間の様々な因縁が重なりあって、両親から「誰とも違うこの私が、私として」生まれさせていただきました。それはわが両親の縁に限られることではありません。


地球が誕生して46億年と言われます。そして、現在の人間というものが登場して私たちはいま実に【2万代目】くらいのいのちをたまわっているのだ、と聞かせていただきました。

もし、途方もないその2万代の間のたった一つの縁でも掛け違えられていたならば、今ここにいる私は存在しません。まさに、「有ること難し」の中でいただく「驚き」のいのちです。

しかし、出合いと別れの繰り返しこそが人生です。深い因縁によってこの世でめぐりあった夫婦や親子、兄弟であっても、必ず別離の時がやってきます。そんな厳しい現実の中で、親鸞聖人は


「かならずかならず一つところへまゐりあふべく候ふ」

                       (註釈版聖典770頁)


とお手紙の中で語っておられます。お念仏申す者は皆 阿弥陀さまの西方浄土に参らせていただき、深い縁に結ばれた懐かしい人と再びあいまみえることが約束されています。

南無阿弥陀仏のみ教えをいただくものは、「誕生と死」ではなく、【誕生と往生】の二つの「生まれる」に包まれています。だからこそ「生まれてきてよかった」「あなたに出合えてよかった」そして「また会える世界があってよかった」と、慶びと安らぎの中で人生をわたらせていただくことができるのです。


2015.05.01~10

「動き通しの阿弥陀さま」

岩国組 専徳寺 弘中 満雄


 私事ですが、現在4人の子供がいます。「子育ては自分育て」と言いますが、様々な事を学ばせてもらいます。

 去年でしたが、お参りから帰ると、娘と弟が兄弟喧嘩をしていました。そしてきっかけをたずねると、「仏さまだ」というのです。

 最初に3歳の弟が本堂の阿弥陀さまの物まねを始めました。右手を上げ、左手を下げ、ニコニコしながら家中を歩きます。それを見たお姉ちゃんが「ののさまは動かんよ!」と言ったのです。しかし構わず弟は歩きます。いうことをきかないので無理に立ち止まらせようとして、とうとう喧嘩になっていたのでした。

 仲直りさせながら思い出したのが、今年の2月に亡くなられた児童文学作家である松谷みよ子さんの「ののさま だいすき」という詞でした。


ののさま いくつ 十三 七つ

どこまで いっしょ ずうっと いっしょ

ふうちゃんが あるけば ののさまも あるく

ふうちゃんが とまれば ののさまも とまる

ののさま だいすき あしたも またね


 ふうちゃんがどこで何をしていても、ののさまは一緒です。どこでつまずこうと、必ず側にいてくれます。常に私と同じ歩調の方がいる。子供にとってこれほどの安心はないでしょう。


 そしてそれは私たち大人も同様です。何もかも嫌になって、孤独の空しさをかみしめている時、「かならずあなたに到り届くよ」と喚んでくださるのが、光かぎりない仏さまです。しかし、その仏さまからさえも、どこまでも逃げ続け、罪を作ってきたのが煩悩だらけの私です。それなのに、「決して離しはしない」と叫んで、変らず私を抱きしめてくださるのが、やはりこの仏さまなのです。

 南無阿弥陀仏…称えれば声の響きとなって、仏さまは今あなたの所へ現れ出てくださいます。どこまで逃げ続けていっても、「あなたを一人にはしない」と喚び、決して立ち止まらず、動き通し、働き通しの仏さま。今日も仏さまと二人三脚の道を歩んでまいります。


2015.04.21~30

「寒苦鳥」

豊浦西組 蓮行寺 村野晋哉


 ヒマラヤの山谷にすむ寒苦鳥という鳥は巣をもたない。なくても困らないからではない。それどころか、ヒマラヤの夜は、骨を刺すように厳しい。鳥は一晩中、暖かい宿を求めてなき迷い、明日こそ巣をつくろうと決心する。

 けれども、朝になって暖かい太陽が顔を出し、夜の寒さが消え去ると、目の前の誘惑に負けて一日を遊び暮らし、夜が来ると、後悔の涙を流す、という毎日を繰り返して一生を終わるという。


 考えてみると、我々もこの寒苦鳥と同じ過ちを繰り返してはいないだろうか。寒くなればなるほど、めんどうくさいことは「あすにしよう、明後日にしよう」と怠け心を起こしがちである。


 春が訪れる今こそ聞いて、お互いに自分をいましめねばならないと思うのです。

     「のど元過ぎれば、暑さわすれる」


という言葉があるように、


人生には順調なときもあれば、苦しく悲しい時もあります。しかし、最後には必ず一番厳しい、人生の冬がやってくることを忘れてはなりません。苦しみ、悲しみから目をそらしてはいないでしょうか。暖かさや豊かさに馴れてはいないでしょうか。


 この世さえ良ければと思いがちな私です。後生の一大事を、今の内に解決しておかねば大変なことになります。仏様の教えをしっかりとお聞かせいただきましょう。

  

2015.04.11~20

 

岩国組宗清寺 中村隆教

 

 先日、博多に友人と訪れたときのことです。町を散策しておりますと、真言宗の東長寺という大きな寺院がありました。参拝される方も多くおられたので、調べてみますと重要文化財の千手観音像などもあり、興味が湧いたので入ってみることにしました。


 いろいろ興味深く拝見していきましたが、中でも印象的だったのが、大仏の台座の下にある地獄極楽巡りといわれる通路です。

有名な長野県の善光寺のお戒壇巡りのように真っ暗闇の中で手摺を頼りに出口まで行くのですが、長い距離ではないにもかかわらず、歩いてみると思った以上に大変なものでした。


光が入ることのないように作られているからか、私達が知っている夜の闇などとは違い、目は慣れることはありませんでした。

その中で歩いていると、手摺を頼りにしているにもかかわらず、自分は今どこにいるのか、確かに出口に進んでいるのかという思いが湧いてきて次第に不安にかられてくるのです。


私の前には二人の幼稚園くらいの子供が入っていったのですが、普段の生活ではなかなか体験することのない暗闇にかなり怖がっている様子。

  「あんまり速くいかんといて」

  「手は絶対に離さんといてよ」

私はやりとりを聞いていて、「無理もないなあ、大人の私でも不安なのだから」と思っていたら、一人の子供が「そうだ、いいものがある」と、何か閃いたようでした。

なんだろうと思った次の瞬間、赤く点滅を繰り返す光が二人の周囲を照らし、全く見えなかった状況を知らせます。狭くうねった通路、低い天井、喜ぶ子供達の顔がぼんやりと見えました。どうやら何か光るおもちゃのスイッチをいれたようです。「やったね、すごいね」とすごくいいものを見つけた様子の二人はそれまでの不安は消えて、楽しげに歩き始めました。


私達が苦しみ悩む根本原因は無明であるからと仏教では説かれています。その無明を晴らすことこそ私達が生きる目的であり、阿弥陀如来様の光によって私達の無明は晴らされていくのだと親鸞聖人はお示しくださいました。阿弥陀如来様の智慧の働きは無量光、無辺光、無碍光など十二もの光にたとえられます。その光は全て無明である私達に向かってはなたれ、常に照らしてくださっているのです。

 本当の闇の中では自分が何者か、どこに向かって行くのか、ゴールはあるのかなど様々な不安と共に行かねばなりません。しかし、光に照らされると、自分の本当の姿、目指すべき方向が示されていきます。そして、不安ではなく安心して確かな一歩を歩みだすことができるのです。

 

 私の前を歩いていた子供は照らされる安心を私に教えてくれました。その子供達のように、私達も阿弥陀如来様の光と共にこの人生を安心して歩ませていただきましょう。

 

2015.04.01~10

お慈悲の涙

美祢東組 明楽寺 秋里大勝

 

 二月の中旬から下旬になりますと、秋吉台では毎年山焼きがございます。今年も二月十五日に実施されました。

 その二日前の二月十三日午後、山焼き前の秋吉台で火事がありました。私は地元の消防団に所属していますので、消防署の指示通りジェットシューターという消火器具を背負って出動しました。沢山の消防署員、消防団員、また防災ヘリまでもが出動し必死の消火活動を行いました。しかし、一度ついた火は、当日の強風のせいもあってなかなか消えませんでした。完全鎮火したのは、日が明けた夜中の十二時半でした。


 私はあの光景を目の当たりにして、

     「この燃え盛る秋吉台が私の姿なのだろうな。」

 と阿弥陀如来様がご覧になられた私の姿を味わいました。


 日々煩悩の炎が燃え盛り、バチバチと音を立て、次から次へとその炎が大きくなっていく私の内の姿です。その炎を消そうともせず、その炎に自らが苦しめられている私の姿です。

 もし「この火を全部消しておいで。そうしたらあなたを救ってあげるよ。」と仏様に告げられたら、とても消すことはできません。もしその仰せを聞いて消そうとしても、もうその炎は私の手では負えない恐ろしい炎になっているのです。

 阿弥陀如来様は煩悩の炎が燃え盛る私の姿をお見通しになられ、またその炎をもう自分自身ではどうにもできないとお見抜きになられました。そこで「この火を消しておいで。」とはおっしゃられませんでした。


 「あなたはその煩悩の火が消せんのじゃな。消せんのなら消さんでもええ。

  消せとは要求しない。そのままの燃え盛るあなたを救っていこう。」


と、南無阿弥陀仏とお救いくださるのです。


 煩悩の炎は私自身が消していくものではありませんでした。阿弥陀如来様の大きな大きなお慈悲の涙の粒が消してくださるものでした。このお心お聞かせいただいたら、阿弥陀如来様に甘える人生を歩むのではなく、「お恥ずかしい私でありました、南無阿弥陀仏」とお念仏申させていただきつつ佛恩報謝の日暮を送らせていただきたいものであります。


2015.03.2131

「若不正者 不取正覚」

岩国組 浄蓮寺 樹木正法

 

 

阿弥陀さまという仏様は、お覚りを開かれるにあたって、まだ法蔵菩薩という位であるとき四十八の願いを建てられました。その一々の願いは、第十八番目の願いにおさまり、根本となる願いですから本願とも申します。

 

その第十八願には、「もし私が覚りを開くにあたり、あなたがこの真実なる願いを疑いなく受け入れ、私の国、浄土へ生まれると思いとって、私の真実を告げる名のり、南無阿弥陀仏を称える人生を歩み、そのあなたがいのち終わる時、浄土に生まれ仏に成ることができなければ、私は覚りを開くことはありません」という力強い言葉で誓い願われておられます。

 

さらにその願いは、決して量ることのできぬほどの時間とご苦労の末、欠け目なく完成され、願いが願いのまま終わらず、願いの通りのはたらきとなってくださいました。そしてそのはたらきは、私をして私を動かしめる「力」となってはたらいておられますから、本願力と申します。

 

さて、私をして私を動かしめるはたらきとは、阿弥陀さまがこの私を離れては、はたらいておられないということです。「あなたがいのち終わる時、浄土に生まれ仏に成ることができないようなことがあれば、私は覚りを開くことはありません」とありますように、私が浄土に生まれ仏となることと、阿弥陀さまご自身のお覚りを一つのこととして誓ってくださってあるのです。それを実際のお経様には「若不生者 不取正覚」と八文字で告げられてあります。

 

子をお腹に宿す母親は、子が生まれるまで子をその体内に包み込んでいます。子が生まれるまで決して子と離れることがありません。「この子が生まれるまでは」と子のことを中心に考え、子を無事産むためのはたらきを怠ることはありません。そして、子を産む決意のもと、母はお腹の子に親であることを名のり続け、子が生まれたとき、本当の意味で子であるということと母であるということは、同時に生まれるのです。

 

若不生者のちかひゆゑ  信楽まことにときいたり

       一念慶喜するひとは  往生かならずさだまりぬ

 

 私と離れ賜わぬ阿弥陀さまに包まれ、真(まこと)の世界へ生まれさせていただだくことを喜ぶことのできる人生が、今ここに与えられておりました。


2015.03.11~20

「返せないお慈悲」

周南組真行寺 佐々木大乗

 

 私が小さい頃のことですが、「お寺さんはもらいっぷりがよくないといけん」などと言う言葉を聞いたことが何度かありました。

 この言葉を私自身、最近まで勘違いをしてとらえていました。それは、お寺という所はご門徒の方々がお供え物やお布施など、いろいろと持って来て下さいますから、その都度、「すみませんねぇ」などと言ってられない。だからこそ、いつでも「有り難うございます」と、もらいっぷりがよくないといけないのだと思っていたのです。

 しかし、これは本当に浅はかな考えでした。


 数年前に、あるきっかけの中でこのことが話題となって父と話をしていたのですが、そこで父の言葉に気づかされました。


「大切なのは、何故もらいっぷりがよくないといけないか、そこを考えておかんといかん。それは、この阿弥陀様のお慈悲は返しようがない、ただいただくばかりのお慈悲だからこそ、もらいっぷりがよくないといかんのや。返せるものがあると思ったら、もらいっぷりも悪くなる」


なるほどと思いました。

 そして、そうであるならば、もらいっぷりがよくないといけないのはお寺さんだけじゃなく、このご法義を聞かせていただいているご門徒の皆様も同じではないでしょうか。

 返しようのない、いただくばかりのお慈悲であるからこそ、一生涯それほどのお慈悲にただただ「有り難うございます」と、感謝の日暮らしをさせていただきたいものであります。

2015.02.21~28

「お浄土へむかう人生」

邦西組 照蓮寺 岡村遵賢


 二十一世紀を迎えてはや十数年が経ちました。かつて明るい未来として夢見た今この現代社会。確かに昔からは考えられないほど世の中は便利になりました。そして私自身、現代の科学・医学の発達の恩恵を蒙って生活しています。

 しかし、便利と人の幸せは必ずしも一致しません。最先端の科学技術を詰め込んだ薄型テレビが毎日報道しているのは、人間同士の争いです。また、医学の進歩にともなって日本人の平均寿命は驚くほど延びましたが、寿命をのばしてまで何の為に生きているのかと言う問いに対する答えは出てきません。


 仏教を開かれたお釈迦様の悟りへの出発は「生老病死」の解決のためと言われます。それは何も死なない体を、老いない体を手に入れようとしたわけではありません。生きることも死ぬことも超えた悟りの仏となることが仏教の目的です。言い換えれば、この私はどこへ向かうべきであるかを明らかにしてくださったのです。


 本来私はどこへ向かおうとしているでしょうか。便利な方便利な方、自分の都合のいい方都合のいい方へと向かって行くのが私です。しかしそれが人間の進歩となりました。

 徒歩よりも人力車がいい、人力車より馬車はどうか、それよりも汽車をつくろう、海に浮かべよう空を飛ぼうと言って今や宇宙まで飛び出す時代です。最近では他に住める星はないかといって第二の地球を探したりしているようです。

 いったいどこまでいけば科学の進歩は収まりがつくのでしょうか。


 お念仏の法は、このかた一度も進歩したことがありません。なぜならとっくの昔に完成されているからです。このどこへ向かっているかもわからない衆生を、お浄土へ迎え取って仏にするんだと完成されているのがこの口にかかる南無阿弥陀仏の六字の法です。

 お念仏称えながらの人生はお浄土へ向かう人生、仏とならせてもらう人生であったと聞かせていただくばかりです。


2015.01.11~20

 「人間のしあわせとは?」

宇部小野田組 明照寺 岡原弘和


 お経は口に出して唱えたからといって得になったり楽になったりする人間の役に立てる、願いをかなえる為の呪文のようなものではありません。あの漢字には意味があります。我々がふだん読む本と同じで物語が書いてあります。ではいったいお経には何が書いてあるのかというと、人間とは何か、人間のしあわせとは何か、ということが問題になっています。それを仏になる教えとして説かれてあるのがたくさんのお経です。

 その人間とは何か、人間のしあわせとは何かということを阿弥陀さまという仏さまが考えましたというのが仏説無量寿経という大きなお経です。


 我々は生きていくうえでみな願いをもって生きています。その願いが願った通りになるのが幸せと思っているわけです。その反対に自分の願いの反対の方向性を示すもの、都合の悪いことは不幸せだと思っています。

 

 若くありたい、健康でいたい、長生きしたいというのは我々の最も願うところです。反対に歳をとる、病気になる、死ぬということは苦しいです。そうやって良いこと悪いこと、幸せと不幸せを私の願いというものさし、ハカリでもって決めているのが我々人間の本性なのだそうです。その人間の幸せ不幸せを決めるものさし、ハカリは危ういとお見抜きになったのが阿弥陀さまです。


 私の願いの先にある幸せは本当に人間のしあわせですか?私の願いの反対、歳老いて病気になって死ぬということは本当に不幸せな事ですか?歳をとる、病気になる、死ぬということは苦しいです、さびしいし、切ないです。

 けれどもその苦しみ、さびしさ、切なさのところにも人間に生まれて人間にしか出会えない本当のしあわせがあるんだよ。お前というものは必ず仏になるいのちを今ここで生きているんだよ。と願いはたらいて下さったのが南無阿弥陀仏の仏様であります。

 しあわせは私の願いの先、いつかどこかにあるのではないそうです。阿弥陀さまの願いの先、いつでもどこでも今ここそのままそのままということです。