テレホン法話 2017年   TEL:083-973-0111

 

2017/8/11~20

 

「名をよぶ」

柳井組 正福寺 長尾智章 

 

私たちは日々の生活を送らせていただく中で、様々な場面で名前を呼ぶことがあります。

  例えば子供であれば、特に今時期の夏休みに催されているヒーローショーやアニメのキャラクターショーの中で、そのヒーローやキャラクターの名前を呼んでみんなで応援したり。また子供に限らず大人の人も、自分が好きなアーティストや俳優などその人の名前を呼んで応援していく、想うその気持ちを名前を呼ぶことでその人に伝えていくように、普段から何かしら名前を呼ぶことがあるかと思います。中でも、小さい頃から今まで呼び続けていく名前があります。それは、「おかあさん」や「おとうさん」など親の名前です。

  

皆さんは親の名前を呼び始めたのが、いつ頃だったか覚えていますでしょうか?ほとんどの方が、覚えるどころか物心ついた時にはすでに呼んでいたという方ばかりではないでしょうか。特に、母親である「おかあさん」と呼んで頼ることが多いようです。誰が数えたのか分かりませんが、母親が「おかあさんですよ」と言い聞かせて、子どもが「おかあさん」と呼ぶまでに、実に約2万回~3万回に及ぶと聞いたことがあります。驚くほど大変な数字です。普段何気なく呼んでいるこの「おかあさん」という言葉の背景には、何も知らない幼いこの私に母親が、「誰よりも思っている私があなたの母親よ、だからおかあさんと呼んでおくれよ」と幾度となく呼び続けてくれていた母親の愛情がいっぱいいっぱいに詰まっていたんです。精一杯の愛情を我が子のためへと注いでいくからこそ、2万回~3万回であろうが苦労を苦労とも思わず、私へと関わり続けてくれていたことでした。だからこそ、ちょっとしたことでも頼ったり、何気なく呼んでいく「おかあさん」というその名前には母親に対する沢山の想いが詰まっているのです。 

 

阿弥陀さまも、何の為に生まれ生き何故命終えていくのか何一つ分からないまま、苦悩を抱えながら人生を送っていくこの私に、「あなたを必ずお浄土の仏とならしめていくいのちの親が今ここにおるぞ」と「南無阿弥陀仏」の名号(親の名告り)となって、物心つく以前どころか、無始已来、はるか昔より絶えず喚び続けて下さっていたのです。そのお念仏のご縁にこの度出遇えることができた私たちは、我が身の有り様を知らされ、そしていのちの行く末、お浄土の仏さまと生まれさせていただくいのちであったといただくことができるのです。その一声一声のお念仏の中にある仏さま(親さま)のお心をいただきながら、精一杯今という一瞬(ひととき)を見つめ、送らせていただきたいものです。

 

2017/8/110

 

 宇部小野田組 法泉寺 中山教昭 

 

 自坊が経営している保育園で、毎年、年に一度おやつの時間にそうめん流しをしています。このそうめん流しは、ご門徒の方が10メートル以上ある竹を切ったり、削ったりして、そうめん流し専用に用意していただいた竹を使って行っているということもあり、そうめん流しの準備をしているときから、子どもたちは、大きな竹に興味津々なのです。

 

 準備も終わり、時間になると、子どもたちは急いで竹の周りにやって来ます。そして、めんつゆの入った容器とお箸を持って、竹のそばに一列に並ぼうとするのですが、みんなより先にそうめんを食べたいという気持ちからか、全員が一番高いところに陣取ろうとするのです。中には、明らかに自分の背丈に合ってないところにいる子どももいるので、ちょうど良い高さの位置に先生がみんなを並ばせるのです。そして、準備ができたら、そうめんを流します。

 

 最初は、そうめんを取って、めんつゆにつけて、口に運んでいるのですが、途中から、そうめんを取って、めんつゆにつけて、食べずに、またそうめんを取って、めんつゆにつけてを繰り返しているのです。容器の中にそうめんがたくさんあるにもかかわらず、食べずにそうめんを取ろうと必死なのです。容器に入っているそうめんがなくなったら、次を取るようにと先生も声をかけるのですが、それでも、他の人に取られまい、自分が全部食べてやろうと、次々とそうめんを取るのです。中には、「もうお腹いっぱい。もう食べられん。」と言いながら、竹のそばから離れない子どももいました。

 

 そのときの子どもの姿を見て、煩悩で満たされた私たち人間の姿じゃないかなと味わわせていただきました。食べたいという欲が出て、それが満たされたと思ったら、また食べたい、また食べたいと人間の欲は次から次に沸き起こります。挙句の果てには、食べたいという欲が満たされていながら、他の人に奪われたくないという思いまで沸き起こり、私が私がとなってしまいます。

 

 私たちは、この煩悩をなくそうと思ってもなくすことはできないし、減らそうと思っても減らすことはできません。次から次に欲が出てくるように、いつまでも迷い続ける以外にありえないほどの煩悩を抱えているのです。そこで、そのままでは迷い続けるしかない私を放っておくわけにはいかんと阿弥陀様が立ち上がってくださいました。阿弥陀様は、煩悩をなくすことも減らすこともできないのが私たち人間であるということを見抜いて、そんな煩悩で満たされた私が救われるそのままのお救いを用意してくださいました。

  2017/7/21~31

 岩国組 教法寺 筑波敬道 

 

 以前、ある施設で生活相談員として勤務させて頂いていた時の事です。

 そこでは、毎週木曜日に法話会が開かれていました。開座1時間程前に出勤し、法座の準備を整え利用者様の部屋に伺いご案内をいたします。その中、ある方の口ぐせが「私は一人ではどこへも行かれなくなってしまいした。今日も連れて行ってくれますか」というものでした。準備を一緒に手伝いながらも、その方は繰り返し「私は一人ではどこへも行かれなくなってしまいました」と話されます。そこで、私も繰り返し「一緒に仏間まで行きましょう」とお声がけしながら一緒に参っていました。

 

 ある日の事です。いつもと同じようにお正信偈をお勤めし、お取次ぎを終えると、先ほどの方がご本尊の前で一人合掌しておられます。「法話会は終わりましたので、お部屋に戻りましょうか」とお声がけすると「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。私は一人ではどこへも行かれなくなってしまいました。それでも、私はお浄土へ参ります」と語られた言葉が今になって重みを増し響いてまいります。

 

 親鸞聖人は阿弥陀様の救いのはたらき、力を「なほ大車のごとし、あまねくよくもろもろの凡聖を運載するがゆゑに」との譬えをもって讃仰されました。阿弥陀仏の誓願は大きな乗り物のようであり、凡夫であれ聖者であれ、あらゆる者を乗せて、さとりの世界へ運んで行くと言われるのです。乗り物の力で運ばれる場合、力ある者、賢き者が先に行くわけでもない、力なき者、愚かな者がとり残されるということでもない。一人一人それぞれの人生をまるごと抱え、乗せられて、運ばれる世界が平等である事を言われるのです。それは「おちこぼれ」などという悲しく暗い言葉などおおよそ出てくるはずない穏やかな世界が「弥陀をたのむ」という世界の嬉しさであり、たのもしさであり、力強さでした。

 

 自らの力では到底さとりの世界へ到る事のできない私を特に哀れみ、その私をこそ特別の目当てとして「あなたを救わずにはおれない」と見捨てる事なく関わり続け、届いてくださっている南無阿弥陀仏です。

 2017/7/11~20

 

「これで一安心です」 

豊浦西組 大専寺 木村智教 

 

 平成28年の年末、近所の方から入仏式のご依頼を受けました。私がお参りすると八十代の老夫婦に迎えられました。おじいさんは酸素ボンベを付けてリビングのこたつで休んでおり、おばあさんは朗らかに接して下さいました。

 式が終わり、おばあさんが「これで一安心です」とおっしゃいました。なぜそうおっしゃったのか、この時私にはわからずにいました。 

 

 年が明け、そのお宅から電話がかかってきました。声の主はおじいさん。「妻が死んだんじゃ」そう告げられました。ご自宅で臨終のお勤めを済ませた後、娘さんから「母は八月に胆管がんが見つかり、余命半年の宣告をうけていました」と教えられました。それからお隣のご門徒さんに連れられて、ご法座に足を運ぶようになったそうです。

「これで一安心です」という一言は、自らの命の行方をキッチリ定めて下さった方を、我が家に主としてお迎えしたからこそ出てきたことばだったのでしょう。

 

 余命宣告をうけ、どれほどの葛藤があったのか、察するに余りあります。

 しかし仏さまの「間違いなくお浄土に連れてゆくぞ」という約束に出遇い、死んで終わるのではない。お浄土に往き生まれ、蓮華が泥沼に根を張るように、お念仏の声となって家族へ、そしてすべてのいのちへと根ざしてその幸せを願う道を恵まれ、おばあさんはその生涯を全うされました。

 念仏者。かっこいい生き方じゃないですか。これからも我が事として阿弥陀様のおすくいの確かなることを、お聞かせにあずかりたいものでございます。

 2017/7/1~10

 

「 伝わってきたもの 」

                   華松組 西光寺 佐々木世雄 

 

伝言ゲームというものがあります。グループ内であるメッセージを順に伝え、正確に最後まで伝わるかを競い、楽しむものです。簡単なお題であってもなかなか正確に伝わらないもので、最初に発せられた言葉と最後に受け取った人の言葉がまるっきり違っているということもよくあります。

 

約2500年前に誕生されたお釈迦様のお言葉は、初め、口伝という形で後世に伝えられてきました。口伝というのは文字に残すのではなく、口頭で伝え、教えを面授していくことです。お釈迦様入滅後、多くの弟子達が集まり、お釈迦様から伝え聞いた教えを確認し合いました。そして、教えを正確に残していくために文字に記し、経典が成立していきます。 

また、経典はもともとインドの言葉で記されています。様々に翻訳されながら、仏教はインド、中国、日本と拡がりを見せていきます。今、私たちが拝読させて頂いているお経は、お釈迦様から口伝、経典成立、翻訳という流れを受けて伝わってきているのです。

 

では、今届いているお経のお言葉は、お釈迦様の発せられたお言葉が寸分たがわず伝承されているのでしょうか。口伝、翻訳という人を媒介とした伝授の難しさに加え、2500年という時のフィルターがかかると、伝言ゲームのように徐々に正確性を欠いていくように思ってしまいます。

 

私が仏教を学び始めた頃、僧侶の先輩に、

 

「お経というのは、言葉の表面だけを読んでも、何もわからんよ。

 お経は心読しなさい。お経の根底に流れている、仏様のお心を学びなさ

 い。仏様のお心とは、『あなたを決して見捨てはしない。我にまかせよ。

 必ず救う。』と大悲の躍動する姿です。文字の表面ではなく、大悲を中心

 として過去、現在、未来を通じ伝わっていくのがお経典なのです。」

 

と教わりました。 

 

どんな時代を経ても、変わらずに伝わってきたもの。お釈迦様が紡ぎ出されたお言葉の深淵に、2500年を経た現代にも一貫して届いているもの。それが、南無阿弥陀仏。

 

「我にまかせよ、必ず救う」とはたらいてくださっているお慈悲のお心でした。

 2017/6/2130

 

「 白と黒 」

 岩国組  浄蓮寺  樹木 正法

 

「さてみなさん、白と黒の違いはわかりますか?」と聞いたならば、当たり前のことすぎてバカにするなとお叱りを受けるかもしれません。 

そりゃ白と黒が違うことくらいは皆ご存知だと思います。相撲では勝敗を白星黒星と表現します。刑事ドラマでも「あいつは白だ、いやあいつは黒だ」といいます。両極端に分かれた事柄をその象徴である白黒という色でもって表現しているのでしょう。 

では、「白と黒はどちらに色があるんですか?」と聞かれたらどうでしょう。こうなるとすぐに答えを口にするのは難しいかもしれません。たしかに白という色もあるし、黒という色もあります。しかしどちらに色があるのかと問われれば、どっちもあるしどっちもないという気になります。 

実際その色を「色」と知るには「下地」が必要です。例えば、黒板には基本白いチョークで書きますし、ホワイトボードには黒のマーカーで書きます。ということは、「色」というものは相対的な関係の(相手との)違いによって認識した、また区別したという程度のことなのでしょう。 

我々はよくわかった と言います。しかし、このわかった というのは 分かちた ということです。それは、コレとコレは違うんだと分けた 程度のことです。その意味ではその本質、つまりソレそのものが持ち合わせている本来的な性質であったり、豊かさというものは何一つ見えていないのかもしれません。

それどころかAとBを判別し区別すると、恣意的価値観によってどちらかが良いものになり、どちらかが悪いものになっていきます。さらに恐ろしいのは、区別することに慣れてくると、良いと思うものは際限なく取り込みますし、悪いと思うものはあっさりと無感情に否定し排除していきます。 

仏さまのまなこからご覧になられた我々の危うさ(本性)というのは、どうやらここにあるようです。このすがたに悲しまれ、このすがたを変えようとされたのです。なぜ変えようとされたのか、それは「あるべきすがた」ではないからです。昏盲の闇の中へと自らを沈めゆく我が子を放っておくわけにはいかなかったのです。

「あるべきすがた」とは、分別を超えた智慧のすがたです。自分であれ他人であれ、男性であれ女性であれ、幼きものであれ年老いたものであれ、賢者であれ愚者であれ、善人であれ悪人であれ、かわいいペットであれ夜な夜な台所を這い回るネズミであれ、目を潤してくれる美しい花々であれ目に入ることのない醜い雑草であれ、全ての いのち 我がいのち であると痛み憂い喜ぶことのできるすがたのことです。それを仏陀(覚者)というのです。

 2017/6/11~20

 

「無礙光仏」

  下松組 光圓寺 石田敬信

 

 京都の龍谷大学の教授に土橋秀高さんという、尊い念仏者の生き方をされた人がおられました。この先生の晩年は波乱に満ちたものでしたが、南無阿弥陀仏のみ教えとともにその苦しみ悲しみを乗り越えていかれました。 

 先生は60歳の時に、息子さんが大学の助教授になられたので、定年より5年早く教授を辞められ、住職としてお寺に戻られ、お寺を護っていかれることに専念されました。 

 その2年後に坊守である奥様が、御病気で急に亡くなられ、その1年後に、お勤めをされた後に本堂の蝋燭を消し忘れ、本堂と生活する場所である庫裏が全焼してしまいます。先生は火を消そうとして火傷を負われました。とても悔やまれたことでしょうが、ありがたいことに御門徒さんのおかげで、全焼からたった2年で新しい本堂が復興しました。 

 新しい本堂が完成するまで、先生が1人では大変なので、嫁である若坊守さんが京都に戻られ、先生のお世話をされていました。ですから息子さんは関東に単身赴任をしている状況でした。いつも息子さんからは電話がありましたが、ある時連絡がとれなくなり、心配をした先生が、息子さんの家に行くと、なんと息子さんが自死されていたのです。 

 そして悲しいことに新しい本堂で、息子さんの葬儀をされました。 

先生は、「孫2人が成人するまではがんばってお寺を護ります」と挨拶をされ、参列した方々は涙をながされました。 

 しかし息子さんの一周忌が終わった翌日に、若坊守さんは孫2人を連れて実家に帰ってしまいました。先生はこの数年で、まったくの独り身になってしまわれたのです。 

 先生はたくさんたくさん息子さんを思われた詩をつくられました。先生のその時の気持ちを想像すると、私も苦しくなります。 

 しかし寂しい詩だけを残されたわけではありませんでした。

 

 

 「両親おくり 妻さきにゆき 子の急ぐ 茜の雲は美しき哉」

 

 

 阿弥陀様のお慈悲の光が届かないところはありません。それは私たちにとって、大切な人との別れという悲しみにも届くのです。私たちの人生には時として、悲しみ苦しみの黒い雲があらわれます。しかし阿弥陀様のお慈悲の光明はその黒い雲にも届き、まるで夕日に照らされたように、黒い雲が黒い雲のまま茜色に輝くのです。それを先生はなんてありがたいのだ、と味わわれているのです。 

 阿弥陀様が、先にいかれた奥さんも、息子さんも、ご両親も、みんな仏にするとおっしゃっているのです。大切な人との死別という悲しみがあったからこそ、そこをすべて救うという阿弥陀様のお慈悲に気づかれたのです。阿弥陀様のお救いに遇われていたから、悲しみが悲しみのままで終わらなかったのです。

  そこを先生は悲しみが続く中で、いやいやこの悲しみを共に味わってくださり、この悲しみを目当てとされた、阿弥陀様がわたしと御一緒であったといただかれ、悲しみも喜びも、阿弥陀様のお慈悲の中でありました、と生き抜いていかれたのでありました。

 先生が往生された後は、ご養子さんが先生のお寺に入られ、この尊いみ教えを相続されて、いまもお寺を護られているそうです。

  2017/6/1~10

美和組 超専寺 村田亜紀子

 

 今世界的に水不足が深刻な問題となる中、農産物や畜産物などの生産に要した水を計算し、それをバーチャルウォーターと言うそうです。

 たとえば、カレーライス一皿は1095リットルもの水がなければ作ることはできません。カレーライスはごはん、お肉、野菜、油、香辛料などの材料で作られますが、それらを生産の段階から考えると、田んぼに水を引いたり、牛や豚の飲み水が必要であったりと、実にたくさんの水が必要になります。

 

 私は昨年放送されていたドラマの中で出てきた台詞でこのバーチャルウォーターという言葉を知りました。人づきあいが苦手で自分に向けられている親切すら煩わしくなって自分の世界に閉じこもる青年に、恩師が優しく教え諭すシーンでした。

 

 

 「(目に見えない)その水にほとんどの人が気づかない。ですが、見えない

   水を想像した方が世界は広がる。……君が思っているよりずっと世界は

   広いよ。」

 

 

 大変印象深い言葉でした。確かに、目に見えない水の存在を知らなくてもカレーライスを食べることはできます。しかし、知るのと知らないのとでは一口の重みが全く変わってくる気がします。

 

 人間の進化のカギは想像力にあると言われます。しかし、想像力によって自分の目に映す世界にとらわれ縛られ苦悩するのが人間とも言えます。その人間に向かってお釈迦さまが説いてくださったのは、私の小さく偽りだらけの想像をはるかはるか超えた、阿弥陀さまという仏さまの広大無辺の物語でした。

 

十方衆生よ、と向けられた宇宙全体を包括するような阿弥陀さまの大智・大悲は、宇宙全体から見れば、目に見えない程ちっぽけな塵くずのような私一人を救わんが為のもの。阿弥陀さまから「汝よ」と呼びかけられている私でありましたと先に喜んでくださった親鸞聖人は、「誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。」とおすすめくださっています。

 

 聞かせていただかなければ出遇えなかった私の命に向けられた願いを聞かせていただくとき、私の人生の味わいが変えられていきます。

 

 今日も、この瞬間も、阿弥陀さまがご一緒くださる人生です。

 2017/5/21~31

 

「干し柿」 

 豊浦組 淨滿寺 新 晃眞 

 

今から100年以上前の明治時代、大阪の高槻に浄土真宗の大変すばらしい僧侶  (かが)()(せん)(みょう)和上がおられました。(和上というのは尊称)103年前にご往生された和上様です。 

鮮妙和上は、つるし柿が大変お好きだったようで、寮の縁側に干しては秋の恵みを楽しんでおられました。ところが、もう食べ時という頃にひとつ減ってはひとつ減り、またひとつ減りと沢山あったものがあとわずかとなりました。カラスかなと思いましたが、どうやら違っていたようです。

ある時、和上はご法話で学生に対してこうおっしゃったようです。 

 

 「最近寮にカラスが沢山いるようだ。じゃが、ただのカラスではない。

  黒衣と黄袈裟をつけた黒いカラスじゃ!」

 

 心当たりのある学生は「ばれた!怒られる」と肝を冷やしました。

 堂内がピリッと静まった中に、和上が

 

 「カラス達よ、つるし柿は渋さを取り除いて甘味となるのかいの?

  そうではないなぁ、太陽の光が次第に渋いものを甘味と変えて下さるの

  じゃろう。不思議よのう。煩悩(渋味)を取り除いて仏になる教えは自力

  の教え。煩悩がさとりの功徳と転ぜられるのが他力の教え。ナマンダブの

  名号には、私の煩悩はさとりへの障りにはならないほどの不思議な功徳が

  満ちておるのじゃ。」

  

 とおっしゃいました。

 

学生一同尊いご縁に遇わせていただいたと話が伝わっております。

 

人生は渋み、苦味のくり返し。しかしその苦味がそのまま愚痴で終わらせんのがナマンダブです。縁によって渋柿が変えられていくように、お念仏のみ教えはこの私の生死の意味を転じていくのです

 2017/5/11~20

宇部小野田組 浄念寺 吉見勝道

 

 

「花に嵐の喩えもあるさ さよならだけが人生だ」というのは、中国の宇武陵という人の漢詩を作家の井伏鱒二さんが意訳された詩の一節で、聞いたことのある人もおられるかと思います。

 

 この詩に対して、詩人の寺山修司さんは「さよならだけが人生ならば」という詩を遺されています。

 

「さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう」と人生の美しさを綴っていくのですが、その詩の最後には「さよならだけが人生ならば 人生なんていりません」と締めくくられています。

 

「さよならだけが人生だ」ということは、厳然たる事実であります。人間として生まれたからには、いつか年をとって、病気になり、命終わっていかなければならない。つまりは、愛する人とも必ず別れていかなければいけないという悲しみを抱えて生きている私です。それに対して「さよならだけが人生ならば」と、「終わっていくだけの人生なら生きている意味がわからない」「私の人生はなんであったのか」としか思えない、悲しみ、寂しさ、むなしさしか出てこない私がいるのです。

 

 そうした私だからこそ、阿弥陀さまという仏さまはお浄土という国を建てられたのです。みんなが命終わってばらばらの処に生まれていくのでなく、同じお浄土に生まれてほしい、と、願われたのです。

 

「さよならだけが人生だ」という世の中に生きている私。けれども「さよならだけが人生ならば」としか思えない私。だからこそ、「さよならでなくて、また会いましょうね」とお互いに言い合っていける世界、お浄土をご用意くださったのが阿弥陀さまなのです。

 

 ただ終わっていくだけの人生ではなく、阿弥陀さまから「あなたは仏さまに成る尊い、いのちを今、生きているのです」ということを聞かせていただくのです。

 2017/4/21~30

 

「ウサギとカメ」 

周南組 真行寺 佐々木大乗 

 

 多くの方がよくご存知であろうウサギとカメの物語ですが、皆さんはこの物語をどのように聞いておられるでしょうか? 

 ざっくり内容を申しますと、ある日、ウサギとカメがかけっこで競争をすることになったのですが、足の速いウサギは自らの能力に過信をして、居眠りをはじめ、その間にカメが先にゴールするという話です。 

 そしてこの物語は、カメのように努力を続けた者はきっと報われる、ということを我々に教えている。そのように聞いておられるのではないでしょうか?実際、私もそのように聞いていました。 

 しかし、以前ある布教使の先生のお話の中にこのウサギとカメの話が出てまいりまして、それが、なるほどなと思えたご縁でありました。その先生というのが、実は私の父なんでありますが、、、。 

 父がお同行の皆さんに尋ねました。

 

「なんでウサギは負けましたか?」 

 

 お同行が答えます。

 

「寝とったからや!」

  

 すかさず父が答え直しました。 

 

「そうでしょうかね?別に寝ててもいいじゃないですか。

 ただ、寝る場所が悪かった。ゴールしてから寝れば良かったんです。

 まだレースが終わってもいないのに、その最中に寝るような馬鹿な真似をし

 たから負けたんやないですか。

 つまりは、ウサギはアホやから負けたんです。」 

 

 なるほどなぁと思わされました。実はこのウサギとカメの物語は見方を変えれば、智慧ということについて語られているようです。冷静に考えてみれば、ウサギとカメが競争をしても万が一にもカメが勝つことはないでしょうし、努力すれば必ず報われるとはよく言いますが、はたして本当にそうでしょうか?もちろんその努力が無駄になるとまでは言いませんが、どれだけ努力しても報われないということが世の中にはたくさんあるんじゃないでしょうか? 

 実はこのカメの姿は、今自分が歩んでいる道が一体どんな道であって、何を目的としているのか、それをしっかり見据えることが大切です。そんなことを教えてくれているように感じられます。 

 私達の身近な問題の中で言うならば、ニュースなどで、高学歴者の犯罪が報道されたりすると、あんないい大学を出てるのに馬鹿なことをと口にするかもしれませんが、彼らは決して馬鹿じゃないはずです。むしろ、頭の良さでいうならば他と比べようもないほどのものがあるんじゃないでしょうか。

 では、なぜそのような罪を犯してしまうのか。それは、そのすばらしいものを上手に扱えるほどの智慧がなかったからでありましょう。

 

 今、このご法義の中に、これまでのいろんな学びは何のためであったのか、そしてこれから先、本当に大切なことは一体何なのか、そのことをしっかりと見据えていくことのできる、いや見定め気づかせて下さる、如来様の智慧というものを聞かせていただきたいものであります。

2017/4/1~10

 

「苦しみからの喜び」 

宇部北組 萬福寺 厚見崇 

 

 今から約200年前、下関の六連島にお軽さんという方がおられました。お軽さんは、夫とともに平穏な日々を暮らしていました。しかし、その夫が浮気をしている事を知りました。夫に対する怒りや、その愛人への嫉妬で煮え繰り返る思いがしました。このやりようのない心をどうにしかしたいと、お寺で法話を聞きに行きました。しかし、一度や二度聞いただけでは安らぐ事はありませんでした。自ら死ぬ事も考えたお軽さんでしたが、何度も法話を聞くうちに、ある事に気づいていきました。あれだけ好きだった夫でも、縁にあえば、こんなにも恨み憎しみ苦しむこの私の心。それはまるで、地獄のようだ。この地獄のような心を持っているのが私の姿だったのだと気づかされたのです。 

 親鸞聖人は、仏教で私たちの事を凡夫と呼ぶ事について、

 

 「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、示してくださいました。

 

 私たちは、いくらでも欲しがり、自分に都合が悪ければ怒り、腹立ち、他人に対しては嫉みや妬む心がやむことなく、死の直前までとどまらず、消えず、絶えることはありません。それが私たちの姿なのです。

 

 お軽さんはその自分の姿が知らされたとき、法話で聞いていた阿弥陀様の事を思いました。怒りに苦しむこの私を何事にも邪魔されない安らぎの仏の世界へと生まれさせると誓われたのが阿弥陀様だからです。その事を思うと阿弥陀様が尊く有難く思えたのです。

 お軽さんは夫の浮気という苦しみをきっかけにわが身の姿が知らされて、この私を仏の世界へと救う阿弥陀様に出遇い喜ばれました。さらには、浮気した夫が私を阿弥陀様へと導いてくれたと喜ばれ、仲良くお寺参りをしながら暮らしたそうです。このお話、もちろん浮気をお勧めするのではなく、苦しみだけに終わらせない阿弥陀様をお勧めするお話でした。

 2017/3/21~31

 

「眠る暇なし」

 

美祢東組 明楽寺 秋里大勝

 

 先日車でラジオを聞いていますと、「この三連休をどう過ごす?」というお題でリスナー(ラジオを聞いている人)にメールやファクスで意見を求めていました。その返事の中の一つにあったのが「お彼岸だから実家に帰って大好きだったお婆ちゃんが眠っているお墓へいってきます。」というメールでした。 

 司会者も「そうですね。私も実家のお墓に行って眠っているご先祖様に手を合わせます。」と言っていました。私はそれを聞いていまして「世間の考えはそういったものが主なのかなぁ」と思いました。確かにお墓というのは亡き人を偲ぶには大切な場所ではありますが、果たして亡き方はお墓の下で眠っていらっしゃるのでしょうか。

 

 今から150年近く前、今の香川県に床松同行という妙好人がおられました。床松同行は生涯独身で家庭を築かれませんでした。73歳で生涯を閉じられるのですが、臨終の床についた時、近所の市蔵というお同行がお見舞いに来られ一人ぼっちで寝ている床松同行の姿を見て可愛そうに思い墓を建ててやりたいと思われたそうです。市蔵は近所の縁有るお同行にそのことを相談すると、皆同意してくれたそうです。そこで床松同行の枕元へ行きそのことを伝えると、床松同行は「有難う」と大変喜ばれるかと思いきや少しも喜ばず「おらぁ、石の下にはおらぬぞ」と言い放ったそうです。

 

 私達がお聞かせいただいているご法義は、「かならず救う、まかせておけよ」の阿弥陀如来様のお喚び声の通り、この娑婆の縁尽きたならば、この私のいのちは阿弥陀如来様に救われ西方極楽浄土にて永遠の悟りのいのちへと生まれていくというご法義です。そして阿弥陀如来様と同じ悟りの内容を備えた徳をもって、阿弥陀如来様が十方の生けとし生けるものをお救いになられるのと同じく、お浄土に生まれたならば直ちにこの娑婆世界に還ってきて、遊ぶが如く自由自在にありとあらゆるいのちを救うていくはたらきをするのです。

 

「この世の縁尽きるとき 如来の浄土に生まれては さとりの智慧をいただいて あらゆるいのちをすくいます」(『拝読 浄土真宗のみ教え』より)

 

 

 まさに私達のいのち、死んでもお墓の下で眠る暇はありません。そのようにお聞かせいただきますと、床松同行の「おらぁ、石の下にはおらぬぞ」のお言葉が春のさわやかな風と共に心に響いてまいります。

2017/2/1120

 

HOUSEHOME

防府組 万巧寺 石丸涼道

 

 我々がこのたびの人生が終わって初めて参らせていただく処を、如来さまはお浄土と告げて下さいます。このお浄土のことを、浄土真宗の先輩方が「帰っていける家」だと味わって下さいました。家といいますと、ただ家という場所があるのではなく、そこには準備をして待って下さる方がいらっしゃいます。

 実は私結婚しておりまして、私の連れ合いは大阪府の忠岡町というところの出身です。その連れ合いが、息子の顕知を連れて実家に帰ることがあります。すると私の母が言うのです。

「いやあ、快適快適」

私が「なんで?」と聞き返しますと、

「いやね、顕知くんがいたらテレビをつけたら、やれアンパンマンだ、やれドラえもんだ、観たいテレビが全然見れん。でも顕知くんが大阪に行ってからは快適、私の好きな韓国ドラマが見放題、いやぁ快適快適」

と言うのです。私の母は「チャングムの誓い」から始まりまして、今頃は「愛人がいます」という恐ろしいタイトルのドラマを観ているくらいの韓流ドラマファンです。だから快適というんですが、それも持って二日。三日目にもなると私のもとまでやってきて言うんです。

「ちょっとあんた、あの嫁とメールしてないの?」

「しとるよ、どうしたの?」

「顕知くんの写真は届いてないの?届いてたら見せて」

「なんで?」

「あのね、顕知くんがいなくなってから二日間くらいは騒々しくなくて快適と思っていたけど、三日目ともなると寂しくなってきた。会いたくても会えんからせめて写真を見せて」というのです。

 それで帰って来る前の日になると、鼻歌を歌いながら掃除機なんかかけております。挙句の果てには、あれだけ憎んでおったアンパンマンのおもちゃなんかを買って待っておるのです。家というのは準備をして待っている人がいる処なのだと、そのとき思いました。

そして、そのとき同時に思ったのが、もしかしたら母は私のことも同じように待っておったのかなということです。私は高校の三年間、山口を離れて北九州の門司というころで寮生活をし、その後京都の大学に四年、大学院に二年と、都合九年間ほど一人暮らしをしておりました。その私が実家に帰るとなったとき、私は何の気なしに帰るだけでありましたが、もしかしたら母は「あの子が帰って来るんだったら布団を干しておかねばならんな。あの子はどうせろくなもの食べていないだろうから、何か美味しいもの食べさせてあげなきゃいけないな。何を作れば喜ぶかな」と準備をしながら待っておったのではなかったか。一人暮らしをしていた九年間、私は自分ひとりの力で生きていると思っていたけれど、もしかしたら帰っていける家というものに支えられておったのかもしれない、帰っていける家というのは有難いことだな、とそのとき思いました。

  今、お浄土を帰っていける家と味わっていくということは、ただお浄土という場所があるのではなくて、そこには準備をして待って下さる人がいらっしゃいます。我々はそのお浄土というものに今を支えられているのかもしれません。死んで終いの命じゃない、如来さまが「あなたが参っていくお浄土があるぞ。必ずあなたを連れ帰るぞ」と南無阿弥陀仏の名の声となって、私のもとまで来て下さっています。そのお浄土で先に参った方々が私のことを待って下さっていますから、この度初めて参るお浄土ではありますが、皆が「間違わさんぞ」と準備万端で待って下さっている「帰っていける家」だとお聞かせに預かるのです。

 2017/2/1~10

   

「見てござる知ってござる聞いてござる」

            大津東組 徳照寺 青山研      

 

 私には小さい頃より大変お世話になりましたご門徒の方がいらっしゃいます。私が幼少期の頃よりお寺にお手伝い、またお聴聞にいらっしゃっておられた方です。とても明るく元気いっぱいの方です。 

 私が、高校生になったくらいの年でした。今からもう20年前の話です。そのご門徒さんが病気で入院、手術をされると聞きました。病気は舌癌でした。

 今までは、元気に明るく、賑やかだった方でしたが、手術をされ舌の切除をされて、しゃべることも難しい、食事をとるのも難しいという状態になられました。

 しかし、そんな状態になられてもお寺に足をはこばれてはお聴聞されておられました。

 お寺ではお斎が出ます。しかし、食べることができません。ですから、いつもお寺に来られる際には病院から支給される流動食を持参されておられました。

 そんな中で、私も一緒に食事を頂いていますと、「ええかね、阿弥陀様は見てござる、知ってござる、聞いてござる」と目にうっすらと涙を浮かべながら「なんまだぶつ、なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」と言われておられました。

 私には計り知れない悩みや苦しみがあられたことでしょう。

 しかし、阿弥陀様は「見てござる、知ってござる、聞いてござる」と「その悩み苦しみ全て分かっておるぞ。そして、決してあなたを一人にはさせない親がここにおるぞ。あなたを浄土にまいらせ仏と成らしめる親がここにおるぞ」とはたらきかけておられる。

 その阿弥陀様のお心がしっかりと届いているからこそ、またそのお心を頂いておられるからこそご門徒さんの口から「なんまんだぶつなんまんだぶつ」と出てくださるのでしょう。

 今、このご門徒さんは歳が99歳になられ、施設にいらっしゃいます。昨年のお盆に会いに行きますと、私がもう誰か分からなかったようであります。 

 一時間ほど一緒に時間を過ごさせて頂きましたが、お念仏はでることはありませんでしたが、代わりに「ありがとうありがとう」と言われておりました。

 歳を重ねられて、お念仏が出なくなったとしても、仏様を忘れたとしても、決して私のことを忘れてくださらん仏様です。臨終の一念まで、人生の最後までともに歩んでくださる仏様であります。

2017/1/1120

 

「 疑いという癖 」

岩国組  浄蓮寺  樹木 正法

 

 『一念多念文意』という親鸞聖人著述のご文には

きくといふは 本願をききて疑ふこころなきを聞といふなり

またきくといふは 信心をあらはす御のりなり

とあります。

 

阿弥陀さまが誓われたこの私を必ず救うという願いを聞き受けていくということは、確かなすくいのはたらきが至りとどき、それによってこちらの疑いがまったく晴れたすがたのことで、そのすがたこそ他力の信心なのだというのです。ですからこの信心のことを「無疑心」ともいい、「疑蓋無雑」ともいいます。それは、仏さまとこの私との間に、自力のはからいという疑いの蓋が差し挟まれないということです。仏さまの方が真実まこととなってこの私へ至りとどいてくださってあるのに、こちらの勝手な常識を雑えて仏さまを聞いてしまえば、仏さまのはたらきを邪魔してしまうことになるということです。

 

私事でございますが、最近電動歯ブラシというものを購入いたしました。ブラシの方が電動で歯を磨いてくれるので、非常に楽をさせていただいております。ただ中々扱いに慣れませんでした。といいますのも、習慣というのは恐ろしいもので、今まで使っていた歯ブラシのようについつい手を素早く上下左右に動かしてしまうのです。それも無意識のうちに動かしてしまっています。しかし、こちらが手を動かせば動かすほどブラシの動きの邪魔をしてしまいます。こちらがいらぬ仕事をせず、ブラシの動きにまかせればブラシの方がしっかり仕事をしてくれるのです。なのに、こちらが邪魔をしているということは、ブラシの動きを疑っているということす。頭ではわかっていても、それでも気を抜くとまた知らず知らずのうちに手を動かしてしまっている始末です。

 

 今までの歯ブラシは私にとっての日常であり、それを扱うことが常識でしたが、電動歯ブラシという非日常に変わることで、その扱い方は私にとって非常識となったのです。非常識の中で常識という「癖」が無意識に行われています。実はそれが「はからい」となり「疑い」となるのでしょう。

 

五濁悪世の衆生の  選択本願信ずれば

 不可称不可説不可思議の  功徳は行者の身にみてり

 

 

思議を超えた仏さまの世界は、私の常識ではかれば、閉ざされるばかりか仏さまのはたらきを邪魔してしまいます。逆に私の築いてきた価値観は仏さまの前ではすべて崩され、捨て去られていきます。そのとき「信心の行者」となるのです。