お寺を訪ねて〝ホームページ版〟

古満姫ゆかりの寺

 「時代にあった若いセンスで教化活動に専念してほしい」という前住職の願いを受け、第17世住職継職奉告法要を平成16年4月24・25日に厳修されたばかりの明栄寺(釈野卓雄住職)を阿知須町引野に訪ねた。

 明栄寺は、真宗興正派第十八世准尊門主の室となった古満姫(こまひめ)ゆかりの寺として知られ、山門前の小高い丘には、その手によって植えられた「お姫様松」と呼ばれる松がある。

古満姫は、毛利初代藩主毛利元就の孫で、三代藩主輝元の養女である。興正寺輿入れの際、毛利家は古満姫に化粧料として井関村(現阿知須町)を寄進したといわれている。

 准尊門主ご逝去の後、明栄寺で余生を送ることとなった古満姫が、病で亡くなった二男准円を埋葬し松の木を植え、その松が大木に成長し、墓石をすっかり抱き込んでしまったのを、母親が愛しい我が子を抱きしめた姿になぞらえて「お乳松」「お姫様松」と呼ばれることとなったという。

  昭和23年に松食い虫で枯れたが、現在の松は、落ちた種から自然に芽が出て生長したもので、墓石と先代の松の根を以前同様に抱き込んでいる。古満姫が日夜礼拝した阿弥陀如来の尊像(阿知須町指定文化財)も現存する明栄寺では、平成12年に古満姫様三百五十回忌法要が勤められた。

前住職の教化活動

 このたびの継職法要にあたり、憲章前住職は、その退任の挨拶として「大学卒業と同時に帰山し、明栄寺寺務並びに教化活動に専念して参りました。早速日曜学校の復興、子ども会の育成に取り組み5ヶ所に出張しながらの活動でした。二泊三日の夏休み子ども錬成会は25年間続けることができました。100名を超える子ども達が集う時もあり、仏教婦人会、仏教壮年会挙げてご協力を頂いたおかげ。」と言われた。幼少の頃、明栄寺で行われていた日曜学校を昭和27年に復興させ、少年教化活動をはじめとして、仏壮・仏婦等の幅広い年齢層が、ご縁に触れる機会を少しでも多くとの思いで、法座活動・組織の充実に力を注いでこられた。

 昭和38年に高齢者聞法の会として発会した一如会は、現在は仏壮仏婦を中心とした仙遊会として年2回の法座が続けられ、昭和56年より毎月一回8年間続いた明栄寺連続研修会は、毎回住職手作りのテキストを使って開かれ、現在は仏心会として隔月奇数月の一日の夜、次回7月1日で90回を数える。

 仏婦は本山発行の仏婦季刊誌『めぐみ』に昨年の秋号で紹介された。ビハーラという言葉が使われていなかった30年以上前から毎月続いているおむつタタミ奉仕をはじめとして、活発で継続的な活動を続けている。

新住職のチャレンジ

 卓雄住職は、「この活動の歴史をくずさないようにしたい。」と言われ、また、「若くして、くも膜下で亡くなった方が、無意識の中で『らいはいのうた』を詠んでいた。とか、縁あって大谷派のお寺の住職になられた方が、「今もこれが私の心の支えです」と、明栄寺日曜学校で使った、ぼろぼろになった古い日校聖典を見せて下さったことを思うと、驚きとともに、小さい時からのご縁がつくづく大切なんだと感じています。」と語られた。

 今後は、現在毎月一回お寺一ヶ所となった土曜学校を何ヶ所か復活させ、また以前、組仏婦大会で仏婦と日曜学校生が合同で行ったコーラスのように、各会が一緒になってビハーラ活動などをしていきたいと希望されている。